ドストエフスキー読解の可能性
亀山郁夫 × 望月哲男沼野充義
さまざまな読解
望月(以下M) 今回、亀山さんとの責任編集を引き受けるにあたって、私なりにいろいろなコンセプトを実現したいと考えました。しかしまずは、亀山さんがどういう発想で編集にあたられようとしていたか、また、どうしてこういうラインナップになったのか、といったところをいっしょに議論していければ、と思います。
亀山(以下K) では、お言葉にあまえて私のほうから、少しざっくばらんにお話ししたいと思います。『カラマーゾフの兄弟』そして『罪と罰』の新訳が出て、多くの読者からたくさんの好意的なメールや手紙をいただきました。他方、私のドストエフスキー理解に対する根本的な批判や、否定的な意見も投げかけられました。しかし、そういった諸々の渦の中で感じたことがあります。どうして、他のだれでもない、ドストエフスキーに、今もってこれだけの求心力があるのか、という思いです。それを今さらながら確認したわけです。四〇年ぶりに出た新訳によって、ドストエフスキーに一定程度の読者の広がりができたことはとても喜ばしいことですし、望月さんの『白痴』新訳が出た暁には、ますますその勢いは強くなると思います。で、それだけの読者がいるなら、ドストエフスキーについてもっと知りたい、という潜在的な欲求を持った読者が少なからずいるはずだと思ったのです。最近では、大江健三郎さんが中心となった『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(集英社)、さらに、実質的な沼野充義さんの編集による雑誌『ユリイカ』の特集号(二〇〇七年十一月号)がありました。で、今回、望月さんとの責任編集では、『現代思想』という媒体の性格もありますから、少しプロフェッショナルに、凝れるだけ凝ろうと考えたわけです。寛大な望月さんに随分わがままを言いました(笑)。
M たしかに凝った作りになりましたね。私もかなりわがままは言いましたよ(笑)。
K で、これまで私自身、ドストエフスキーと向かい合う際には、ごく限られた視点からしか語ってこれませんでしたし、ドストエフスキーに新たに挑戦しようとする読者、あるいはすでにそれなりに深いレベルでの経験をしている読者たちの読みの可能性を逆に押し狭める形になるのではないかという懸念もありました。ですから、日本はもとより広くロシアの研究者たちや日本の作家たち、批評家たちの力を借りて、ドストエフスキーにを原語や翻訳を通して接しているさまざまな人たちがどういう視点から今ドストエフスキーを見ているかといことをできるだけ網羅的に紹介したほうがよいのではないか、と考えました。現代作家の私的なレベルのエッセイから最先端と言われるロシアの研究者たちの問題意識も含め、全体的な視野の中に読者を巻き込んでいきたいという思いが今回のプロジェクトで実現させたかったことです。
で、私はこれまで、ドストエフスキーにアプローチする際に、常に「二枚舌」とか「使嗾」とか「黙過」といったキーワードを用いて論じてきました。むろん、それだけがドストエフスキーではありません。まずは、それを知ってもらうと同時に、もう一度自分自身が取り組んできたドストエフスキーの意味を、より包括的なパースペィティブに位置づけ、考え直してみたいという個人的な動機もありました。望月さんという最高のパートナーを得て、なんとか実現にこぎつけることができました。
望月さんのドストエフスキー研究の凄さを知ったのは、一九八五年にお書きになった「決疑論の展開」という『カラマーゾフの兄弟』論(1)で、これには非常に鮮烈な印象を受けました。問題意識の現代性という点から言ってロシアの研究者に劣らない優れた独自性があると感じました。また、ロシアの現代作家たちにおけるドストエフスキー受容をまとめた「ドストエフスキーのいる現代ロシア文学」(2)も、ちょっとした神業でしたね(笑)。あの手際のよさにはほんとうに驚かされました。私はどちらかというと、情緒的な面からがむしゃらに作家に向かっていく読者の代表です。それに対して、望月さんはちょっと斜には構えているけれど、掴んでいるポイントはつねに中心といった研究スタイルで、常日頃からそれに非常に惹かれるものを感じてきました。そこで、私と望月さんがそれぞれ対極的な側面から全体を俯瞰することができれば、先ほど述べたようなプロジェクトは成功するかもしれない、と考えたのです。
で、私から先に言わせていただくと、今回、増刊号を組むにあたって、最初に閃きとしてあったのが、ボリス・チホミーロフの『罪と罰』コメンタリー(3)です。翻訳をし、解説を書きながら、ほぼ全巻を読み切りました。とくに「第四部第四章」、例の「ラザロの復活」の章のコメンタリーがすばらしかった。研究者としての彼の誠実さに感動しました。そればかりか、私自身が長年探しあぐねてきた言葉に出会うことができたのが何よりもうれしかったのです。それが、「黙過」という言葉です。ロシア語で、パプシェーニエですね。チホミーロフが、クリニーツィンという研究者の論を紹介する中でこの言葉を用いているのですが、ああ、ロシアの研究者にも、自分と同じような視点からドストエフスキーを見つめようとしている研究者がいる、それをコメンタリーの中に組み込んで独自の検討を加えている人がいる、と知ってとてもうれしかったのです。次に閃きとしてあったのは(笑)、フロイトvsフョードロフです。今回の増刊号で、ドストエフスキーの性愛に関する二つの対極的なアプローチ、つまり、フロイト主義とフョードロフ主義の二つを提示できるといいなと思い、中山元さんには、フロイトの「ドストエフスキーと父殺し」の新訳を、アナスターシヤ・ガーチェワさんには「ドストエフスキーとフョードロフ」というエッセーの寄稿をお願いしました。ただ、唯一の心残りは、版権取得、翻訳者などの都合もあり、グリュックスマンが出した『マンハッタンのドストエフスキー』(4)の翻訳が載せられなかったことです。また、本当に嬉しかったのは、サラスキナ、フォーキン、ヴォルギン、カサートキナといったロシアを代表する研究者たちが、快く寄稿に応じてくれたことですね。
で、これから、「ドストエフスキー読解の可能性」というおおまかな見取り図のもとで、いろいろと議論していきたいわけですが、望月さんが今回選ばれた欧米の研究者を中心とするいくつかの論文には、おそらく望月さん自身のドストエフスキー観の根本に関わるアプローチが示されていると思います。で、その辺りからお聞きしたいと思います。また、現に、今回の増刊号のために『未成年』論を書かれましたね。『未成年』という作品の持っている現代性などについてもお話を聞けたらと思います。
M 私の方からどう見えるか、ですが、やはり亀山さんが最初におっしゃったように、読者と翻訳者と評論家のいろいろなドストエフスキー論がある中で、文学研究者が持っている面白い可能性が必ずしも外に見えていないようなところがあって、特に日本から見るとロシアの文学研究者が何を言っているのか、そして欧米の専門家がドストエフスキーについてどんな面白いことを言っているのかということは結構ブラインドになっているところがあります。たまさかにいろいろなことが紹介されますが、実はもっと豊かな世界があるし、例えばドストエフスキーと他の作家たちを比較したり対比したりしながら論じているのもあります。日本だとドストエフスキー論だとドストエフスキー論ばかりになってしまいがちですが、もっといろいろな可能性の中でドストエフスキーが捉えられてもいい。ですから今回の企画で一番面白いなと思うのも、比較的地味に仕事をしているロシアやアメリカ・ヨーロッパの研究者の声がたくさん紹介されているところで、われわれにも参考になるところが多々あると思います。
私自身そういうものを折に触れて見ながらドストエフスキーにも関わってきたわけですが、最近ではやはり亀山さんのお仕事にも大変インパクト受けています。例えば『カラマーゾフの兄弟』の解説(5)にある、作品世界が現実の層と神話の層と自伝の層の三層構造になっているという解釈などです。
K その後、『『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する』(6)の中で、それまでの三つの層にさらに一つプラスして、四層構造にしたんですよ。歴史層です(笑)。
M なるほど歴史層ですか。それから、始まる話と終わっていく話が交差するだとか。ああいう考え方というのは他であまり読んだことがありませんでしたから。そのようにクリアに『カラマーゾフ』の世界が整理されたことはないと思います。先ほど「研究者の声」と言いましたが、翻訳者も非常に密に作品と付き合うわけですから、きわめてオリジナルな解釈が出てくる可能性があります。日本でも翻訳の歴史はありますが、亀山さんの訳の持っているインパクトは決して訳文だけではなく、翻訳者の経験を解説として語るという部分も大いに重要だと思っています。
先ほど亀山さんがチホミーロフに刺激を受けたとおっしゃっていましたが、私も結構長いこと付き合っているものですから、いろいろな研究者や評論家の発言にぶつかりながら、驚きながら、ドストエフスキーを読み直すという経験がいろいろあります。若い頃バフチンのドストエフスキー論(7)を最初に読んだとき、非常に強い衝撃を受けました。作者、主人公、作品世界の相互関係や、主人公とその思想との関係を、こんな風にダイナミックに読むことができるのか、と。近代思想小説の原型を古代のメニッペアというジャンルに見出すようなパースペクティブの深さも魅力的でしたね。ドストエフスキーの読者が持つ先入観の多くを揺さぶり、疑わせる議論だったと思います。
バフチンは反フロイト派ですが、フロイト的な読み方にもいろいろあって、夢や下意識の論理を作品解釈に応用するアルフレッド・ベーム(8)の仕事、感情の模倣性や相互性に関するアンドレ・ジード、フランク・オコンナー、ルネ・ジラールなどの諸説(9)、善や非暴力への志向をモラル・マゾヒズムの原理で換骨奪胎してしまうエリザベス・ダルトンの実験(10)など、『白痴』『永遠の夫』というような不可解な小説を読むうえで大変勉強になりました。ただしこの種の読み方にある種の繰り返しや限界も感じていました。そこで、例えばマイケル・ホルクィストという人が、父と子の葛藤のテーマを原始的な人間集団における世代交代の話との類推で読むことにより、いわば袋小路のエディプス・コンプレクス論から、子が父になるという成長の物語への展開を試みているケース(11)に出会って、大変面白いと思いました。フロイトに内在している文化人類学的な側面の応用で、そこからゲリー・コックスの「暴君と犠牲者」論(12)や、イデオロギーと想像力の葛藤としてドストエフスキーの世界を捉えるジェフリー・カバトの説(13)など見られるような、社会論への展開が可能になっているように思えます。今日刺激的に見えるハリエト・ムーラフの聖痴愚論(14)、ダイアン・トンプソンの記憶論(15)、オリガ・メーエルソンのタブー論(16)なども、総じて文化人類学的なドストエフスキーの読解と言えるのではないかと思います。
一方で非常に地味な研究もあって、例えばライスという研究者はドストエフスキーの癲癇のことだけで分厚い本を書いています(17)。非常に凝る人ですから、ある限定されたテーマに関するあらゆることを調べる。一九世紀に癲癇との類推で想定可能なデータを医学、俗説、英雄・奇人伝説を含めて、網羅的に参照する。そしてやがてドストエフスキーの作品に帰っていくのです。つまり、作品から出発して、いわば俗世間の中に出ていって、もう一回作品の中にどうやって帰ってこれるかという、非常に大きな冒険をしているのですね。
論文と小説は目的も機能も違いますが、小説のように面白い論文というのもたまにある。総じて面白いのは、比較的限定されたテーマを広く深く掘り起こすことによって「ああ、この作品はこんな風にも読めるんだ」という読みの可能性を見せてくれる仕事です。そんな仕事のひとつで、今度『未成年』論を書くときにも参考にさせてもらったのが、デボラ・マルティンセンの『恥に驚いて』(18)です。中心テーマは恥なのですが、実際にはホラとか嘘の話たくさん拾い上げている。ドストエフスキーの作品には嘘つきやホラ吹きや道化がいっぱい出てきますね。カラマーゾフのお父さんもその一人ですが。ああいう人格がなぜ生まれてくるか、そして彼らは何をしているのか――そういう問いから発して、彼らの精神のうちに構造化されている「恥意識」の正体とその両義的な機能を解明していくという作業です。
例えば『未成年』の主人公は、遠大なるイデア(思想・理想)を抱きつつ不毛な日常を過ごしている。いつか自分はロスチャイルドのような富と権力の主体になるんだという目標を意識しながら、全然違うことをやっているのです。かつて私は、現実の自己の卑小さとイデアの高邁さとの間のギャップを、ロマンティック・アイロニーやフェティシズム、あるいは自己隠蔽や失語といった文脈で考えていましたが、何か重要な繋ぎ目が足りないような不満感を覚えていた。それがマルティンセンの論文を読んだとき、「感情」という入口から入っていくとこれがもっと見えるのではないかと思い至りました。そして恥という感情とイデアがどう繋がっているのかという観点から、ある青年の成長の寓話として読み直してみたのです。すると例えば、思想とホラ話の機能的類似なども感じられるようになる。なんでもそうですが自分の発想や経験だけで完結するものは少なくて、外からの刺激を受けることによって、自分の中で途切れていたものがふと繋がることがある。だから他人のものを読むのは結構面白いと思います。
ポリフォニー概念の意義
K 研究史といっても、私の場合は、この七,八年そこらですから、まだ毛が生えたばかりというのが事実です。それに、大学時代も、ほとんどベルジャーエフとヴォルインスキーの二本槍でした(笑)。埴谷雄高の訳した『偉大なる憤怒の書』にも影響を受けています。あの当時、じつは、フロイトの「ドストエフスキーと父殺し」の論文さえ知らなかったのです。また、正直言って、ミハイル・バフチンに興味を抱いたことはほとんどありませんでした。大学時代の最後の段階で、一度、大学院に進学できたら、ドストエフスキーではなく、バフチンそのものをやろうと思ったことがあるにはあるのですが、それは、まあ、ドストエフスキー研究者ならずとも一度は通過するはしかのような経験です。青臭い文学青年にとって、文学とは基本的にモノローグの同義語であるわけで、どうもドストエフスキーは他の文学とは違う、その違うという謎めいた感覚を鮮烈に解き明かしてくれたのがバフチンでした。ポリフォニーとか、カーニバルとか、われわれがなかなか具体的なキーワードでは表現しきれなかった世界の構造を、ぽんと目の前に突きけられた感じで、胸がすっとしました。新谷敬三郎さんの訳で読んだのですが、そのときこそ新鮮な驚きがありましたが、なぜか、これは自分と違う、という感じがあって関心を失いました。
今の若い人たちがドストエフスキーを読み、かつバフチンを読んで何かしら目新しいものを経験できるのかといったら、そう簡単には見いだせないのではないか、と私は思います。バフチンがなぜ大事かということより、むしろバフチン的な理解によって見えてくるドストエフスキーがいかに凄いかということに尽きてしまいます。ただ、私がここで言い添えておきたいことがひとつあるのです。バフチンの言うポリフォニー性には、それこそいろいろなレベルが存在する。しかし、登場人物のレベルにおける声の独立性という意味でのポリフォニーは、私がこれまで展開してきた「二枚舌」というコンセプトでも代替可能ではないか、ということです。私は二元論的にドストエフスキーを解釈しています。で、バフチンがポリフォニー論を出したのは、スターリン革命が始まる時期のことですよね。つまり、彼の理論は、もはや大声で本音を口にすることができない全体主義時代における言説の形式を二重写しにしているのではないか、ということです。言いかえると、作家が本音を隠すための一つの方法としてある。スターリン時代に作家は、本音か建前か分からず、スターリン礼賛という言説の形式以外、基本的には取り得なかった。そんなわけで、私は、ポリフォニー性という観念が提示される背景にあったのは、検閲であり、検閲を意識する作家の意識の二重構造ではないか、と思うわけです。一なる声を多数の声に分散することで本音を覆い隠す。しかしです。問題がないわけではありません。かりにこの立場を徹底させていくと、ドストエフスキーのシベリアにおける転向は「二枚舌」だという結論にならざるを得なくなるわけですから(笑)。これはなかなか勇気のいる主張です。
M バフチンもいろいろな面があるとは思います。ポリフォニーあるいは対話という概念も、できあがってしまったものを見るとワンセットになっていてかえってドストエフスキーからだんだん離れていくような感じもないわけではないのですが、ただ私がある意味で彼の中で最初に反応したのは、今回のアンソロジーの中でも引用させてもらったのですが、人間が自分のことを自分の声で語っているように見えるときでも、その声自身の中にいろいろな人の声の反響が入ってきているということです。つまり、モノローグを否定してダイアローグをしようとかそういう話ではなくて、モノローグというものが成り立ち得ないということです。自分だけの純粋な意識ではなくて、意識の中に他者への顧慮や他者の声がすでに入ってしまっている。
バフチンはラスコーリニコフが母親の手紙のことを考えながら一生懸命自己主張をしようとするバフチン場面を読むのですが、そういう紙に書かれた完全なモノローグにすぎないものの中にいろいろな声を読み取る耳の良さみたいなものがバフチンの根本にあって、そこから話し手の自分と聞き手の自分に対する関係が生まれてきて、結局自己と他者とか作者と主人公というのもその応用問題になっている。別にモノローグを否定してダイアローグを礼賛するとかそういうことではなくて、もともとモノローグはある種のダイアローグでしかあり得ないのだという。
K 今、望月さんのおっしゃったモノローグの不可能性というのは、翻訳をしていくと如実に体験できる部分だと思いますね。自意識の過剰といえば、それで終わってしまうところもあるのですが、自意識の過剰が、じつはモノローグたり得ない、というパラドキシカルな現象が登場人物の意識内で起こる。ドストエフスキーは、意識のミクロなレベルでそれを徹底させていますね。くどいようですが、そこが翻訳者の一番注意すべきところではないでしょうか。つまり、ここからが他者の声で、ここからは自分の――といってもその自分が往々にしてフィクショナルではあるので、仮にそう言うだけですが――声で、という部分は、少しでも注意が散漫になるほとんど読みとれなくなる。実際に翻訳の経験を通して気づいたことですが、バフチンのいうポリフォニーは、一人の声の中に他人の声がおそろしく微細に入り込んでいる。
で、話を元に戻すと、大学を出てからも、ドストエフスキーをそれこそ、未来派風に、「現代の汽船」から放りだしてしまい、ようやく先祖がえりできたのが、五〇代に入ってからということです。五〇代となると、プロを詐称することはできませんし、アマというのも変だ、というわけで、まあ、自己流でやっていくか、と考えたときに遭遇したテーマが、父殺しの問題だったわけです。それには背景があります。ドストエフスキーに改めて向いあうまでの約一〇年間にわたるスターリン文化研究で、私が強い関心を持ったのが、「民族の父」「大いなる父」としてのスターリンでした。これが、けっこう役に立ったわけです。そこで仮説を立てました。一九世紀ロシアの政治構造、ニコライ一世、アレクサンドル二世の治世下で、ドストエフスキーは、想像以上に検閲のストレスを感じながら小説を書いていたのではないか、という仮説です。そしてそのストレスが彼のテクストを内向化させ、幾重もの襞、幾重もの声からなる、声のドラマを作り上げていったのではないか、と。
とはいえ、関心の中心にあったのは、フロイトでした。エディプス・コンプレックスです。ですから、フロイト派の研究者のドストエフスキーを中心に読みました。例えば、『文学の精神分析』(19)を書いたイワン・エルマコフがそうです。そして、何といっても、アルフレッド・ベームでしょうか。彼の「女主人」論である「うわ言の劇化」とか、『悪霊』と『ファウスト』の関係を論じた文章から大きな刺激を受けましたね。さっきのチホミーロフではありませんが、フロイト派の研究者はなぜか「黙過」というテーマに関心を持っています。ベームがその典型です。また、「父殺し」の主題だけでなく、検閲の問題は、基本的にフロイト主義の問題に繋がっていきます。そしてベームの次が、ルネ・ジラールです。これは、望月さんの関心とも共通します。彼もフロイト派で、「欲望の模倣」の理論は、『ドストエフスキー 父殺しの文学』(20)でふんだんに活用させていただきました。
こうして、フロイトから始まって、ジラールにたどり着いたところで、ここから先はもう自分でやるしかない、という気持ちになりました。その後もいろいろな研究所を漁ることになりましたが、自分なりに、フロイト的なテーマのバリエーションを、個々の作品の中から探していこうと考えたわけです。「父殺し」の主題にどれくらいの可能性があるのか、それを自分なりに探ってみたかった。ドストエフスキーのプロの研究者から見ると、恥ずかしくなるくらい貧しい研究史ですが(笑)。
M まず亀山さんの素人と研究者の分け方についてですが、たとえば私が興味を持って読んでいるアメリカの研究者も、ある意味では非常に個人的な関心から議論を始めていて、ただそれをいろいろな形で立証していくときにどれくらい広く物事を参照していくのかというところの差でしかないように思います。単にフロイトといっても扱い方はいろいろあります。一つの概念でも論じる人間によっていろいろ違うわけですから、そういうものを横に広げたり縦に深めたりというところでは文学研究者なのでしょうけれど、最初の発想、あるいはドストエフスキーに対する関わり方の入り口にあたる部分についてはごく個人的で、言ってみれば素人的だと思います。
逆にプロフェッショナルとはいったい何なのか。例えばいろいろな背景知識を持っていて、どんな質問にも答えてくれる何でも屋さんのようなのを言うのか。それともたとえば大学のような安定した入れ物の中にいるおかげで、文学研究のような作業の自明性を疑ったり、説明したりしなくてすんでいる、恵まれた(おめでたい)状態を指すのか。いずれにせよ亀山さんとしてあまりそこにこだわる必要はないような気もしますけれど。
K たしかにそうかもしれません。しかし後発の負い目は物凄くあるんです(笑)。かけている時間が違うという事実がありますし(笑)。
四〇年代の体験
K 個別の作品論に移りましょう。『地下室の手記』以前の作品で、望月さんが一番重要だと思われるのは何でしょう。以前から『死の家の記録』が好きだということをおっしゃっていますよね。たしかにあの作品は非常に膨大ですし、私自身、ドストエフスキーは自らの根源、つまり根本的な部分を隠し続けながら、それを、露出したいという願望に引き裂かれた作家だと思っているのですが、『死の家の記録』にも、彼の文学の根本的な謎を解き明かすような何かを含まれているのでしょうか。
M それは見方によると思います。私の入口は亀山さんとは違ったところにあります。ドストエフスキーがシベリア流刑を経験した一八五〇年代は、四〇年代と六〇年代に挟まれてロシア文学史では消えてしまっている時期なのですが、その頃に作家たちは非常に多くの旅をして、ロシア体験をしているのです。
トルストイはコーカサスに赴いて戦争を体験している。ゴンチャローフは『日本渡航記』の旅をしている。「地理学協会」という文化人類学的な関心を含んだ学術集団がロシア帝国の諸地域を記述していくのもこの時期ですし、劇作家のオストロフスキーなどは「文学的調査旅行」と呼ばれた集団的なフィールドワークで、ヴォルガ地方の探検をしている。私はヴォルガ研究という楽しい共同研究をしているので(笑)、たまたま知っているのですが、そうした時代の雰囲気の中で、文明化された首都とは非常に距離を持ったロシア諸地域の特殊性や多様性が、さまざまな形で自覚され発見されたのではないでしょうか。つまりロシアにはいろいろな場所があり、いろいろな人が住んでいて、民族的にも宗教的にも混交した場に自分たちがいることが、かなりはっきりと理解されていった。それが文学に反映されることで、四〇年代とは違う形で、作品世界に厚みが生まれたのだと思います。
ドストエフスキーにとっての流刑体験というのは、そういうレベルで捉えるのならば、彼がロシアと思っていた世界がずっと広がり、具体化して、自分はロシアを知った、ロシア人というのは存在するのだという主張を、自信を持って晩年にいたるまで主張する契機になったと言えます。自分のロシア感を具体化していったということです。そしてその一つの現れが『死の家の記録』であって、あそこにはいろいろな囚人たちが出てきますが、そこに書かれていることよりもそれを可能にした視点というか、描き方こそが大事なのではないでしょうか。
四〇年代までにドストエフスキーが書いていたことは、ある種の抽象的空間――もちろん場所としてはサンクト・ペテルブルグですが――で、場所はどこでもいいような世界の話だった。それが六〇年代以降になると、ロシア的な風土の中にどんどんと入り込んでいくことで、逆に世界が普遍化されていく。それには『死の家の記録』という作品だけではなく、シベリア体験が非常に大きくかかわっていたわけです。そういう意味であの作品は重要だと思います。そしてもちろん、描かれている人物にしても、後の原型になるようなものが伺えますから興味深いのですが、それはむしろ二次的なことです。まずはあの作品が書かれたということが面白いわけです。
K 認識する空間の広がりとの関わりで反対に西側に目を向ければ、『冬に記す夏の印象』が圧倒的に重要な位置を占めていますね。小説の領域となると、『白痴』でしょうか。ムイシキン公爵が癲癇の治療のために送られたスイスがその代表例です。『悪霊』でもスイスが一つの謎めいた土地として位置づけられていますね。物語の前史ともいうべきスイスでの出来事をちゃんと押さえてかからないと、『悪霊』第一部でのやりとりはほとんど理解できないかもしれません。加えてスタヴローギンの「告白」では、アトス、エジプト、ドイツのゲッチンゲン、そしてついには、アイスランドまでが視界に入ってくる。今回、掲載されているサラスキナさんの『悪霊』論は、抜群の面白さです。で、もういちどシベリアの発見という視点に立つと、やはりそこには、ロシア中心主義的な思考の痕跡が見られるわけです。たとえば、『罪と罰』のエピローグがそうです。ラスコーリニコフの新たな更生を暗示する印象的な場面があります。ソーニャと並んで、イルトゥイシ川の向こうに広がる原野とそこに点在する遊牧民の天幕を眺めわたします。ドストエフスキーはそこに「アブラハムと家畜の時代」を見るわけですが、実際にそこに広がっているのは、イスラム世界です。そこには、むろん作為ではありませんが、やはりドストエフスキーなりの目線で解釈しなおされた世界がある。しかし、『カラマーゾフの兄弟』になると、スメルジャコフとフョードル・カラマーゾフのやりとりに見られるように、イスラム世界がしっかりと視界に入っているわけですよね。
そう、そこで伺いたいのですが、ドストエフスキーはシベリアから首都に宛てた手紙に、「思想や信念は変わるものなのです。人間全体も変わるものです」と書いていますが、どうなんでしょう。一方で、自分は「時代の子、不信と懐疑の子」で、棺桶に蓋がされるまできっとそうだ、と思うと書いている。それでいて、「真理」とともにあるより、キリストとともにある、と宣言するわけです。これは、「転向」の宣言と言えるのでしょうか。
信仰と思想
M そう問われると、そこに転向の問題があるとは感じません。転向というのが、四〇年代には持っていたユートピア社会主義の思想がリアリティを持たなくなったという意味であれば、それはたしかだと思いますが。つまり、こういう人々、こういう世界を対象に、ユートピア社会主義がどんなリアリティを持つのだろうという疑問を持ち、否定的になったということは言えるでしょうね。
K ただ、『死の家の記録』を考えることは、そこにいたる理由の問題に繋がると思うのです。なぜなら、「ペトラシェフスキーの会」で、ドストエフスキーは最終的にどの地点にまで辿りついていたかという問題を無視できないからです。四八年に二月革命が起こり、その翌年四月に彼は捕まるのですが、そこにいたるまでのヨーロッパの盛り上がりの中で、以前は穏健だった「ペトラシェフスキーの会」のメンバーたちも、その一部はかなりラディカルになっていますよね。ドゥーロフ、スペシネフらがその最右翼です。その流れの中にドストエフスキーも身を置いていたとすると、彼はもう、完全にユートピア社会主義の段階を超えていたはずです。つまり、これは完全に仮説ですが、この時点で、彼の思想は、一時的ながらも、歴史的には、一八六六年四月の段階にまで突き進んでいたのではないか、ということです。つまり皇族暗殺です。とてもフーリエ主義の段階に留まっていたとは考えられない。
M フォイエルバッハなどいろいろな思想が入ってきますしね。だからユートピア社会主義というのは総称であって、実体はもっと異なっていたと思うのですが、逆に言えばテロリズムのようなものを、どれくらいアクチュアルに構想し得ていたのか、という疑問もあります。
K たとえかりにそれに近い発言があったとしても、それはナルシスティックで、一時的な言動であったかもしれないということですか。
M そうです。ただ具体的に立証されているのは、プロパガンダをするための印刷機を持っていたということです。そういった言論のレベルでの過激さはあったのだと思います。
K というと、やはり二枚舌ということになるのですかね。
M 二枚舌ではなくて、それは若さということではないでしょうか(笑)。頭でいくら信じていたからといって、実際にピストルで人を撃てはしない。
K しかしそれは、論の立て方として、少し観念的すぎると思います。問題なのは、むしろ罪の意識の持ち方だったんじゃないですか。たとえば死刑制度の問題がある。あの時代、皇帝一族を狙わないかぎり、死刑に処されることはなかった。大逆事件じゃないですが、死刑は、そういう究極の刑罰としてあって、一般の犯罪であれば、何人殺そうが死刑にはならなかった。そういう状況下で、例のベリンスキーの手紙に書かれている農奴制批判、皇帝権力批判を仮に一瞬でもドストエフスキーがよしと思ったなら、彼は、その時点でたいへんな罪を背負いこんだことになる。ことによるとそれは、死刑に繋がりかねない罪といった予感を抱いた可能性だってあるはずです。セミョーノフスキー練兵場でドストエフスキーはどんな心理状態にあったのでしょうかね。問題は、たとえ一瞬であれ、自分が死刑に値する罪を犯した、という認識に立ったか、そもそも自分は無罪である、死刑判決は、完全に不当である、との立場に立ったか、そのあたりの謎を解き明かさないと、その後の、ドストエフスキーの「転向」は十分に説明しきれないのではないか、と思います。
M 何かが変わるとか変わらないということは、あまりよくわからないのです。
K 言説のレベルでは変わりますね。しかしその下にある本音というか、言説を支えている根本的な欲動の部分はどうでしょう。
M そこを語るのは凄く難しいのだけれども、ある人が思想を持っているとか、信仰を抱いているというのがどういう状態なのかという問題があります。
K そこですよね。思想を持つということの意味。
M 信仰というのは無自覚に何かを信じているのが一番強いのかもしれないけれども、そうではない意識的な状態や、自分が信仰を持っているのかを問いかけ答えている状態もある。自らの信仰を再意識化し、外部に対してファナティックに教導する状態もあるかもしれない。つまり、そうした心の状態と意識と言説とが、どこまでいっても包摂され得ないものとしてあるのではないでしょうか。そして思想にせよ信仰にせよ、日常の、皮膚感覚の生活の中にあって、自己と他者の関係のうちでどう振舞うかという、具体的な課題と結びついている。だから言説ではけっして包括できない過剰な、わからないものを含んでいると思うのです。つまりイワン・カラマーゾフの教会と国家論とか、ホフラコーワ夫人の隣人愛をめぐる質問に対して、ゾシマ長老がまず実践的に人を愛せと語りかけるような。
K それはつまり、「作家の日記」におけるドストエフスキーと、小説家との違いという問題にも繋がるでしょう。つまり、思想というのは、やはり一種のパフォーマンスなんですよね。外部に現れたものですから、その人の本音とかかわりなく、世界の様々な言説の中での自分の立ち位置を常に他から差異化していくという行為を怠らない。思想と信条と実感の間には落差がありますが、社会の中で自分の立ち位置を確認し、それを演じていくという側面は常にあるはずです。ですから、「作家の日記」での主張と、小説でのそれとはきちんと切り分けなくてはいけないと思うわけです。登場人物間に成り立つポリフォニー性の原理もそこにあると思います。
M 少し話が広がりますが、彼が六〇年代に唱えた土地主義という思想にも、独自な位置感覚がありますね。西洋派とスラヴ派があるけれども自分はどちらでもなく、真中に立って、両者の和解を唱導するのだという。あるいは民衆と知識人のどちらにも属さず、進歩でも回帰でもないとか。つまりいろいろな二項対立を想定したうえで、どちらも選択しないような位置に自らを置く。そういう身の置き方というのは、ある種の人格を反映していると思いますし、思想そのものの構造としても非常に狡猾にできているという気がします。どちらでもないゆえにどちらでもありうるという。でもそこには、「二二が四は死の始まり」といった言説に結びつく、単純化を嫌う傾向が現れている。有機体として存在するということは、単純なユートピアを描くのではなく、いろいろな矛盾対立を包含して生きることだというような。
これはどこから来た傾向か、考えてみることは意味深いと思います。思想の系譜としては、盟友のアポロン・グリゴーリエフに代表されるような、有機的世界観の流れだと思いますが、個人的には五〇年代の体験も大きいのかもしれません。
K やはり検閲とか、権力との力関係を意識した思想だと思いますよ。私がこれまで「二枚舌」というキーワードを用いてきたのもこの文脈です。つまり望月さんがおっしゃった土地主義の本質にねざす両義性と深く関わっているかもしれません。
少し話が飛ぶのですが、今回、メッセージをいただいたロシア人の研究者の中で、アシンバーエワさんが、ドストエフスキーの最後の日々について書いています。要するに彼が住んでいたアパートの向かいにテロリストのアジトがあり、その事実を彼が知っていたか、どうかという言及があります。このテーマはご存じのように、イーゴリ・ヴォルギンが『ドストエフスキーの最後の一年』(21)で言及しましたね。『アレクサンドル二世暗殺』(ラジンスキー)(22)の翻訳者の一人として、あのあたりについてどう思われますか。二枚舌説を展開している私としても、非常に重要なエピソードなんですが。
M シクロフスキーの『ドストエフスキー論 肯定と否定』(23)にも触れられています。しかしそれは多少あいまいな言及で、ヴォルギンは同じ問題をかなり掘り起こして書いたわけです。それをラジンスキーが展開したという順序です。
K なるほど。私が、このエピソードにとくに反応するのは、土地主義でどちらの側にもつかないという、ある意味で本音を押し隠しつづける彼の態度の曖昧さが透けて見えるからです。ドストエフスキーが西欧派に与していなかったことは事実です。ニコライ・ストラーホフやアポロン・マイコフといったスラブ派のイデオローグとの付き合いがそれを物語っている。しかしそれでもなお、彼らに対しては左寄りの地点にいるわけです。自分の立ち位置に恐ろしく神経を払っている。
ですから、キリスト教、あるいはロシア正教によって世界を救うというヴィジョンは、一種のパフォーマンスだったのではないかとさえ思うのです。私は相当に疑い深い男のようです。つまり、そうした救いのヴィジョンを提示できるには、もう少し神がからないと駄目だったのではないか、と(笑)。
M たしかにそうだと思うのですが、もう少し腑わけして考えるべきだろうとも思うのです。例えばドストエフスキーが教会をどう思っていたのかということと、皇帝政権、あるいは官僚体制をどう考えていたのかということは、別個の問題として丹念に論じたほうがいい。それに皇帝というのも、個別の顔を持っている。たとえばドストエフスキーをシベリア送りにしたニコライ一世は、デカブリストの乱で洗礼を受け、ヨーロッパの二月革命に戦慄した、猜疑心の強い厳父といったイメージでしたが、それに比べれば、彼のシベリアからの帰還を迎える形になって、くしくも同じ八一年に死んだアレクサンドル二世というのは、軟弱な理想主義者のイメージが強い。農奴解放、裁判制度の改善をはじめ、近代化を加速する一連の改革を行いましたが、後年には内外のさまざまな矛盾を解決できない無能さをさらけ出し、またスキャンダラスな不倫をしたりして、いろいろな層に懐疑を持たれていたこともあります。彼に爆弾を投げた人民の意志派というのは、彼が行った農奴解放の鬼子のようなものですから、皇帝暗殺も見方によっては皮肉なオイディプス物語のようにも読めます。こういういわばひ弱な、矛盾だらけの、いけにえのような皇帝を、ドストエフスキーはどう見ていたのか。ポヴェドノースツェフのような保守派のイデオローグとは、弱い皇帝に対する危機感を共有していたように見えますが。
つまり、いろいろなことがあるわけで、それを単にプラス・マイナスのベクトルだけで評価してもわかったことにはならない。教会についても、ピョートル大帝の時代に総主教座を廃され、宗務院という世俗機関の管轄化に置かれてしまった骨抜きの姿に対して、ドストエフスキーはどう思い、その中で例えば長老という存在をどう位置づけようとしていたのか。それを考えるならば、信仰ということでも決して一義的ではない。理想的なものと、現状と、他と比べたときとの相対的な位置づけとがあって、決して単純ではないと思うのです。
K でも、それは「作家の日記」のレベルにおけるドストエフスキーじゃないですか。「作家の日記」の中に書かれた本音を、完全にあぶりだすことができれば、それはそれで有効だとは思いますが。
父と子の関係
M 先ほども語られていましたが、亀山さんは「父と子の関係」にこだわって書いてらっしゃいますね。亀山さんのドストエフスキー論の根本的なテーマになっているような気がして、私もそれはドストエフスキーの非常に大きなテーマだと思います。先ほど言ったホルクィストもそういう面から論じています。ただ、父にもいろいろいるし、子にもいろいろいる。今度の『未成年』論の中である程度他の作品とこれがどう関係があるのだろうと考えていたのですが、やはり一番大きな関係は父と子ということで、ドストエフスキーの中で父の見え方が変わっている。『罪と罰』ではほとんど父は見えない。いるのだけれど見えない。『白痴』の中ではある種死んでしまう父がいるし、父の名誉という問題がクローズアップされる。あるいは父に対する恥ずかしさといったようなテーマがすでに出ている。『悪霊』はかなり「父と子」論になっています。『カラマーゾフ』では複数の父像と複数の子像が出てくる。『未成年』とあえてくっつけて言うなら、父に対して恥ずかしいという感情を持ってしまう子たちがいて、それに対してどういう感情処理をするのかという問題が前景化しています。先ほどのアレクサンドル二世に対する国民の感情と引き比べると少し面白いですが。
いずれにせよ子供の父親への態度にも、いろいろな形がある。反発して対抗するやり方もあるし、無視する、あるいは超越しようとするやり方もある。さらには、父の身代わりになろうとする、あるいは父の恥を自分の恥のように感じ、なんとかリカバーしようとするようなやり方もある。仮にそういう三つのタイプを想定すると、それが『カラマーゾフの兄弟』の三人の子になっているような感じがします。でも『未成年』の場合、子は一人しかいないから、自分ひとりでその三つの役割を兼ねているような曖昧さがある。父と子の関係はフロイトでも読めますが、フロイトだけではひょっとしたら足りないのかもしれない。もっといろいろなモデルを参照したい気がします。
K 今の話を聞いていて二つ思ったことがあります。まず、恥の感覚についてですが、ドミートリー・カラマーゾフが首にぶら下げている巾着のモチーフ、あのあたりの恥の感覚の分析は本当に難しい。訳者としてもすっきりしない部分がありました。でも、ドストエフスキーが恥というか恥辱をどういう地点で考えていたかということはやはり大事な問題だと思います。恥辱の認識というのは、一人の人間の倫理的な出発点になることですから。ドストエフスキーがどういうところに何をもって恥を考えていたのか。一方で恥の対極には正義があると思いますが、一体正義とは何なのか。ドミートリーの悲劇というのは、恥と正義が一体となった独特のメンタリティに潜んでいるわけですよね。どうしてもっと素直にならない、と、こっちのほうが叫びたくなるほどです。しかし、ことによると、この恥と正義の、非常にパーソナルな結合の仕方にこそ、ドミートリーのトラウマがあるのかな、とも思います。それが第一点です。
M ドミートリーがカチェリーナから預かった金を半分だけ使い込み、残りを首にかけて持っているのを、なぜ恥ずかしいと感じたのか。確かにわかるようでわからないところがありますね。こう考えたらどうでしょう――仮に全部使ってしまったなら、自分は相手の信頼をないがしろにして、善意の人対裏切り者という役割関係を一〇〇パーセント確定したわけで、その行為・立場に対する恥辱感と責任を全部引き受ければいい。しかし半分だけ残しておくというのは、あくまでも相手の信頼をひとたび金に換算した上で、それを半分だけ裏切る。役割関係の結び方にも、恥辱や責任の負い方にも、二重三重の計算、アリバイ作りの意識が働いていて、それが恥ずかしいのではないでしょうか。
これは間接的に、亀山さんも論じている、冬宮の爆破計画を耳にしたら密告するかどうかという問題にも繋がるような気がします。ドストエフスキーにとっては立場は何であれ、密告という行為は恥ずかしいものだったはずです。しかしある意味では、密告したおかげで冬宮爆破が防げたとしたら、それは正しい行為かもしれませんよね。でもドストエフスキーの考えはそうではなかった。正しい目的だから卑劣な行為をしてもいいというのは、アリバイ作りの発想なのです。人の金を半分だけ使い込むみたいにね。
K その正義感、恥辱の認識というのは、非常に古風ですよね。
私の論点のもうひとつは父と子の問題ですが、『カラマーゾフ』の兄弟三人のフョードルとの関係性はそれぞれにずれていますね。対立、無視、超克、いろいろです。で、望月さんのおっしゃっていることを敷衍すると、カラマーゾフ三兄弟ないしスメルジャコフも入れた四兄弟の父親に対する対し方が、例えば『未成年』だと、アルカージー・ドルゴルーキー一人に集約されている。そこで、さまざまな亀裂と矛盾が生まれるということになると思います。ただ、『カラマーゾフの兄弟』に示された三つないし四つの父と子の関係、あるいは子の側からの態度に、フロイト的なものを見るのか、反フロイト的なものを見るのか、という二つの視点に集約されると思うのです。反フロイト的なものを別の言葉で言いかえると、ニコライ・フョードロフが唱えた、父殺しならざる父祖信仰です。つまり、ドミートリー、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフという四つの類型も、究極的には二つに集約されるのかなと感じるのです。小説のテクストそのものは恐ろしく多様ですが、しかし思想的突き詰めていくとその二つ、父殺しか父祖信仰かのどちらかに集約されるような気がします。
M なるほど。『カラマーゾフ』ではゾシマがいて、「肉の父」と「霊の父」のような二重構造になっていて、ゾシマとアリョーシャの関係はフョードロフかもしれないですね。
K 父と子の問題が望月さんの関心の中にも浮上してきていたということですが、現代日本の作家たちも、父の問題をかなり意識して書き始めている。村上春樹さんに始まって、高村薫さん、そして大江健三郎さんの最新作などは、もろに父と子のテーマを前景化させている。しかしこのテーマ設定において、恐ろしく悲劇的なパトスに満たされているのが、大江さんだと思うのです。『水死』(24)の世界は、ちょっと言葉にできないくらい、複雑な構造をなしている。『金枝編』(25)における王殺しは、一種のカムフラージュです。フロイトでは『水死』の世界は解けない。作家の悲痛な叫び声が聞こえてくるようです。
フロイト的読解を巡って
K 私は今、『悪霊』の翻訳を始めたところですが、第一部の冒頭で展開されるステパン・ヴェルホヴェンスキーとワルワーラ夫人のやりとりが実に面白いです。今までは、なぜこんなつまらない書き出しで始めたのだろうか、と残念に思っていたくらいですが、この歳で読むと一味もふた味も違う。あの場面のドストエフスキーの描き方は、見事の一言に尽きる。で、現代の成熟した読者なら、こういう行き違いのコメディーを、けっこう楽しめるのではないかと思いますね。で、じつをいいますと、私の夢は、この『悪霊』の翻訳を出すことでした。では、なぜ、『悪霊』か、というと、簡単です。
そもそも、五〇代に入った私がドストエフスキーに関心を持ったのは二〇〇一年の九・一一のあの時期なんですね。ロンドンのホテルでツインタワー崩落の映像を見たとき、これがドストエフスキーのテーマになると思ったのです。まさに「黙過」のテーマです。でも、そのとき、「これって大学時代に考えていたことと同じだね」とも思ったんですね。
私が、ドストエフスキーで一番に関心を持っていたのは、「憐憫」のテーマです。「共苦」という言葉を使用するようになったのはつい最近のことです。で、大学四年生くらいで、ろくに世間のこともわからずに生きている文学青年にとって「憐憫こそ悪である」ということを知ったのは、やはりショックでした。憐憫は、ロシア語では「サストラダーニエ」という言葉をあてはめますが、これは、ともに苦しむの意味です。「憐憫こそ悪である」という発見に立ち入らせてくれたのが、『悪霊』でした。『悪霊』の中でスタヴローギンがマリア・レビャートキナと結婚しますが、あの結婚の仕方は賭けで「これで俺が負けたら結婚してやる」みたいなことをやるわけです。その一方、スタヴローギンは、恐ろしく偽善的な行動をとり、シャートフから平手打ちを浴びる。そして最後には、脚の悪いマリヤを使嗾殺害してしまう。では、スタヴローギンに、マリヤに対する憐憫の情が少しもなかったか、というと、やはりあったと思うんですね。たんに偽善と言い切るのではなくて。
つまり、憐憫という、ある意味ではキリスト教的な倫理観の根底にひそむ偽善性、二重性みたいなものに関心を持ったのです。大学時代、『悪霊』の中で非常にショックを受けた場面があります。それは、リーザと一夜をともにしたスタヴローギンが、スクヴォレーシニキの別荘から遠く火事の現場を眺めやる場面です。そこでは、惨殺されたマリアの遺体が横たわり、火に焼かれている。それをスタヴローギンは無意識のうちに眺めている。ご存じのように、これは、ベームが、『ファウスト』との影響関係を論じているところですが、こういう場面にむしょうに惹かれたのは、やはりキリスト教的な倫理観にある種の偽善を感じていたからだと思うのです。でも、その当時は、「黙過」という言葉を知らず、また、そうした関心の起源をどうやって客観的かつ文学として語るかという能力も知識もないままに、大学時代が過ぎてしまいました。で、九・一一のときに、この場面をも含めて、私の関心の中に『悪霊』のスタヴローギンがにわかに浮上してきました。ちょっと大げさな言い方を許してもらえば、私にとっての第二の出発点です。望月さんが指摘されたマルティンセンの「恥」のように、ドストエフスキーの専門家の少なくない部分が、かなり個人的な動機からを糸口として研究し始めるということがあるとするなら、私の糸口は、「憐憫」だったわけです。
M 憐憫や倫理の問題をフロイトのような立場に還元してドストエフスキーを読んだ極端な例が、エリザベス・ダルトンだと思うのです。
『白痴』のムイシキンというのは、フロイト的に言えばモラル・マゾヒズム(いったんは超自我として内向したエディプス・コンプレクスがふたたび性的な意味を持ち始める現象)の症例で、他者のうちに愛の対象、および自らを処罰する「親」を求める幼児的な存在ということになる。善も悪も客観的な指標としてあるのではなくて、依存や嗜虐などと結びついた、人格のパーツとして構造化されてしまっているかのようです。こうした読み方は、先に話題になったバフチンの場合とはまったく反対の極に導きます。バフチンが人間の意識の自由と対話性を前提にして、作中の発話の意味や責任性を問おうとするのに対して、フロイト的な読み方では、作中の言葉がひとしなみに下意識レベルの象徴と化してしまうからです。もちろんどちらの読み方も成り立つわけですが。
善と悪、あるいは憐憫と不関与というのは、ドストエフスキーに限らず、ある種の実践の課題としてあるわけですよね。どちらか一方に解決すべき理論的問題であるというよりは、それぞれを実践したときに必ずぶつかる矛盾にどう対処するのかという問題です。憐憫が上からの目線だというのは、頭ではわかることですが、では憐憫を拒絶すれば話が終るのかと言えば、決してそうではない。その先がまだあるわけです。だからムイシキンにしろだれにしろ、理念と現実がぶつかるところには常にジレンマがある。そして、そのジレンマにぶつかってからどうするのかという話を、ドストエフスキーは書こうとしていたのではないでしょうか。だから終わらないわけです。ムイシキンを書いて、『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャを書いて……という具合に問題の終わらなさがあって、それをフロイトで解こうとすると、ある意味では簡単に片づけすぎてしまうのではないかという感じがします。
K 憐憫や共苦という精神の営みは、ある種の実践の課題としてある、というのは、非常にリアルな見方だと思います。たしかにそうなのかもしれません。たぶん、このあたりに、ドストエフスキー理解においてぼくと望月さんが決定的に異なるところかもしれませんね。おっしゃるとおり、フロイトの理論はかなり図式的です。といって、私は、解決すべき理論的問題として捉えているわけでもないのです。フロイトを意識することによって、つねに一種の原罪の観念に立ちかえることができる。私自身は原罪の感覚でしかドストエフスキーを読めない。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが、イワンに対して「父を殺したのはあなたじゃありません」という有名なセリフがありますね。単純に読めば、文字通りの意味です。しかし、イワンの耳には、それが「父を殺したのはあなたです」と聞こえているはずです。原罪の耳がそのように聞くのです。そして意識のどこかでアリョーシャも、そう言っている自分を意識している。これも一種のポリフォニーじゃないでしょうか。それはともかくも、読み手の原罪の意識に呼応しているからこそ、そういう解釈と結びつくわけです。いずれにせよ、フロイトに帰結させるとそこで一つの完結したドストエフスキー像が作られてしまいます。だから何なの、と問い返されたら、もう、「これが私のドストエフスキーです」と答えるしかない。その段階では、実践の課題は消えてしまう。そこで、この「私のドストエフスキー」をどうやって壊し、どうやって「他者のドストエフスキー」の物語として再生させられるか、それが私なりの課題になっているわけです。これは非常に難しい課題で、読み手としての私の力量が問われるところです。望月さんの質問に対しては、結局、私自身が、フロイトの解釈をどうやって拡張していったのかということでしかお答えできません。ドストエフスキーはもちろんフロイトを読んではいませんでしたし、彼は自分が経験した意識下のドラマをほとんどむき出しのまま意識上のドラマへと転換させていったわけですから、ドストエフスキーをフロイトに収束させていったらそれこそ作家に対して失礼にあたります。では、どうやって拡張させていくか。というと、文化論的な視点の導入です。サド・マゾヒズムの問題、分離派、異端派の問題というあたりですね。つまり、ロシア文化の基層との関係性にまで関連づけていくという方法です。最終的には、皇帝殺しや神殺しにまで繋がります。そういう波状的な広がりをイメージしています。
だからじつは、結論が見えているわけです。最終的にドストエフスキーが神殺しのテーマに到達するということは、フロイト主義の文脈から見えてくる。では神殺しのテーマは、ドストエフスキーの小説でどのように表象化されているのか。結論から先に言うと、神殺しのテーマは、すでに『悪霊』で終わっている。チーホン主教の庵室で行われる「告白」の朗読に示されています。「皇帝殺し」のテーマは『罪と罰』の中に萌芽的にあって、最後は、『カラマーゾフの兄弟』の書かれなかった続編で書かれるはずだった中心的テーマです。つまりフロイト主義との延長の中で見えてくるドストエフスキー研究の最終地点は、『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想するということに尽きるわけです。私自身、じつは、それ以降のテーマはなにも発見できていません。
M それは非常に面白い論点ですが、さっきも触れたホルクィストという人が、フロイト的なドストエフスキー読解を展開させ、ある意味で発展させていると思うのです。それはつまり、フロイトを使うならば、人間は父と子でも子同士でもライバル関係にあり、どちらかがどちらかを殺すということになるのですが、ホルクィストはその前のフロイトを考えているわけです。なぜ父殺しが起こるのか、あるいは父を殺した子たちはどうなるのかということです。子たちは結局、自分たちも父になるわけですよね。ライバル関係の中で自分がずっと子だとしたら、それはずっと終わらない関係か、殺して終わるだけの関係ですが、実際の人間は自分が親になって、子との関係を築いていく。それを見据えなければ父殺しには意味がないというわけです。
ルネ・ジラール的な議論では、人間は欲望の模倣の構造から逃げられないように見えるけれども、実際にはいつまでもそれに囚われるのではなく、必ず父になり、別の関係を、あるいは同じ構造の中でも別の立場へと自らを置く。それで話が展開していくわけですね。『カラマーゾフの兄弟』の中にもそのテーマは入っていると思うのです。アリョーシャが最後に、子どもたちのリーダーになっていく。つまりシンボリックな意味での父になっていく。
K 私も今まさにその場面をイメージしていたのですが、「カラマーゾフ万歳」のシュプレヒコールで「第一の小説」は終っていくわけですよね。しかし、あれはフロイト的というよりも、フョードロフ的な世界観による一つの決着の付け方であるわけです。ホルクィストが述べたような、子が父となり父は殺されていくという段階的なプロセスを考える場合、やはり、卵と鶏の関係が生じてくるのですよ。つまり、父殺しが先か、父親崇拝が先か、という。端的に言うと、フロイトが先か、フョードロフが先か?つまりフロイトを乗り越えるものしてフョードロフが意識されているのか、あるいは、フョードロフの不可能性の意識のもとで、フロイト的な父殺しが一つの宿命的なドラマとして想定されているのか。私は、フョードロフの段階の次に、フロイトが来ると思っているわけなのです。つまり、フョードロフ哲学の根幹をなしている父親崇拝は、兄弟愛を前提にしているわけです。逆に、父殺しは、兄弟殺しと同一のレベルで生起する現象です。では、少なくとも表面的には、「父殺し」への加担から免れたアリョーシャが、「カラマーゾフ万歳」でもってフョードロフ哲学の体現者としてあった場合、彼がその後次の段階のステップを踏む時には、少なくとも彼が父になる物語としてではなく、むしろ子として再生する物語に転化するような気がするんですね。「第一の小説」の終わりのアリョーシャは、フョードロフ的な世界観における父のイメージを体現していると思います。しかし、「第二の小説」では、皇帝殺しの主役あるいは脇役なることで、彼は、フロイト的な子として再生し、子としてのステイタスに永遠に留まることになるだろうと思います。次はありません。子は子として終わる。『カラマーゾフの兄弟』にはそういう構造があるような気がしてなりません。
性による生命力の横溢
M ところで、亀山さんが今一番面白いのは、どの作品ですか。
K 私にとって『地下室の手記』以前の作品で何が一番面白いかといえば、やはり『女主人』なんですよね。今回もディラクトールスカヤが、『女主人』との関連でドストエフスキーにおける去勢派の問題を論じた文章が掲載されているわけですが、ドストエフスキーはこの小説を書いた時点で、はっきりと父殺しのテーマを意識したと思います。周到にカムフラージュされていますが、根底に刻みこまれているのは、父殺しです。それが去勢派の問題とどう繋がってくるのか。非常にスリリングです。カテリーナの父のムーリンは去勢派になるという仮説ですが、ドストエフスキーはどうしてそういう物語構造を設定したのか。このテーマを意識し、設定したドストエフスキーがその後フョードロフの哲学に入り込んでいったのは必然的だったと思いますね。去勢派の問題に惹かれるのは、惹かれる本人が生命力の塊だからです。カラマーゾフ的な生命力の横溢を体全体で感じていたドストエフスキーは、ある段階でリビドー的なものをすべて拒否し、否定していく人々の存在を知ってものすごいショックを受けたと思います。そういった人々に仕返しを受けるかもしれないとさえ思ったかもしれません。生命力の塊ゆえに懲罰を受けなければいけないと。それが一八四〇年です。フーリエの発見とほぼ同時期に起こったと思います。これも原罪の意識から生まれています。要するに、殺されるべき父の側に立ったということです。その意味で『カラマーゾフの兄弟』の出発点は、すでに一八四〇年代にあったのではないでしょうか。
M つまりドストエフスキーは去勢派を外から見ていた。
K というか、自分のもう一つの自我として見ていた。ですから最初の妻のマリア・ドミートリエヴナの死に際して、ドストエフスキーが「手帖」に書きこんでいる「娶らず、嫁がず、御使いのように生きる」という理想も、結局は、キリストの理想が、アンチセックスを志向せざるを得ない、と読んでいたと思います。フョードロフ自身、男女の性を父祖を忘れさせるものとして否定していたのですが、この時点でのドストエフスキーの言葉には、後に一八七〇年代に生まれるフョードロフの思想との出会いを予感させる下地が垣間見られると思います。あれこそ、まさにもう一つの自我が書いた自分だと思うのです。
M 去勢派というのは、内側から言えば、自分のエディプス的な葛藤を自分で処理してしまう、あるいはそういった構造を拒否してしまうということですか。
K そこですよね、面白いのは。そこはきちんと考えなければいけませんね。エディプス・コンプレックスの基本は、父に去勢されるという恐怖の下で父殺しの願望が抹殺されるということでしょう。だから、去勢されてしまえば、その恐怖を感じないですむわけですから、逆に父殺しの特権を得たのと同じことを意味します。去勢してしまえば、怖いものなしです。スメルジャコフがまさにそうです。フロイト的にも理屈は通じる。
M 父殺しを前提にすればですよね。
K そう。
M そういう葛藤自体を解消してしまう、あるいはないことにしてしまうのが去勢かもしれませんよね。先ほどのカラマーゾフ三兄弟の分業論で行けば、父親のライバルになるのでもなく、父親を救おうとするのでもなく、関係性を拒絶して超越しようとするような。もっとも、そうして抑圧した過剰なものが別の人格として結実してしまうのかもしれない。イワンに対するスメルジャコフのような。
K たしかにそこが、フロイト主義との分かれ目になるのかもしれません。去勢派は、鞭身派との連続性というかその超克という形で誕生してきますが、確かにないことにしてしまうという要素はあるのかもしれません。しかし私の考えでは、やはり去勢派のほうがはるかにファナティックに、神との一体化を希求していると考えられるので、最終的にスメルジャコフも、本来であれば、はるかに強烈な神を希求した人間でなければならない。しかしスメルジャコフは神を信じていたのでしょうか。『カラマーゾフの兄弟』で、作者は、スメルジャコフを、イワン・クラムスコイが描いた『観想者』に見立てていますが、それが確かであれば、彼は、分離派ないし異端派に属している苛烈な信仰者ということになるわけです。そのあたり、望月さんはどうお考えです?
M どうなんでしょうか。私はむかし『カラマーゾフの兄弟』をイエズス会的な決議論との類推で解釈しようとしたことがあって、そのときはイワンをカトリックの教皇、スメルジャコフをイエズス会になぞらえて考えていました。イワンの国家と教会の関係論や大審問官の論理が、ドストエフスキー風に解釈したカトリック教会の論理で、スメルジャコフはその論理をラディカルに読み取って実行に移す「前衛的肉弾」としての修道会である。しかもついには言説の徒でしかない指導者を軽蔑し、脅かす存在になるのだと。今思えば、この複雑な人間関係の一面を捉えただけだし、フロイトとは直接つながっていないのですが。
K 結局、ドストエフスキーは、カラマーゾフ的な生命賛歌の基盤を二つの場所においていたのだと思います。一つはシラー的な理想主義です。『カラマーゾフの兄弟』でドミートリーがシラーの詩を朗読しますね。そして、もう一つは性愛です。イワンがそれを体現していると思います。そこに、ある種のエクスタティックなものと、それによって味わう生命の充足がある。アリョーシャは、それに対するアンチテーゼでしょうね。先ほどフョードロフ的なアンチセックスの立場です。
それは、『カラマーゾフの兄弟』つまり「第一の小説」で、イワン=スメルジャコフによる父殺しが完結し、最後に「カラマーゾフ万歳」のシュプレヒコールの叫びがこだますとときに、ドストエフスキーは何を念頭に置いて「万歳」を叫ばせたのか、という問題に繋がっていきます。一方において、「カラマーゾフ」を、生命の全体性のメタファーとしてとらえ、さっきの生命賛歌の文脈で言えば、シラー直系のヒューマニズムと、例えば、まさにフロイト的リビドーの二つの肯定が根底に脈うっていると見てよいかもしれません。かりにアレクセイ・カラマーゾフを、そうしたカラマーゾフ的な全体性のシンボル的存在とみなすなら、彼こそは、去勢派スメルジャコフにとって最大の敵となったはずです。でも、ここで解釈は分かれるのです。私自身は、「カラマーゾフ万歳」について考えるたびに、つねに二つのことを考えてしまうのです。第一は、生命の全体性の肯定とか、生命賛歌といった何かしらディオニュソス的なもの、第二は、未来に向けてのベクトル、つまり、純粋に精神的な共同体としてのカラマーゾフ、この場合、子どもたちは、「アレクセイ・カラマーゾフ万歳!」と叫んだにちがいありません。なにしろ、コーリャたち一二名の子どもたちが、この時点で、生命の全体性の肯定といったことを理解していたとは考えにくいですから。むしろ、そこでは、父祖崇拝と兄弟愛がミックスされた、つまり、これこそ、フョードロフですよ、さっき引用した「娶らず、嫁がず、御使いのように生きる」にも通じるわけですが、「アンチセックス」の共同体としてのカラマーゾフ。
先ほど望月さんが紹介された、ホルクィストのサイクルでいえば、アレクセイ・カラマーゾフはすでにそこに理想的な父として立っている。ゾシマと理想的に一体化しているアリョーシャです。精神的なもののみで成立する共同体です。その中でアリョーシャは、子どもたちすべてにとっての父です。ここには、フロイト的な父殺しの対象としての父親ではなく、フョードロフ的な純粋に崇拝の対象の父親がいる。それが次の「第二の小説」で皇帝殺しへ向かうときに、彼は改めて父から子に逆転する、というか反転する。そういう構造としても読めるのではないですかね。
そこで、「第二の小説」について言うと、私はこう考えています。予想される皇帝暗殺は未遂に終わります。コーリャ・クラソートキンが実行犯で、アレクセイ・カラマーゾフは、使嗾者としての立場に立つのではないでしょうか。イワンとスメルジャコフの関係がパラレルに提示されます。しかし、アレクセイが裁かれることはありません。「第二の小説」で、最終的に提示されるのは、やはり土地主義の理念です。しかしより能動性を帯びていると思います。西欧派でもなければ、スラヴ派でもない。極左テロリストでもなければ、皇帝権力べったりでもない。ドストエフスキーは、引き裂かれた自己というのを、土地主義に見出していた。右もだめ、左もだめなら、下を、つまり大地を見よ、ということかもしれませんね。で、最終的に「第二の小説」では、彼の二枚舌が、永遠に引き裂かれた二つの自我が統合される物語となるはずです。それこそが、皇帝権力とテロリストの和解のヴィジョンです。ドストエフスキーは、永遠の自己矛盾の止場という形で、作家としての生涯を終えたいと念じたように思います。
M そうですね、また斜に構えたと言われるかもしれませんが、小説の後編を想像するという思考の方向自体が私には新鮮で面白いし、ロシア人にとっても興味深く受け止められているようですよ。いつだったか来日中のロシア人学者に、亀山という有名な学者が『カラマーゾフの兄弟』を新訳して人気を博しているばかりか、続編まで書いたというのは本当かと訊かれました。ある意味で当たっていると答えておきましたが。まあ私の関心からいくと、ちょうど今日の話には女性もしくは母性の問題が出てこなかったこともあって、三兄弟それぞれの女性との関係がどのように展開していくのかという、多少通俗的な側面が気になります。その際、ドミートリーおよびイワン、アリョーシャの母親たちの原型的な記憶がどのような役割を演じるのかも。ただ、女性・母性論はまた大きな話題ですので、宿題としておきましょう。
¶ 註
(1) 望月哲男「決疑論の展開:『カラマーゾフの兄弟』の一面」江川卓・亀山郁夫編『ドストエフスキーの現在』(JCA出版、一九八五)
(2)望月哲男『ドストエフスキーのいる現代ロシア文学』(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html)
(3) Тихомиров Б.Н. «Лазарь! гряди вон»: Роман Ф.М. Достоевского «Преступление и наказание» в современном прочтении: Книга-комментарий. СПб.: Серебряный век, 2005.
(4) Glucksmann A.,Dostoievski a Manhattan.Paris:RobertLaffont.2002.
(5) ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟』第五巻(光文社、二〇〇七)
(6) 亀山郁夫著『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』(光文社新書、二〇〇七)
(7) ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(筑摩学芸文庫)
(8) Бем А.Л. Достоевский. Психоаналитические этюды. Берлин, 1938.
(9) アンドレ・シード(寺田透訳)「ドストエフスキー」ジード全集第一四巻(新潮社、一九五一):O’Connor F.,“Dostoevsky and the Unnatural Triangle,”The Mirror in the Roadway:A Study of the Modern Novel,New York,1956:ルネ・ジラール(古田幸男訳)『欲望の現象学――ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』(法政大学出版局、一九七一)
(10) Dalton E.,Unconscious Structure in The Idiot:A Study in Literature and Psychoanalysis.Princeton U.P.,1979.
(11) Holquist M.,Dostoevsky and the Novel.Princeton U.P.,1977.
(12) Cox G.,Tyrant and Victim in Dostoevsky.Columbus:Slavica.1984.
(13) ジェフリー・カバト(小箕俊介訳)『イデオロギーと想像力――ドストエフスキーの社会像』(法政大学出版局、一九八七)
(14) Murav H.,Holy Foolishness:Dostoevsky’s Novels & the Poetics of Cultural Critique.Stanford U.P.,1999.
(15) Thompson D.,The Brothers Karamazov and the Poetics of Memory,Cambridge U.P.,1991.
(16) Meerson O.,Dostoevsky’s Taboos.Dresden U.P.,1998.
(17) Rice J.,Dostoevsky and the Healing Art: An Essay in Literary and Medical History.Ann Arbor,1985.
(18) Martinsen D.,Surprised by Shame:Dostoevsky’s Liars and Narrative Exposure.The Ohio State U.P.,2003.
(19) Ермаков И.Д. Психоанализ литературы: Пушкин, Гоголь, Достоевский. М.: Новое литературное обозрение. 1999.
(20) 亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』(NHKブックス)
(21) Волгин И. Последний год Достоевского: исторические записки. М.: Советский писатель, 1986.
(22) エドワード・ラジンスキー『アレクサンドル2世暗殺(上下)』(日本放送出版協会、二〇〇七)
(23) ヴィクトル・シクロフスキー『ドストエフスキー論 肯定と否定』(勁章書房、一九六六)
(24) 大江健三郎『水死』(講談社、二〇〇九)
(25) ジェイムズ・フレイザー『金枝篇』(筑摩学芸文庫)
(かめやま いくお・ロシア文学)
(もちづき てつお・ロシア文学)
『現代思想』(2010 vol.38-4)「総特集 ドストエフスキー」より
さまざまな読解
望月(以下M) 今回、亀山さんとの責任編集を引き受けるにあたって、私なりにいろいろなコンセプトを実現したいと考えました。しかしまずは、亀山さんがどういう発想で編集にあたられようとしていたか、また、どうしてこういうラインナップになったのか、といったところをいっしょに議論していければ、と思います。
亀山(以下K) では、お言葉にあまえて私のほうから、少しざっくばらんにお話ししたいと思います。『カラマーゾフの兄弟』そして『罪と罰』の新訳が出て、多くの読者からたくさんの好意的なメールや手紙をいただきました。他方、私のドストエフスキー理解に対する根本的な批判や、否定的な意見も投げかけられました。しかし、そういった諸々の渦の中で感じたことがあります。どうして、他のだれでもない、ドストエフスキーに、今もってこれだけの求心力があるのか、という思いです。それを今さらながら確認したわけです。四〇年ぶりに出た新訳によって、ドストエフスキーに一定程度の読者の広がりができたことはとても喜ばしいことですし、望月さんの『白痴』新訳が出た暁には、ますますその勢いは強くなると思います。で、それだけの読者がいるなら、ドストエフスキーについてもっと知りたい、という潜在的な欲求を持った読者が少なからずいるはずだと思ったのです。最近では、大江健三郎さんが中心となった『21世紀ドストエフスキーがやってくる』(集英社)、さらに、実質的な沼野充義さんの編集による雑誌『ユリイカ』の特集号(二〇〇七年十一月号)がありました。で、今回、望月さんとの責任編集では、『現代思想』という媒体の性格もありますから、少しプロフェッショナルに、凝れるだけ凝ろうと考えたわけです。寛大な望月さんに随分わがままを言いました(笑)。
M たしかに凝った作りになりましたね。私もかなりわがままは言いましたよ(笑)。
K で、これまで私自身、ドストエフスキーと向かい合う際には、ごく限られた視点からしか語ってこれませんでしたし、ドストエフスキーに新たに挑戦しようとする読者、あるいはすでにそれなりに深いレベルでの経験をしている読者たちの読みの可能性を逆に押し狭める形になるのではないかという懸念もありました。ですから、日本はもとより広くロシアの研究者たちや日本の作家たち、批評家たちの力を借りて、ドストエフスキーにを原語や翻訳を通して接しているさまざまな人たちがどういう視点から今ドストエフスキーを見ているかといことをできるだけ網羅的に紹介したほうがよいのではないか、と考えました。現代作家の私的なレベルのエッセイから最先端と言われるロシアの研究者たちの問題意識も含め、全体的な視野の中に読者を巻き込んでいきたいという思いが今回のプロジェクトで実現させたかったことです。
で、私はこれまで、ドストエフスキーにアプローチする際に、常に「二枚舌」とか「使嗾」とか「黙過」といったキーワードを用いて論じてきました。むろん、それだけがドストエフスキーではありません。まずは、それを知ってもらうと同時に、もう一度自分自身が取り組んできたドストエフスキーの意味を、より包括的なパースペィティブに位置づけ、考え直してみたいという個人的な動機もありました。望月さんという最高のパートナーを得て、なんとか実現にこぎつけることができました。
望月さんのドストエフスキー研究の凄さを知ったのは、一九八五年にお書きになった「決疑論の展開」という『カラマーゾフの兄弟』論(1)で、これには非常に鮮烈な印象を受けました。問題意識の現代性という点から言ってロシアの研究者に劣らない優れた独自性があると感じました。また、ロシアの現代作家たちにおけるドストエフスキー受容をまとめた「ドストエフスキーのいる現代ロシア文学」(2)も、ちょっとした神業でしたね(笑)。あの手際のよさにはほんとうに驚かされました。私はどちらかというと、情緒的な面からがむしゃらに作家に向かっていく読者の代表です。それに対して、望月さんはちょっと斜には構えているけれど、掴んでいるポイントはつねに中心といった研究スタイルで、常日頃からそれに非常に惹かれるものを感じてきました。そこで、私と望月さんがそれぞれ対極的な側面から全体を俯瞰することができれば、先ほど述べたようなプロジェクトは成功するかもしれない、と考えたのです。
で、私から先に言わせていただくと、今回、増刊号を組むにあたって、最初に閃きとしてあったのが、ボリス・チホミーロフの『罪と罰』コメンタリー(3)です。翻訳をし、解説を書きながら、ほぼ全巻を読み切りました。とくに「第四部第四章」、例の「ラザロの復活」の章のコメンタリーがすばらしかった。研究者としての彼の誠実さに感動しました。そればかりか、私自身が長年探しあぐねてきた言葉に出会うことができたのが何よりもうれしかったのです。それが、「黙過」という言葉です。ロシア語で、パプシェーニエですね。チホミーロフが、クリニーツィンという研究者の論を紹介する中でこの言葉を用いているのですが、ああ、ロシアの研究者にも、自分と同じような視点からドストエフスキーを見つめようとしている研究者がいる、それをコメンタリーの中に組み込んで独自の検討を加えている人がいる、と知ってとてもうれしかったのです。次に閃きとしてあったのは(笑)、フロイトvsフョードロフです。今回の増刊号で、ドストエフスキーの性愛に関する二つの対極的なアプローチ、つまり、フロイト主義とフョードロフ主義の二つを提示できるといいなと思い、中山元さんには、フロイトの「ドストエフスキーと父殺し」の新訳を、アナスターシヤ・ガーチェワさんには「ドストエフスキーとフョードロフ」というエッセーの寄稿をお願いしました。ただ、唯一の心残りは、版権取得、翻訳者などの都合もあり、グリュックスマンが出した『マンハッタンのドストエフスキー』(4)の翻訳が載せられなかったことです。また、本当に嬉しかったのは、サラスキナ、フォーキン、ヴォルギン、カサートキナといったロシアを代表する研究者たちが、快く寄稿に応じてくれたことですね。
で、これから、「ドストエフスキー読解の可能性」というおおまかな見取り図のもとで、いろいろと議論していきたいわけですが、望月さんが今回選ばれた欧米の研究者を中心とするいくつかの論文には、おそらく望月さん自身のドストエフスキー観の根本に関わるアプローチが示されていると思います。で、その辺りからお聞きしたいと思います。また、現に、今回の増刊号のために『未成年』論を書かれましたね。『未成年』という作品の持っている現代性などについてもお話を聞けたらと思います。
M 私の方からどう見えるか、ですが、やはり亀山さんが最初におっしゃったように、読者と翻訳者と評論家のいろいろなドストエフスキー論がある中で、文学研究者が持っている面白い可能性が必ずしも外に見えていないようなところがあって、特に日本から見るとロシアの文学研究者が何を言っているのか、そして欧米の専門家がドストエフスキーについてどんな面白いことを言っているのかということは結構ブラインドになっているところがあります。たまさかにいろいろなことが紹介されますが、実はもっと豊かな世界があるし、例えばドストエフスキーと他の作家たちを比較したり対比したりしながら論じているのもあります。日本だとドストエフスキー論だとドストエフスキー論ばかりになってしまいがちですが、もっといろいろな可能性の中でドストエフスキーが捉えられてもいい。ですから今回の企画で一番面白いなと思うのも、比較的地味に仕事をしているロシアやアメリカ・ヨーロッパの研究者の声がたくさん紹介されているところで、われわれにも参考になるところが多々あると思います。
私自身そういうものを折に触れて見ながらドストエフスキーにも関わってきたわけですが、最近ではやはり亀山さんのお仕事にも大変インパクト受けています。例えば『カラマーゾフの兄弟』の解説(5)にある、作品世界が現実の層と神話の層と自伝の層の三層構造になっているという解釈などです。
K その後、『『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する』(6)の中で、それまでの三つの層にさらに一つプラスして、四層構造にしたんですよ。歴史層です(笑)。
M なるほど歴史層ですか。それから、始まる話と終わっていく話が交差するだとか。ああいう考え方というのは他であまり読んだことがありませんでしたから。そのようにクリアに『カラマーゾフ』の世界が整理されたことはないと思います。先ほど「研究者の声」と言いましたが、翻訳者も非常に密に作品と付き合うわけですから、きわめてオリジナルな解釈が出てくる可能性があります。日本でも翻訳の歴史はありますが、亀山さんの訳の持っているインパクトは決して訳文だけではなく、翻訳者の経験を解説として語るという部分も大いに重要だと思っています。
先ほど亀山さんがチホミーロフに刺激を受けたとおっしゃっていましたが、私も結構長いこと付き合っているものですから、いろいろな研究者や評論家の発言にぶつかりながら、驚きながら、ドストエフスキーを読み直すという経験がいろいろあります。若い頃バフチンのドストエフスキー論(7)を最初に読んだとき、非常に強い衝撃を受けました。作者、主人公、作品世界の相互関係や、主人公とその思想との関係を、こんな風にダイナミックに読むことができるのか、と。近代思想小説の原型を古代のメニッペアというジャンルに見出すようなパースペクティブの深さも魅力的でしたね。ドストエフスキーの読者が持つ先入観の多くを揺さぶり、疑わせる議論だったと思います。
バフチンは反フロイト派ですが、フロイト的な読み方にもいろいろあって、夢や下意識の論理を作品解釈に応用するアルフレッド・ベーム(8)の仕事、感情の模倣性や相互性に関するアンドレ・ジード、フランク・オコンナー、ルネ・ジラールなどの諸説(9)、善や非暴力への志向をモラル・マゾヒズムの原理で換骨奪胎してしまうエリザベス・ダルトンの実験(10)など、『白痴』『永遠の夫』というような不可解な小説を読むうえで大変勉強になりました。ただしこの種の読み方にある種の繰り返しや限界も感じていました。そこで、例えばマイケル・ホルクィストという人が、父と子の葛藤のテーマを原始的な人間集団における世代交代の話との類推で読むことにより、いわば袋小路のエディプス・コンプレクス論から、子が父になるという成長の物語への展開を試みているケース(11)に出会って、大変面白いと思いました。フロイトに内在している文化人類学的な側面の応用で、そこからゲリー・コックスの「暴君と犠牲者」論(12)や、イデオロギーと想像力の葛藤としてドストエフスキーの世界を捉えるジェフリー・カバトの説(13)など見られるような、社会論への展開が可能になっているように思えます。今日刺激的に見えるハリエト・ムーラフの聖痴愚論(14)、ダイアン・トンプソンの記憶論(15)、オリガ・メーエルソンのタブー論(16)なども、総じて文化人類学的なドストエフスキーの読解と言えるのではないかと思います。
一方で非常に地味な研究もあって、例えばライスという研究者はドストエフスキーの癲癇のことだけで分厚い本を書いています(17)。非常に凝る人ですから、ある限定されたテーマに関するあらゆることを調べる。一九世紀に癲癇との類推で想定可能なデータを医学、俗説、英雄・奇人伝説を含めて、網羅的に参照する。そしてやがてドストエフスキーの作品に帰っていくのです。つまり、作品から出発して、いわば俗世間の中に出ていって、もう一回作品の中にどうやって帰ってこれるかという、非常に大きな冒険をしているのですね。
論文と小説は目的も機能も違いますが、小説のように面白い論文というのもたまにある。総じて面白いのは、比較的限定されたテーマを広く深く掘り起こすことによって「ああ、この作品はこんな風にも読めるんだ」という読みの可能性を見せてくれる仕事です。そんな仕事のひとつで、今度『未成年』論を書くときにも参考にさせてもらったのが、デボラ・マルティンセンの『恥に驚いて』(18)です。中心テーマは恥なのですが、実際にはホラとか嘘の話たくさん拾い上げている。ドストエフスキーの作品には嘘つきやホラ吹きや道化がいっぱい出てきますね。カラマーゾフのお父さんもその一人ですが。ああいう人格がなぜ生まれてくるか、そして彼らは何をしているのか――そういう問いから発して、彼らの精神のうちに構造化されている「恥意識」の正体とその両義的な機能を解明していくという作業です。
例えば『未成年』の主人公は、遠大なるイデア(思想・理想)を抱きつつ不毛な日常を過ごしている。いつか自分はロスチャイルドのような富と権力の主体になるんだという目標を意識しながら、全然違うことをやっているのです。かつて私は、現実の自己の卑小さとイデアの高邁さとの間のギャップを、ロマンティック・アイロニーやフェティシズム、あるいは自己隠蔽や失語といった文脈で考えていましたが、何か重要な繋ぎ目が足りないような不満感を覚えていた。それがマルティンセンの論文を読んだとき、「感情」という入口から入っていくとこれがもっと見えるのではないかと思い至りました。そして恥という感情とイデアがどう繋がっているのかという観点から、ある青年の成長の寓話として読み直してみたのです。すると例えば、思想とホラ話の機能的類似なども感じられるようになる。なんでもそうですが自分の発想や経験だけで完結するものは少なくて、外からの刺激を受けることによって、自分の中で途切れていたものがふと繋がることがある。だから他人のものを読むのは結構面白いと思います。
ポリフォニー概念の意義
K 研究史といっても、私の場合は、この七,八年そこらですから、まだ毛が生えたばかりというのが事実です。それに、大学時代も、ほとんどベルジャーエフとヴォルインスキーの二本槍でした(笑)。埴谷雄高の訳した『偉大なる憤怒の書』にも影響を受けています。あの当時、じつは、フロイトの「ドストエフスキーと父殺し」の論文さえ知らなかったのです。また、正直言って、ミハイル・バフチンに興味を抱いたことはほとんどありませんでした。大学時代の最後の段階で、一度、大学院に進学できたら、ドストエフスキーではなく、バフチンそのものをやろうと思ったことがあるにはあるのですが、それは、まあ、ドストエフスキー研究者ならずとも一度は通過するはしかのような経験です。青臭い文学青年にとって、文学とは基本的にモノローグの同義語であるわけで、どうもドストエフスキーは他の文学とは違う、その違うという謎めいた感覚を鮮烈に解き明かしてくれたのがバフチンでした。ポリフォニーとか、カーニバルとか、われわれがなかなか具体的なキーワードでは表現しきれなかった世界の構造を、ぽんと目の前に突きけられた感じで、胸がすっとしました。新谷敬三郎さんの訳で読んだのですが、そのときこそ新鮮な驚きがありましたが、なぜか、これは自分と違う、という感じがあって関心を失いました。
今の若い人たちがドストエフスキーを読み、かつバフチンを読んで何かしら目新しいものを経験できるのかといったら、そう簡単には見いだせないのではないか、と私は思います。バフチンがなぜ大事かということより、むしろバフチン的な理解によって見えてくるドストエフスキーがいかに凄いかということに尽きてしまいます。ただ、私がここで言い添えておきたいことがひとつあるのです。バフチンの言うポリフォニー性には、それこそいろいろなレベルが存在する。しかし、登場人物のレベルにおける声の独立性という意味でのポリフォニーは、私がこれまで展開してきた「二枚舌」というコンセプトでも代替可能ではないか、ということです。私は二元論的にドストエフスキーを解釈しています。で、バフチンがポリフォニー論を出したのは、スターリン革命が始まる時期のことですよね。つまり、彼の理論は、もはや大声で本音を口にすることができない全体主義時代における言説の形式を二重写しにしているのではないか、ということです。言いかえると、作家が本音を隠すための一つの方法としてある。スターリン時代に作家は、本音か建前か分からず、スターリン礼賛という言説の形式以外、基本的には取り得なかった。そんなわけで、私は、ポリフォニー性という観念が提示される背景にあったのは、検閲であり、検閲を意識する作家の意識の二重構造ではないか、と思うわけです。一なる声を多数の声に分散することで本音を覆い隠す。しかしです。問題がないわけではありません。かりにこの立場を徹底させていくと、ドストエフスキーのシベリアにおける転向は「二枚舌」だという結論にならざるを得なくなるわけですから(笑)。これはなかなか勇気のいる主張です。
M バフチンもいろいろな面があるとは思います。ポリフォニーあるいは対話という概念も、できあがってしまったものを見るとワンセットになっていてかえってドストエフスキーからだんだん離れていくような感じもないわけではないのですが、ただ私がある意味で彼の中で最初に反応したのは、今回のアンソロジーの中でも引用させてもらったのですが、人間が自分のことを自分の声で語っているように見えるときでも、その声自身の中にいろいろな人の声の反響が入ってきているということです。つまり、モノローグを否定してダイアローグをしようとかそういう話ではなくて、モノローグというものが成り立ち得ないということです。自分だけの純粋な意識ではなくて、意識の中に他者への顧慮や他者の声がすでに入ってしまっている。
バフチンはラスコーリニコフが母親の手紙のことを考えながら一生懸命自己主張をしようとするバフチン場面を読むのですが、そういう紙に書かれた完全なモノローグにすぎないものの中にいろいろな声を読み取る耳の良さみたいなものがバフチンの根本にあって、そこから話し手の自分と聞き手の自分に対する関係が生まれてきて、結局自己と他者とか作者と主人公というのもその応用問題になっている。別にモノローグを否定してダイアローグを礼賛するとかそういうことではなくて、もともとモノローグはある種のダイアローグでしかあり得ないのだという。
K 今、望月さんのおっしゃったモノローグの不可能性というのは、翻訳をしていくと如実に体験できる部分だと思いますね。自意識の過剰といえば、それで終わってしまうところもあるのですが、自意識の過剰が、じつはモノローグたり得ない、というパラドキシカルな現象が登場人物の意識内で起こる。ドストエフスキーは、意識のミクロなレベルでそれを徹底させていますね。くどいようですが、そこが翻訳者の一番注意すべきところではないでしょうか。つまり、ここからが他者の声で、ここからは自分の――といってもその自分が往々にしてフィクショナルではあるので、仮にそう言うだけですが――声で、という部分は、少しでも注意が散漫になるほとんど読みとれなくなる。実際に翻訳の経験を通して気づいたことですが、バフチンのいうポリフォニーは、一人の声の中に他人の声がおそろしく微細に入り込んでいる。
で、話を元に戻すと、大学を出てからも、ドストエフスキーをそれこそ、未来派風に、「現代の汽船」から放りだしてしまい、ようやく先祖がえりできたのが、五〇代に入ってからということです。五〇代となると、プロを詐称することはできませんし、アマというのも変だ、というわけで、まあ、自己流でやっていくか、と考えたときに遭遇したテーマが、父殺しの問題だったわけです。それには背景があります。ドストエフスキーに改めて向いあうまでの約一〇年間にわたるスターリン文化研究で、私が強い関心を持ったのが、「民族の父」「大いなる父」としてのスターリンでした。これが、けっこう役に立ったわけです。そこで仮説を立てました。一九世紀ロシアの政治構造、ニコライ一世、アレクサンドル二世の治世下で、ドストエフスキーは、想像以上に検閲のストレスを感じながら小説を書いていたのではないか、という仮説です。そしてそのストレスが彼のテクストを内向化させ、幾重もの襞、幾重もの声からなる、声のドラマを作り上げていったのではないか、と。
とはいえ、関心の中心にあったのは、フロイトでした。エディプス・コンプレックスです。ですから、フロイト派の研究者のドストエフスキーを中心に読みました。例えば、『文学の精神分析』(19)を書いたイワン・エルマコフがそうです。そして、何といっても、アルフレッド・ベームでしょうか。彼の「女主人」論である「うわ言の劇化」とか、『悪霊』と『ファウスト』の関係を論じた文章から大きな刺激を受けましたね。さっきのチホミーロフではありませんが、フロイト派の研究者はなぜか「黙過」というテーマに関心を持っています。ベームがその典型です。また、「父殺し」の主題だけでなく、検閲の問題は、基本的にフロイト主義の問題に繋がっていきます。そしてベームの次が、ルネ・ジラールです。これは、望月さんの関心とも共通します。彼もフロイト派で、「欲望の模倣」の理論は、『ドストエフスキー 父殺しの文学』(20)でふんだんに活用させていただきました。
こうして、フロイトから始まって、ジラールにたどり着いたところで、ここから先はもう自分でやるしかない、という気持ちになりました。その後もいろいろな研究所を漁ることになりましたが、自分なりに、フロイト的なテーマのバリエーションを、個々の作品の中から探していこうと考えたわけです。「父殺し」の主題にどれくらいの可能性があるのか、それを自分なりに探ってみたかった。ドストエフスキーのプロの研究者から見ると、恥ずかしくなるくらい貧しい研究史ですが(笑)。
M まず亀山さんの素人と研究者の分け方についてですが、たとえば私が興味を持って読んでいるアメリカの研究者も、ある意味では非常に個人的な関心から議論を始めていて、ただそれをいろいろな形で立証していくときにどれくらい広く物事を参照していくのかというところの差でしかないように思います。単にフロイトといっても扱い方はいろいろあります。一つの概念でも論じる人間によっていろいろ違うわけですから、そういうものを横に広げたり縦に深めたりというところでは文学研究者なのでしょうけれど、最初の発想、あるいはドストエフスキーに対する関わり方の入り口にあたる部分についてはごく個人的で、言ってみれば素人的だと思います。
逆にプロフェッショナルとはいったい何なのか。例えばいろいろな背景知識を持っていて、どんな質問にも答えてくれる何でも屋さんのようなのを言うのか。それともたとえば大学のような安定した入れ物の中にいるおかげで、文学研究のような作業の自明性を疑ったり、説明したりしなくてすんでいる、恵まれた(おめでたい)状態を指すのか。いずれにせよ亀山さんとしてあまりそこにこだわる必要はないような気もしますけれど。
K たしかにそうかもしれません。しかし後発の負い目は物凄くあるんです(笑)。かけている時間が違うという事実がありますし(笑)。
四〇年代の体験
K 個別の作品論に移りましょう。『地下室の手記』以前の作品で、望月さんが一番重要だと思われるのは何でしょう。以前から『死の家の記録』が好きだということをおっしゃっていますよね。たしかにあの作品は非常に膨大ですし、私自身、ドストエフスキーは自らの根源、つまり根本的な部分を隠し続けながら、それを、露出したいという願望に引き裂かれた作家だと思っているのですが、『死の家の記録』にも、彼の文学の根本的な謎を解き明かすような何かを含まれているのでしょうか。
M それは見方によると思います。私の入口は亀山さんとは違ったところにあります。ドストエフスキーがシベリア流刑を経験した一八五〇年代は、四〇年代と六〇年代に挟まれてロシア文学史では消えてしまっている時期なのですが、その頃に作家たちは非常に多くの旅をして、ロシア体験をしているのです。
トルストイはコーカサスに赴いて戦争を体験している。ゴンチャローフは『日本渡航記』の旅をしている。「地理学協会」という文化人類学的な関心を含んだ学術集団がロシア帝国の諸地域を記述していくのもこの時期ですし、劇作家のオストロフスキーなどは「文学的調査旅行」と呼ばれた集団的なフィールドワークで、ヴォルガ地方の探検をしている。私はヴォルガ研究という楽しい共同研究をしているので(笑)、たまたま知っているのですが、そうした時代の雰囲気の中で、文明化された首都とは非常に距離を持ったロシア諸地域の特殊性や多様性が、さまざまな形で自覚され発見されたのではないでしょうか。つまりロシアにはいろいろな場所があり、いろいろな人が住んでいて、民族的にも宗教的にも混交した場に自分たちがいることが、かなりはっきりと理解されていった。それが文学に反映されることで、四〇年代とは違う形で、作品世界に厚みが生まれたのだと思います。
ドストエフスキーにとっての流刑体験というのは、そういうレベルで捉えるのならば、彼がロシアと思っていた世界がずっと広がり、具体化して、自分はロシアを知った、ロシア人というのは存在するのだという主張を、自信を持って晩年にいたるまで主張する契機になったと言えます。自分のロシア感を具体化していったということです。そしてその一つの現れが『死の家の記録』であって、あそこにはいろいろな囚人たちが出てきますが、そこに書かれていることよりもそれを可能にした視点というか、描き方こそが大事なのではないでしょうか。
四〇年代までにドストエフスキーが書いていたことは、ある種の抽象的空間――もちろん場所としてはサンクト・ペテルブルグですが――で、場所はどこでもいいような世界の話だった。それが六〇年代以降になると、ロシア的な風土の中にどんどんと入り込んでいくことで、逆に世界が普遍化されていく。それには『死の家の記録』という作品だけではなく、シベリア体験が非常に大きくかかわっていたわけです。そういう意味であの作品は重要だと思います。そしてもちろん、描かれている人物にしても、後の原型になるようなものが伺えますから興味深いのですが、それはむしろ二次的なことです。まずはあの作品が書かれたということが面白いわけです。
K 認識する空間の広がりとの関わりで反対に西側に目を向ければ、『冬に記す夏の印象』が圧倒的に重要な位置を占めていますね。小説の領域となると、『白痴』でしょうか。ムイシキン公爵が癲癇の治療のために送られたスイスがその代表例です。『悪霊』でもスイスが一つの謎めいた土地として位置づけられていますね。物語の前史ともいうべきスイスでの出来事をちゃんと押さえてかからないと、『悪霊』第一部でのやりとりはほとんど理解できないかもしれません。加えてスタヴローギンの「告白」では、アトス、エジプト、ドイツのゲッチンゲン、そしてついには、アイスランドまでが視界に入ってくる。今回、掲載されているサラスキナさんの『悪霊』論は、抜群の面白さです。で、もういちどシベリアの発見という視点に立つと、やはりそこには、ロシア中心主義的な思考の痕跡が見られるわけです。たとえば、『罪と罰』のエピローグがそうです。ラスコーリニコフの新たな更生を暗示する印象的な場面があります。ソーニャと並んで、イルトゥイシ川の向こうに広がる原野とそこに点在する遊牧民の天幕を眺めわたします。ドストエフスキーはそこに「アブラハムと家畜の時代」を見るわけですが、実際にそこに広がっているのは、イスラム世界です。そこには、むろん作為ではありませんが、やはりドストエフスキーなりの目線で解釈しなおされた世界がある。しかし、『カラマーゾフの兄弟』になると、スメルジャコフとフョードル・カラマーゾフのやりとりに見られるように、イスラム世界がしっかりと視界に入っているわけですよね。
そう、そこで伺いたいのですが、ドストエフスキーはシベリアから首都に宛てた手紙に、「思想や信念は変わるものなのです。人間全体も変わるものです」と書いていますが、どうなんでしょう。一方で、自分は「時代の子、不信と懐疑の子」で、棺桶に蓋がされるまできっとそうだ、と思うと書いている。それでいて、「真理」とともにあるより、キリストとともにある、と宣言するわけです。これは、「転向」の宣言と言えるのでしょうか。
信仰と思想
M そう問われると、そこに転向の問題があるとは感じません。転向というのが、四〇年代には持っていたユートピア社会主義の思想がリアリティを持たなくなったという意味であれば、それはたしかだと思いますが。つまり、こういう人々、こういう世界を対象に、ユートピア社会主義がどんなリアリティを持つのだろうという疑問を持ち、否定的になったということは言えるでしょうね。
K ただ、『死の家の記録』を考えることは、そこにいたる理由の問題に繋がると思うのです。なぜなら、「ペトラシェフスキーの会」で、ドストエフスキーは最終的にどの地点にまで辿りついていたかという問題を無視できないからです。四八年に二月革命が起こり、その翌年四月に彼は捕まるのですが、そこにいたるまでのヨーロッパの盛り上がりの中で、以前は穏健だった「ペトラシェフスキーの会」のメンバーたちも、その一部はかなりラディカルになっていますよね。ドゥーロフ、スペシネフらがその最右翼です。その流れの中にドストエフスキーも身を置いていたとすると、彼はもう、完全にユートピア社会主義の段階を超えていたはずです。つまり、これは完全に仮説ですが、この時点で、彼の思想は、一時的ながらも、歴史的には、一八六六年四月の段階にまで突き進んでいたのではないか、ということです。つまり皇族暗殺です。とてもフーリエ主義の段階に留まっていたとは考えられない。
M フォイエルバッハなどいろいろな思想が入ってきますしね。だからユートピア社会主義というのは総称であって、実体はもっと異なっていたと思うのですが、逆に言えばテロリズムのようなものを、どれくらいアクチュアルに構想し得ていたのか、という疑問もあります。
K たとえかりにそれに近い発言があったとしても、それはナルシスティックで、一時的な言動であったかもしれないということですか。
M そうです。ただ具体的に立証されているのは、プロパガンダをするための印刷機を持っていたということです。そういった言論のレベルでの過激さはあったのだと思います。
K というと、やはり二枚舌ということになるのですかね。
M 二枚舌ではなくて、それは若さということではないでしょうか(笑)。頭でいくら信じていたからといって、実際にピストルで人を撃てはしない。
K しかしそれは、論の立て方として、少し観念的すぎると思います。問題なのは、むしろ罪の意識の持ち方だったんじゃないですか。たとえば死刑制度の問題がある。あの時代、皇帝一族を狙わないかぎり、死刑に処されることはなかった。大逆事件じゃないですが、死刑は、そういう究極の刑罰としてあって、一般の犯罪であれば、何人殺そうが死刑にはならなかった。そういう状況下で、例のベリンスキーの手紙に書かれている農奴制批判、皇帝権力批判を仮に一瞬でもドストエフスキーがよしと思ったなら、彼は、その時点でたいへんな罪を背負いこんだことになる。ことによるとそれは、死刑に繋がりかねない罪といった予感を抱いた可能性だってあるはずです。セミョーノフスキー練兵場でドストエフスキーはどんな心理状態にあったのでしょうかね。問題は、たとえ一瞬であれ、自分が死刑に値する罪を犯した、という認識に立ったか、そもそも自分は無罪である、死刑判決は、完全に不当である、との立場に立ったか、そのあたりの謎を解き明かさないと、その後の、ドストエフスキーの「転向」は十分に説明しきれないのではないか、と思います。
M 何かが変わるとか変わらないということは、あまりよくわからないのです。
K 言説のレベルでは変わりますね。しかしその下にある本音というか、言説を支えている根本的な欲動の部分はどうでしょう。
M そこを語るのは凄く難しいのだけれども、ある人が思想を持っているとか、信仰を抱いているというのがどういう状態なのかという問題があります。
K そこですよね。思想を持つということの意味。
M 信仰というのは無自覚に何かを信じているのが一番強いのかもしれないけれども、そうではない意識的な状態や、自分が信仰を持っているのかを問いかけ答えている状態もある。自らの信仰を再意識化し、外部に対してファナティックに教導する状態もあるかもしれない。つまり、そうした心の状態と意識と言説とが、どこまでいっても包摂され得ないものとしてあるのではないでしょうか。そして思想にせよ信仰にせよ、日常の、皮膚感覚の生活の中にあって、自己と他者の関係のうちでどう振舞うかという、具体的な課題と結びついている。だから言説ではけっして包括できない過剰な、わからないものを含んでいると思うのです。つまりイワン・カラマーゾフの教会と国家論とか、ホフラコーワ夫人の隣人愛をめぐる質問に対して、ゾシマ長老がまず実践的に人を愛せと語りかけるような。
K それはつまり、「作家の日記」におけるドストエフスキーと、小説家との違いという問題にも繋がるでしょう。つまり、思想というのは、やはり一種のパフォーマンスなんですよね。外部に現れたものですから、その人の本音とかかわりなく、世界の様々な言説の中での自分の立ち位置を常に他から差異化していくという行為を怠らない。思想と信条と実感の間には落差がありますが、社会の中で自分の立ち位置を確認し、それを演じていくという側面は常にあるはずです。ですから、「作家の日記」での主張と、小説でのそれとはきちんと切り分けなくてはいけないと思うわけです。登場人物間に成り立つポリフォニー性の原理もそこにあると思います。
M 少し話が広がりますが、彼が六〇年代に唱えた土地主義という思想にも、独自な位置感覚がありますね。西洋派とスラヴ派があるけれども自分はどちらでもなく、真中に立って、両者の和解を唱導するのだという。あるいは民衆と知識人のどちらにも属さず、進歩でも回帰でもないとか。つまりいろいろな二項対立を想定したうえで、どちらも選択しないような位置に自らを置く。そういう身の置き方というのは、ある種の人格を反映していると思いますし、思想そのものの構造としても非常に狡猾にできているという気がします。どちらでもないゆえにどちらでもありうるという。でもそこには、「二二が四は死の始まり」といった言説に結びつく、単純化を嫌う傾向が現れている。有機体として存在するということは、単純なユートピアを描くのではなく、いろいろな矛盾対立を包含して生きることだというような。
これはどこから来た傾向か、考えてみることは意味深いと思います。思想の系譜としては、盟友のアポロン・グリゴーリエフに代表されるような、有機的世界観の流れだと思いますが、個人的には五〇年代の体験も大きいのかもしれません。
K やはり検閲とか、権力との力関係を意識した思想だと思いますよ。私がこれまで「二枚舌」というキーワードを用いてきたのもこの文脈です。つまり望月さんがおっしゃった土地主義の本質にねざす両義性と深く関わっているかもしれません。
少し話が飛ぶのですが、今回、メッセージをいただいたロシア人の研究者の中で、アシンバーエワさんが、ドストエフスキーの最後の日々について書いています。要するに彼が住んでいたアパートの向かいにテロリストのアジトがあり、その事実を彼が知っていたか、どうかという言及があります。このテーマはご存じのように、イーゴリ・ヴォルギンが『ドストエフスキーの最後の一年』(21)で言及しましたね。『アレクサンドル二世暗殺』(ラジンスキー)(22)の翻訳者の一人として、あのあたりについてどう思われますか。二枚舌説を展開している私としても、非常に重要なエピソードなんですが。
M シクロフスキーの『ドストエフスキー論 肯定と否定』(23)にも触れられています。しかしそれは多少あいまいな言及で、ヴォルギンは同じ問題をかなり掘り起こして書いたわけです。それをラジンスキーが展開したという順序です。
K なるほど。私が、このエピソードにとくに反応するのは、土地主義でどちらの側にもつかないという、ある意味で本音を押し隠しつづける彼の態度の曖昧さが透けて見えるからです。ドストエフスキーが西欧派に与していなかったことは事実です。ニコライ・ストラーホフやアポロン・マイコフといったスラブ派のイデオローグとの付き合いがそれを物語っている。しかしそれでもなお、彼らに対しては左寄りの地点にいるわけです。自分の立ち位置に恐ろしく神経を払っている。
ですから、キリスト教、あるいはロシア正教によって世界を救うというヴィジョンは、一種のパフォーマンスだったのではないかとさえ思うのです。私は相当に疑い深い男のようです。つまり、そうした救いのヴィジョンを提示できるには、もう少し神がからないと駄目だったのではないか、と(笑)。
M たしかにそうだと思うのですが、もう少し腑わけして考えるべきだろうとも思うのです。例えばドストエフスキーが教会をどう思っていたのかということと、皇帝政権、あるいは官僚体制をどう考えていたのかということは、別個の問題として丹念に論じたほうがいい。それに皇帝というのも、個別の顔を持っている。たとえばドストエフスキーをシベリア送りにしたニコライ一世は、デカブリストの乱で洗礼を受け、ヨーロッパの二月革命に戦慄した、猜疑心の強い厳父といったイメージでしたが、それに比べれば、彼のシベリアからの帰還を迎える形になって、くしくも同じ八一年に死んだアレクサンドル二世というのは、軟弱な理想主義者のイメージが強い。農奴解放、裁判制度の改善をはじめ、近代化を加速する一連の改革を行いましたが、後年には内外のさまざまな矛盾を解決できない無能さをさらけ出し、またスキャンダラスな不倫をしたりして、いろいろな層に懐疑を持たれていたこともあります。彼に爆弾を投げた人民の意志派というのは、彼が行った農奴解放の鬼子のようなものですから、皇帝暗殺も見方によっては皮肉なオイディプス物語のようにも読めます。こういういわばひ弱な、矛盾だらけの、いけにえのような皇帝を、ドストエフスキーはどう見ていたのか。ポヴェドノースツェフのような保守派のイデオローグとは、弱い皇帝に対する危機感を共有していたように見えますが。
つまり、いろいろなことがあるわけで、それを単にプラス・マイナスのベクトルだけで評価してもわかったことにはならない。教会についても、ピョートル大帝の時代に総主教座を廃され、宗務院という世俗機関の管轄化に置かれてしまった骨抜きの姿に対して、ドストエフスキーはどう思い、その中で例えば長老という存在をどう位置づけようとしていたのか。それを考えるならば、信仰ということでも決して一義的ではない。理想的なものと、現状と、他と比べたときとの相対的な位置づけとがあって、決して単純ではないと思うのです。
K でも、それは「作家の日記」のレベルにおけるドストエフスキーじゃないですか。「作家の日記」の中に書かれた本音を、完全にあぶりだすことができれば、それはそれで有効だとは思いますが。
父と子の関係
M 先ほども語られていましたが、亀山さんは「父と子の関係」にこだわって書いてらっしゃいますね。亀山さんのドストエフスキー論の根本的なテーマになっているような気がして、私もそれはドストエフスキーの非常に大きなテーマだと思います。先ほど言ったホルクィストもそういう面から論じています。ただ、父にもいろいろいるし、子にもいろいろいる。今度の『未成年』論の中である程度他の作品とこれがどう関係があるのだろうと考えていたのですが、やはり一番大きな関係は父と子ということで、ドストエフスキーの中で父の見え方が変わっている。『罪と罰』ではほとんど父は見えない。いるのだけれど見えない。『白痴』の中ではある種死んでしまう父がいるし、父の名誉という問題がクローズアップされる。あるいは父に対する恥ずかしさといったようなテーマがすでに出ている。『悪霊』はかなり「父と子」論になっています。『カラマーゾフ』では複数の父像と複数の子像が出てくる。『未成年』とあえてくっつけて言うなら、父に対して恥ずかしいという感情を持ってしまう子たちがいて、それに対してどういう感情処理をするのかという問題が前景化しています。先ほどのアレクサンドル二世に対する国民の感情と引き比べると少し面白いですが。
いずれにせよ子供の父親への態度にも、いろいろな形がある。反発して対抗するやり方もあるし、無視する、あるいは超越しようとするやり方もある。さらには、父の身代わりになろうとする、あるいは父の恥を自分の恥のように感じ、なんとかリカバーしようとするようなやり方もある。仮にそういう三つのタイプを想定すると、それが『カラマーゾフの兄弟』の三人の子になっているような感じがします。でも『未成年』の場合、子は一人しかいないから、自分ひとりでその三つの役割を兼ねているような曖昧さがある。父と子の関係はフロイトでも読めますが、フロイトだけではひょっとしたら足りないのかもしれない。もっといろいろなモデルを参照したい気がします。
K 今の話を聞いていて二つ思ったことがあります。まず、恥の感覚についてですが、ドミートリー・カラマーゾフが首にぶら下げている巾着のモチーフ、あのあたりの恥の感覚の分析は本当に難しい。訳者としてもすっきりしない部分がありました。でも、ドストエフスキーが恥というか恥辱をどういう地点で考えていたかということはやはり大事な問題だと思います。恥辱の認識というのは、一人の人間の倫理的な出発点になることですから。ドストエフスキーがどういうところに何をもって恥を考えていたのか。一方で恥の対極には正義があると思いますが、一体正義とは何なのか。ドミートリーの悲劇というのは、恥と正義が一体となった独特のメンタリティに潜んでいるわけですよね。どうしてもっと素直にならない、と、こっちのほうが叫びたくなるほどです。しかし、ことによると、この恥と正義の、非常にパーソナルな結合の仕方にこそ、ドミートリーのトラウマがあるのかな、とも思います。それが第一点です。
M ドミートリーがカチェリーナから預かった金を半分だけ使い込み、残りを首にかけて持っているのを、なぜ恥ずかしいと感じたのか。確かにわかるようでわからないところがありますね。こう考えたらどうでしょう――仮に全部使ってしまったなら、自分は相手の信頼をないがしろにして、善意の人対裏切り者という役割関係を一〇〇パーセント確定したわけで、その行為・立場に対する恥辱感と責任を全部引き受ければいい。しかし半分だけ残しておくというのは、あくまでも相手の信頼をひとたび金に換算した上で、それを半分だけ裏切る。役割関係の結び方にも、恥辱や責任の負い方にも、二重三重の計算、アリバイ作りの意識が働いていて、それが恥ずかしいのではないでしょうか。
これは間接的に、亀山さんも論じている、冬宮の爆破計画を耳にしたら密告するかどうかという問題にも繋がるような気がします。ドストエフスキーにとっては立場は何であれ、密告という行為は恥ずかしいものだったはずです。しかしある意味では、密告したおかげで冬宮爆破が防げたとしたら、それは正しい行為かもしれませんよね。でもドストエフスキーの考えはそうではなかった。正しい目的だから卑劣な行為をしてもいいというのは、アリバイ作りの発想なのです。人の金を半分だけ使い込むみたいにね。
K その正義感、恥辱の認識というのは、非常に古風ですよね。
私の論点のもうひとつは父と子の問題ですが、『カラマーゾフ』の兄弟三人のフョードルとの関係性はそれぞれにずれていますね。対立、無視、超克、いろいろです。で、望月さんのおっしゃっていることを敷衍すると、カラマーゾフ三兄弟ないしスメルジャコフも入れた四兄弟の父親に対する対し方が、例えば『未成年』だと、アルカージー・ドルゴルーキー一人に集約されている。そこで、さまざまな亀裂と矛盾が生まれるということになると思います。ただ、『カラマーゾフの兄弟』に示された三つないし四つの父と子の関係、あるいは子の側からの態度に、フロイト的なものを見るのか、反フロイト的なものを見るのか、という二つの視点に集約されると思うのです。反フロイト的なものを別の言葉で言いかえると、ニコライ・フョードロフが唱えた、父殺しならざる父祖信仰です。つまり、ドミートリー、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフという四つの類型も、究極的には二つに集約されるのかなと感じるのです。小説のテクストそのものは恐ろしく多様ですが、しかし思想的突き詰めていくとその二つ、父殺しか父祖信仰かのどちらかに集約されるような気がします。
M なるほど。『カラマーゾフ』ではゾシマがいて、「肉の父」と「霊の父」のような二重構造になっていて、ゾシマとアリョーシャの関係はフョードロフかもしれないですね。
K 父と子の問題が望月さんの関心の中にも浮上してきていたということですが、現代日本の作家たちも、父の問題をかなり意識して書き始めている。村上春樹さんに始まって、高村薫さん、そして大江健三郎さんの最新作などは、もろに父と子のテーマを前景化させている。しかしこのテーマ設定において、恐ろしく悲劇的なパトスに満たされているのが、大江さんだと思うのです。『水死』(24)の世界は、ちょっと言葉にできないくらい、複雑な構造をなしている。『金枝編』(25)における王殺しは、一種のカムフラージュです。フロイトでは『水死』の世界は解けない。作家の悲痛な叫び声が聞こえてくるようです。
フロイト的読解を巡って
K 私は今、『悪霊』の翻訳を始めたところですが、第一部の冒頭で展開されるステパン・ヴェルホヴェンスキーとワルワーラ夫人のやりとりが実に面白いです。今までは、なぜこんなつまらない書き出しで始めたのだろうか、と残念に思っていたくらいですが、この歳で読むと一味もふた味も違う。あの場面のドストエフスキーの描き方は、見事の一言に尽きる。で、現代の成熟した読者なら、こういう行き違いのコメディーを、けっこう楽しめるのではないかと思いますね。で、じつをいいますと、私の夢は、この『悪霊』の翻訳を出すことでした。では、なぜ、『悪霊』か、というと、簡単です。
そもそも、五〇代に入った私がドストエフスキーに関心を持ったのは二〇〇一年の九・一一のあの時期なんですね。ロンドンのホテルでツインタワー崩落の映像を見たとき、これがドストエフスキーのテーマになると思ったのです。まさに「黙過」のテーマです。でも、そのとき、「これって大学時代に考えていたことと同じだね」とも思ったんですね。
私が、ドストエフスキーで一番に関心を持っていたのは、「憐憫」のテーマです。「共苦」という言葉を使用するようになったのはつい最近のことです。で、大学四年生くらいで、ろくに世間のこともわからずに生きている文学青年にとって「憐憫こそ悪である」ということを知ったのは、やはりショックでした。憐憫は、ロシア語では「サストラダーニエ」という言葉をあてはめますが、これは、ともに苦しむの意味です。「憐憫こそ悪である」という発見に立ち入らせてくれたのが、『悪霊』でした。『悪霊』の中でスタヴローギンがマリア・レビャートキナと結婚しますが、あの結婚の仕方は賭けで「これで俺が負けたら結婚してやる」みたいなことをやるわけです。その一方、スタヴローギンは、恐ろしく偽善的な行動をとり、シャートフから平手打ちを浴びる。そして最後には、脚の悪いマリヤを使嗾殺害してしまう。では、スタヴローギンに、マリヤに対する憐憫の情が少しもなかったか、というと、やはりあったと思うんですね。たんに偽善と言い切るのではなくて。
つまり、憐憫という、ある意味ではキリスト教的な倫理観の根底にひそむ偽善性、二重性みたいなものに関心を持ったのです。大学時代、『悪霊』の中で非常にショックを受けた場面があります。それは、リーザと一夜をともにしたスタヴローギンが、スクヴォレーシニキの別荘から遠く火事の現場を眺めやる場面です。そこでは、惨殺されたマリアの遺体が横たわり、火に焼かれている。それをスタヴローギンは無意識のうちに眺めている。ご存じのように、これは、ベームが、『ファウスト』との影響関係を論じているところですが、こういう場面にむしょうに惹かれたのは、やはりキリスト教的な倫理観にある種の偽善を感じていたからだと思うのです。でも、その当時は、「黙過」という言葉を知らず、また、そうした関心の起源をどうやって客観的かつ文学として語るかという能力も知識もないままに、大学時代が過ぎてしまいました。で、九・一一のときに、この場面をも含めて、私の関心の中に『悪霊』のスタヴローギンがにわかに浮上してきました。ちょっと大げさな言い方を許してもらえば、私にとっての第二の出発点です。望月さんが指摘されたマルティンセンの「恥」のように、ドストエフスキーの専門家の少なくない部分が、かなり個人的な動機からを糸口として研究し始めるということがあるとするなら、私の糸口は、「憐憫」だったわけです。
M 憐憫や倫理の問題をフロイトのような立場に還元してドストエフスキーを読んだ極端な例が、エリザベス・ダルトンだと思うのです。
『白痴』のムイシキンというのは、フロイト的に言えばモラル・マゾヒズム(いったんは超自我として内向したエディプス・コンプレクスがふたたび性的な意味を持ち始める現象)の症例で、他者のうちに愛の対象、および自らを処罰する「親」を求める幼児的な存在ということになる。善も悪も客観的な指標としてあるのではなくて、依存や嗜虐などと結びついた、人格のパーツとして構造化されてしまっているかのようです。こうした読み方は、先に話題になったバフチンの場合とはまったく反対の極に導きます。バフチンが人間の意識の自由と対話性を前提にして、作中の発話の意味や責任性を問おうとするのに対して、フロイト的な読み方では、作中の言葉がひとしなみに下意識レベルの象徴と化してしまうからです。もちろんどちらの読み方も成り立つわけですが。
善と悪、あるいは憐憫と不関与というのは、ドストエフスキーに限らず、ある種の実践の課題としてあるわけですよね。どちらか一方に解決すべき理論的問題であるというよりは、それぞれを実践したときに必ずぶつかる矛盾にどう対処するのかという問題です。憐憫が上からの目線だというのは、頭ではわかることですが、では憐憫を拒絶すれば話が終るのかと言えば、決してそうではない。その先がまだあるわけです。だからムイシキンにしろだれにしろ、理念と現実がぶつかるところには常にジレンマがある。そして、そのジレンマにぶつかってからどうするのかという話を、ドストエフスキーは書こうとしていたのではないでしょうか。だから終わらないわけです。ムイシキンを書いて、『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャを書いて……という具合に問題の終わらなさがあって、それをフロイトで解こうとすると、ある意味では簡単に片づけすぎてしまうのではないかという感じがします。
K 憐憫や共苦という精神の営みは、ある種の実践の課題としてある、というのは、非常にリアルな見方だと思います。たしかにそうなのかもしれません。たぶん、このあたりに、ドストエフスキー理解においてぼくと望月さんが決定的に異なるところかもしれませんね。おっしゃるとおり、フロイトの理論はかなり図式的です。といって、私は、解決すべき理論的問題として捉えているわけでもないのです。フロイトを意識することによって、つねに一種の原罪の観念に立ちかえることができる。私自身は原罪の感覚でしかドストエフスキーを読めない。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャが、イワンに対して「父を殺したのはあなたじゃありません」という有名なセリフがありますね。単純に読めば、文字通りの意味です。しかし、イワンの耳には、それが「父を殺したのはあなたです」と聞こえているはずです。原罪の耳がそのように聞くのです。そして意識のどこかでアリョーシャも、そう言っている自分を意識している。これも一種のポリフォニーじゃないでしょうか。それはともかくも、読み手の原罪の意識に呼応しているからこそ、そういう解釈と結びつくわけです。いずれにせよ、フロイトに帰結させるとそこで一つの完結したドストエフスキー像が作られてしまいます。だから何なの、と問い返されたら、もう、「これが私のドストエフスキーです」と答えるしかない。その段階では、実践の課題は消えてしまう。そこで、この「私のドストエフスキー」をどうやって壊し、どうやって「他者のドストエフスキー」の物語として再生させられるか、それが私なりの課題になっているわけです。これは非常に難しい課題で、読み手としての私の力量が問われるところです。望月さんの質問に対しては、結局、私自身が、フロイトの解釈をどうやって拡張していったのかということでしかお答えできません。ドストエフスキーはもちろんフロイトを読んではいませんでしたし、彼は自分が経験した意識下のドラマをほとんどむき出しのまま意識上のドラマへと転換させていったわけですから、ドストエフスキーをフロイトに収束させていったらそれこそ作家に対して失礼にあたります。では、どうやって拡張させていくか。というと、文化論的な視点の導入です。サド・マゾヒズムの問題、分離派、異端派の問題というあたりですね。つまり、ロシア文化の基層との関係性にまで関連づけていくという方法です。最終的には、皇帝殺しや神殺しにまで繋がります。そういう波状的な広がりをイメージしています。
だからじつは、結論が見えているわけです。最終的にドストエフスキーが神殺しのテーマに到達するということは、フロイト主義の文脈から見えてくる。では神殺しのテーマは、ドストエフスキーの小説でどのように表象化されているのか。結論から先に言うと、神殺しのテーマは、すでに『悪霊』で終わっている。チーホン主教の庵室で行われる「告白」の朗読に示されています。「皇帝殺し」のテーマは『罪と罰』の中に萌芽的にあって、最後は、『カラマーゾフの兄弟』の書かれなかった続編で書かれるはずだった中心的テーマです。つまりフロイト主義との延長の中で見えてくるドストエフスキー研究の最終地点は、『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想するということに尽きるわけです。私自身、じつは、それ以降のテーマはなにも発見できていません。
M それは非常に面白い論点ですが、さっきも触れたホルクィストという人が、フロイト的なドストエフスキー読解を展開させ、ある意味で発展させていると思うのです。それはつまり、フロイトを使うならば、人間は父と子でも子同士でもライバル関係にあり、どちらかがどちらかを殺すということになるのですが、ホルクィストはその前のフロイトを考えているわけです。なぜ父殺しが起こるのか、あるいは父を殺した子たちはどうなるのかということです。子たちは結局、自分たちも父になるわけですよね。ライバル関係の中で自分がずっと子だとしたら、それはずっと終わらない関係か、殺して終わるだけの関係ですが、実際の人間は自分が親になって、子との関係を築いていく。それを見据えなければ父殺しには意味がないというわけです。
ルネ・ジラール的な議論では、人間は欲望の模倣の構造から逃げられないように見えるけれども、実際にはいつまでもそれに囚われるのではなく、必ず父になり、別の関係を、あるいは同じ構造の中でも別の立場へと自らを置く。それで話が展開していくわけですね。『カラマーゾフの兄弟』の中にもそのテーマは入っていると思うのです。アリョーシャが最後に、子どもたちのリーダーになっていく。つまりシンボリックな意味での父になっていく。
K 私も今まさにその場面をイメージしていたのですが、「カラマーゾフ万歳」のシュプレヒコールで「第一の小説」は終っていくわけですよね。しかし、あれはフロイト的というよりも、フョードロフ的な世界観による一つの決着の付け方であるわけです。ホルクィストが述べたような、子が父となり父は殺されていくという段階的なプロセスを考える場合、やはり、卵と鶏の関係が生じてくるのですよ。つまり、父殺しが先か、父親崇拝が先か、という。端的に言うと、フロイトが先か、フョードロフが先か?つまりフロイトを乗り越えるものしてフョードロフが意識されているのか、あるいは、フョードロフの不可能性の意識のもとで、フロイト的な父殺しが一つの宿命的なドラマとして想定されているのか。私は、フョードロフの段階の次に、フロイトが来ると思っているわけなのです。つまり、フョードロフ哲学の根幹をなしている父親崇拝は、兄弟愛を前提にしているわけです。逆に、父殺しは、兄弟殺しと同一のレベルで生起する現象です。では、少なくとも表面的には、「父殺し」への加担から免れたアリョーシャが、「カラマーゾフ万歳」でもってフョードロフ哲学の体現者としてあった場合、彼がその後次の段階のステップを踏む時には、少なくとも彼が父になる物語としてではなく、むしろ子として再生する物語に転化するような気がするんですね。「第一の小説」の終わりのアリョーシャは、フョードロフ的な世界観における父のイメージを体現していると思います。しかし、「第二の小説」では、皇帝殺しの主役あるいは脇役なることで、彼は、フロイト的な子として再生し、子としてのステイタスに永遠に留まることになるだろうと思います。次はありません。子は子として終わる。『カラマーゾフの兄弟』にはそういう構造があるような気がしてなりません。
性による生命力の横溢
M ところで、亀山さんが今一番面白いのは、どの作品ですか。
K 私にとって『地下室の手記』以前の作品で何が一番面白いかといえば、やはり『女主人』なんですよね。今回もディラクトールスカヤが、『女主人』との関連でドストエフスキーにおける去勢派の問題を論じた文章が掲載されているわけですが、ドストエフスキーはこの小説を書いた時点で、はっきりと父殺しのテーマを意識したと思います。周到にカムフラージュされていますが、根底に刻みこまれているのは、父殺しです。それが去勢派の問題とどう繋がってくるのか。非常にスリリングです。カテリーナの父のムーリンは去勢派になるという仮説ですが、ドストエフスキーはどうしてそういう物語構造を設定したのか。このテーマを意識し、設定したドストエフスキーがその後フョードロフの哲学に入り込んでいったのは必然的だったと思いますね。去勢派の問題に惹かれるのは、惹かれる本人が生命力の塊だからです。カラマーゾフ的な生命力の横溢を体全体で感じていたドストエフスキーは、ある段階でリビドー的なものをすべて拒否し、否定していく人々の存在を知ってものすごいショックを受けたと思います。そういった人々に仕返しを受けるかもしれないとさえ思ったかもしれません。生命力の塊ゆえに懲罰を受けなければいけないと。それが一八四〇年です。フーリエの発見とほぼ同時期に起こったと思います。これも原罪の意識から生まれています。要するに、殺されるべき父の側に立ったということです。その意味で『カラマーゾフの兄弟』の出発点は、すでに一八四〇年代にあったのではないでしょうか。
M つまりドストエフスキーは去勢派を外から見ていた。
K というか、自分のもう一つの自我として見ていた。ですから最初の妻のマリア・ドミートリエヴナの死に際して、ドストエフスキーが「手帖」に書きこんでいる「娶らず、嫁がず、御使いのように生きる」という理想も、結局は、キリストの理想が、アンチセックスを志向せざるを得ない、と読んでいたと思います。フョードロフ自身、男女の性を父祖を忘れさせるものとして否定していたのですが、この時点でのドストエフスキーの言葉には、後に一八七〇年代に生まれるフョードロフの思想との出会いを予感させる下地が垣間見られると思います。あれこそ、まさにもう一つの自我が書いた自分だと思うのです。
M 去勢派というのは、内側から言えば、自分のエディプス的な葛藤を自分で処理してしまう、あるいはそういった構造を拒否してしまうということですか。
K そこですよね、面白いのは。そこはきちんと考えなければいけませんね。エディプス・コンプレックスの基本は、父に去勢されるという恐怖の下で父殺しの願望が抹殺されるということでしょう。だから、去勢されてしまえば、その恐怖を感じないですむわけですから、逆に父殺しの特権を得たのと同じことを意味します。去勢してしまえば、怖いものなしです。スメルジャコフがまさにそうです。フロイト的にも理屈は通じる。
M 父殺しを前提にすればですよね。
K そう。
M そういう葛藤自体を解消してしまう、あるいはないことにしてしまうのが去勢かもしれませんよね。先ほどのカラマーゾフ三兄弟の分業論で行けば、父親のライバルになるのでもなく、父親を救おうとするのでもなく、関係性を拒絶して超越しようとするような。もっとも、そうして抑圧した過剰なものが別の人格として結実してしまうのかもしれない。イワンに対するスメルジャコフのような。
K たしかにそこが、フロイト主義との分かれ目になるのかもしれません。去勢派は、鞭身派との連続性というかその超克という形で誕生してきますが、確かにないことにしてしまうという要素はあるのかもしれません。しかし私の考えでは、やはり去勢派のほうがはるかにファナティックに、神との一体化を希求していると考えられるので、最終的にスメルジャコフも、本来であれば、はるかに強烈な神を希求した人間でなければならない。しかしスメルジャコフは神を信じていたのでしょうか。『カラマーゾフの兄弟』で、作者は、スメルジャコフを、イワン・クラムスコイが描いた『観想者』に見立てていますが、それが確かであれば、彼は、分離派ないし異端派に属している苛烈な信仰者ということになるわけです。そのあたり、望月さんはどうお考えです?
M どうなんでしょうか。私はむかし『カラマーゾフの兄弟』をイエズス会的な決議論との類推で解釈しようとしたことがあって、そのときはイワンをカトリックの教皇、スメルジャコフをイエズス会になぞらえて考えていました。イワンの国家と教会の関係論や大審問官の論理が、ドストエフスキー風に解釈したカトリック教会の論理で、スメルジャコフはその論理をラディカルに読み取って実行に移す「前衛的肉弾」としての修道会である。しかもついには言説の徒でしかない指導者を軽蔑し、脅かす存在になるのだと。今思えば、この複雑な人間関係の一面を捉えただけだし、フロイトとは直接つながっていないのですが。
K 結局、ドストエフスキーは、カラマーゾフ的な生命賛歌の基盤を二つの場所においていたのだと思います。一つはシラー的な理想主義です。『カラマーゾフの兄弟』でドミートリーがシラーの詩を朗読しますね。そして、もう一つは性愛です。イワンがそれを体現していると思います。そこに、ある種のエクスタティックなものと、それによって味わう生命の充足がある。アリョーシャは、それに対するアンチテーゼでしょうね。先ほどフョードロフ的なアンチセックスの立場です。
それは、『カラマーゾフの兄弟』つまり「第一の小説」で、イワン=スメルジャコフによる父殺しが完結し、最後に「カラマーゾフ万歳」のシュプレヒコールの叫びがこだますとときに、ドストエフスキーは何を念頭に置いて「万歳」を叫ばせたのか、という問題に繋がっていきます。一方において、「カラマーゾフ」を、生命の全体性のメタファーとしてとらえ、さっきの生命賛歌の文脈で言えば、シラー直系のヒューマニズムと、例えば、まさにフロイト的リビドーの二つの肯定が根底に脈うっていると見てよいかもしれません。かりにアレクセイ・カラマーゾフを、そうしたカラマーゾフ的な全体性のシンボル的存在とみなすなら、彼こそは、去勢派スメルジャコフにとって最大の敵となったはずです。でも、ここで解釈は分かれるのです。私自身は、「カラマーゾフ万歳」について考えるたびに、つねに二つのことを考えてしまうのです。第一は、生命の全体性の肯定とか、生命賛歌といった何かしらディオニュソス的なもの、第二は、未来に向けてのベクトル、つまり、純粋に精神的な共同体としてのカラマーゾフ、この場合、子どもたちは、「アレクセイ・カラマーゾフ万歳!」と叫んだにちがいありません。なにしろ、コーリャたち一二名の子どもたちが、この時点で、生命の全体性の肯定といったことを理解していたとは考えにくいですから。むしろ、そこでは、父祖崇拝と兄弟愛がミックスされた、つまり、これこそ、フョードロフですよ、さっき引用した「娶らず、嫁がず、御使いのように生きる」にも通じるわけですが、「アンチセックス」の共同体としてのカラマーゾフ。
先ほど望月さんが紹介された、ホルクィストのサイクルでいえば、アレクセイ・カラマーゾフはすでにそこに理想的な父として立っている。ゾシマと理想的に一体化しているアリョーシャです。精神的なもののみで成立する共同体です。その中でアリョーシャは、子どもたちすべてにとっての父です。ここには、フロイト的な父殺しの対象としての父親ではなく、フョードロフ的な純粋に崇拝の対象の父親がいる。それが次の「第二の小説」で皇帝殺しへ向かうときに、彼は改めて父から子に逆転する、というか反転する。そういう構造としても読めるのではないですかね。
そこで、「第二の小説」について言うと、私はこう考えています。予想される皇帝暗殺は未遂に終わります。コーリャ・クラソートキンが実行犯で、アレクセイ・カラマーゾフは、使嗾者としての立場に立つのではないでしょうか。イワンとスメルジャコフの関係がパラレルに提示されます。しかし、アレクセイが裁かれることはありません。「第二の小説」で、最終的に提示されるのは、やはり土地主義の理念です。しかしより能動性を帯びていると思います。西欧派でもなければ、スラヴ派でもない。極左テロリストでもなければ、皇帝権力べったりでもない。ドストエフスキーは、引き裂かれた自己というのを、土地主義に見出していた。右もだめ、左もだめなら、下を、つまり大地を見よ、ということかもしれませんね。で、最終的に「第二の小説」では、彼の二枚舌が、永遠に引き裂かれた二つの自我が統合される物語となるはずです。それこそが、皇帝権力とテロリストの和解のヴィジョンです。ドストエフスキーは、永遠の自己矛盾の止場という形で、作家としての生涯を終えたいと念じたように思います。
M そうですね、また斜に構えたと言われるかもしれませんが、小説の後編を想像するという思考の方向自体が私には新鮮で面白いし、ロシア人にとっても興味深く受け止められているようですよ。いつだったか来日中のロシア人学者に、亀山という有名な学者が『カラマーゾフの兄弟』を新訳して人気を博しているばかりか、続編まで書いたというのは本当かと訊かれました。ある意味で当たっていると答えておきましたが。まあ私の関心からいくと、ちょうど今日の話には女性もしくは母性の問題が出てこなかったこともあって、三兄弟それぞれの女性との関係がどのように展開していくのかという、多少通俗的な側面が気になります。その際、ドミートリーおよびイワン、アリョーシャの母親たちの原型的な記憶がどのような役割を演じるのかも。ただ、女性・母性論はまた大きな話題ですので、宿題としておきましょう。
¶ 註
(1) 望月哲男「決疑論の展開:『カラマーゾフの兄弟』の一面」江川卓・亀山郁夫編『ドストエフスキーの現在』(JCA出版、一九八五)
(2)望月哲男『ドストエフスキーのいる現代ロシア文学』(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html)
(3) Тихомиров Б.Н. «Лазарь! гряди вон»: Роман Ф.М. Достоевского «Преступление и наказание» в современном прочтении: Книга-комментарий. СПб.: Серебряный век, 2005.
(4) Glucksmann A.,Dostoievski a Manhattan.Paris:RobertLaffont.2002.
(5) ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟』第五巻(光文社、二〇〇七)
(6) 亀山郁夫著『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』(光文社新書、二〇〇七)
(7) ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(筑摩学芸文庫)
(8) Бем А.Л. Достоевский. Психоаналитические этюды. Берлин, 1938.
(9) アンドレ・シード(寺田透訳)「ドストエフスキー」ジード全集第一四巻(新潮社、一九五一):O’Connor F.,“Dostoevsky and the Unnatural Triangle,”The Mirror in the Roadway:A Study of the Modern Novel,New York,1956:ルネ・ジラール(古田幸男訳)『欲望の現象学――ロマンティークの虚偽とロマネスクの真実』(法政大学出版局、一九七一)
(10) Dalton E.,Unconscious Structure in The Idiot:A Study in Literature and Psychoanalysis.Princeton U.P.,1979.
(11) Holquist M.,Dostoevsky and the Novel.Princeton U.P.,1977.
(12) Cox G.,Tyrant and Victim in Dostoevsky.Columbus:Slavica.1984.
(13) ジェフリー・カバト(小箕俊介訳)『イデオロギーと想像力――ドストエフスキーの社会像』(法政大学出版局、一九八七)
(14) Murav H.,Holy Foolishness:Dostoevsky’s Novels & the Poetics of Cultural Critique.Stanford U.P.,1999.
(15) Thompson D.,The Brothers Karamazov and the Poetics of Memory,Cambridge U.P.,1991.
(16) Meerson O.,Dostoevsky’s Taboos.Dresden U.P.,1998.
(17) Rice J.,Dostoevsky and the Healing Art: An Essay in Literary and Medical History.Ann Arbor,1985.
(18) Martinsen D.,Surprised by Shame:Dostoevsky’s Liars and Narrative Exposure.The Ohio State U.P.,2003.
(19) Ермаков И.Д. Психоанализ литературы: Пушкин, Гоголь, Достоевский. М.: Новое литературное обозрение. 1999.
(20) 亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』(NHKブックス)
(21) Волгин И. Последний год Достоевского: исторические записки. М.: Советский писатель, 1986.
(22) エドワード・ラジンスキー『アレクサンドル2世暗殺(上下)』(日本放送出版協会、二〇〇七)
(23) ヴィクトル・シクロフスキー『ドストエフスキー論 肯定と否定』(勁章書房、一九六六)
(24) 大江健三郎『水死』(講談社、二〇〇九)
(25) ジェイムズ・フレイザー『金枝篇』(筑摩学芸文庫)
(かめやま いくお・ロシア文学)
(もちづき てつお・ロシア文学)
『現代思想』(2010 vol.38-4)「総特集 ドストエフスキー」より