Words about Him
古今東西のドストエフスキー(世界編)
望月哲男+亀山郁夫編
残酷なる才能(ミハイロフスキー)
……思うに、羊を貪り食う狼の感情を、これほど丹念に、深みをもって、いわば愛情をこめて分析した人物は、ロシア文学ではドストエフスキーをおいて他にない(ただし狼の感情に対する愛情などというものが実際にありうるとすればだが)。しかも狼の感情といっても、たとえば単なる飢餓感のように本源的な荒々しい感情には、彼はほとんど関心を持たなかった。彼は狼の心の奥の奥まで分け入って、そこに極めて玄妙な、複雑なるものを探し出そうとしたのだ。すなわち単なる食欲の充足などではなく、まさに悪意と残酷さの悦びを。 (一八八二)
[出典] ニコライ・ミハイロフスキー『残酷なる才能』(H. K. Михайловский.« Жестокий талант ». Литературно-критичнские статьи. M., 1957)
*ニコライ・ミハイロフスキー(一八四二―一九〇四):ロシアの批評家、社会学者。自由主義的ナロードニキの立場から、同時代文学の社会学的観点からの分析・批判を行った。ドストエフスキーの作家としての力を評価しながら、彼の文学に目的不明の残酷さを読み取り、苦悩の中に救済の道を示唆するようなその文学が、結局はロシア社会の権力構造の擁護につながっていると論じた。評価は別にして、ドストエフスキーの心理主義的側面を倫理の問題と絡めて真っ向から分析した最初の批評家である。
精神のダイナミズム(ローザノフ)
……したがって彼(ドストエフスキー)の心理解剖はある特性を具えている。これはさまざまな状態、苦悩、変転における人間精神一般の分析であって、個人の特定な、完成した内面生活の分析(トルストイのように)ではない。彼の作中でわれわれの目の前を動くのは、その一つ一つが内部に中心を持った完成された姿ではなく、一種の影の連続ともいうべきものである。さながらさまざまな変転とでもいうべきものである。生まれ出ようとしているか、でなければ死に瀕しているところの霊的存在の襞ともいうべきものである。したがって彼が拉し来る諸々の人々が、われわれの心に呼び起こす大切なものは、思惟であって観照ではない。彼はわれわれに人間良心の秘密の隠れ場所を明かしてくれる。おそらく彼は、人間の非条理的な本性の中核をなす神秘的な結び目を、力の許す限り解きほぐし、開いてくれるだろう。 (一八九一)
[出典] ワシーリー・ローザノフ『ドストエフスキイ研究 大審問官の伝説について』(神崎昇訳、弥生書房、一九六二)
*ワシーリー・ローザノフ(一八五六―一九一九):ロシアの批評家、エッセイスト。ドストエフスキーに傾倒して彼の恋人だったアポリナーリヤ・スースロワと結婚した。宗教的な救いを性のうちに求める特異な宗教観でも有名。彼のドストエフスキー論の貢献は、この作家をロシア固有の文脈から解放し、普遍人類的でかつ超教会的な、ダイナミックな自由と調和の希求の問題として捉えたところにある。イワン・カラマーゾフの作品に「大審問官伝説」という名称を与えたのもこの批評家である。
スタヴローギンは古き神の滅亡から生じた(ヴォルインスキー)
スタヴローギンは古き神の滅亡から生じたが、と同時にその滅亡の犠牲となったのみでもあった。何故なら、その衰亡の過程においてなにか新たな精神力を感ずる事態はそこに存しなかったからである。彼の全機能を魅了した古き魂はいまや破滅してしまった。そして、人類に理想を与え、彼に対して新たな浄化の可能性をもたらすべき精神も心情も、彼には何らの作用をも及ぼさなかったのである。この人物を創造するに際してドストエフスキイが揺り動かされた根本主題はこれであり、この根本主題に比較すれば、当時の青年の熱狂的な運動に対して熱狂的な憎悪を抱いていたドストエフスキイが表明せんと欲したすべてのものは、ほとんど無価値である(一九〇四)
[出典] ヴォルインスキイ「偉大なる憤怒の書」(埴谷雄高訳、みすず書房、一九五九)
*アキム・ヴォルインスキー(一八六三―一九二六):ロシアの批評家、舞台芸術家。モダニズムを擁護者として知られ、一連の優れたドストエフスキー評論を残した。代表作として、『美の悲劇『カラマーゾフの王国』がある。バレエ批評でも知られた。
大審問官の遍在性(ベルジャーエフ)
大審問官の精神はカトリックにも、古い歴史上の教会一般にも内在したし、ロシアの専制体制にも、ありとあらゆる暴力的絶対主義国家にも内在し、そして今日ではその精神が、宗教の代理となってバベルの塔をうちたてようと豪語している実証主義や社会主義にも乗り移っている。人々を保護後見し、表向きその幸福と満足を気遣うポーズが、人間への軽蔑や、人間の高貴なる出自と気高き目的への不信と結びついている場所には、大審問官の精神が生きているのだ。幸福が自由よりも尊ばれ、永遠よりも刹那が重んじられ、人間愛が神への愛に対抗する場所に、大審問官はいる。人間の幸せには真理は不用だとか、生の意味をわきまえずともよく暮らすことはできるという主張が横行するところに、大審問官はいる。石をパンに替える業と見せ掛けの奇蹟と権威という悪魔の三つの試みによって、この世の王国によって人類が誘惑されるところに、大審問官はいる。悪の原理、すなわち根本的な形而上的悪を世に形作り、歴史上に具現した大審問官の精神は、多様な、しばしば対極的なイメージのうちに隠れてきた。良心の自由を否定し、異端者を火刑に処し、権威を自由の上に置く旧教会にも、満足のために至高の自由を犠牲にする、人類を神格化する実証主義という宗教にも、カエサルとその剣に跪拝する国家原理にも、人間の自由を否定して軽蔑すべき家畜のように人間を世話しようとするあらゆる形式の国家絶対主義や国家崇拝主義にも、そして社会主義にも、この精神が存在する。社会主義は地上的な生活の安寧のため、人類という群れが地上で平等に満ち足りるために、永遠と自由を否定したのである。 (一九〇七)
[出典] ニコライ・ベルジャーエフ『新しい宗教意識と社会』」(Николай Бердяев.Новое религиозное сознание и общественность. СПб., 1907)
*ニコライ・ベルジャーエフ(一八七四―一九四八):ロシアの思想家。本来合法的マルクス主義の立場をとり、革命運動にも参加したが、後にキリスト教哲学に傾倒した。モスクワ大学で哲学を教えた後、一九二二年にパリに亡命、雑誌『道』(一九二五―四〇)を編集した。実存主義の先駆者の一人といわれ、現代ロシア思想にも影響を及ぼしている。ドストエフスキーを、物質的な価値に対する精神的な価値の優越を説いた作家の典型と捉え、特にその自由論を自らにひきつけて論理展開した。ここでは『大審問官』に描かれた思想を、誤った宗教的政治思想の一類型として性格づけている。
犯罪者たちの無罪と審判者たちの有罪(ヘッセ)
われわれは、ムイシュキンにしろ、ほかのどんな人物にしろ、『お前はこうならなければならない!』という意味で摸倣しなければならない模範であるとは考えない。われわれが感じるのは、『これを通過しなければならない。これはわれわれの運命なのだ!』という意味での必然性なのである。……しかしドストエフスキイにあっては、犯罪者たちの無罪と審判者たちの有罪は、単なる巧妙な構成などといったものでは決してない。それはあまりにも恐ろしく、人目につかない深い基盤で発生し、生長するので、小説の最後の巻にいたって初めて、われわれはほとんど突如としてこの事実に遭遇する。まるで壁にぶつかったように、まるで世界の苦痛と不合理全体にぶつかったように、人類のあらゆる悩みと愚かしさにぶつかったように (一九一四―一五?)
[出典] ヘルマン・ヘッセ『ドストエフスキーの長編小説』(Hesse H., Ein Roman von Dostojewski, “Schriften zur Literatur”. Bd. 1, z, Frankfurt a. M., 1972)なお、本文の訳は、レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)を使用させていただいた。
*ヘルマン・ヘッセ(一八七七―一九六二):二〇世紀前半のドイツ文学を代表する作家。南ドイツを舞台に穏やかに生きる人間の群像を描く。一九四六年に『ガラス玉演戯』などでノーベル文学賞を受賞。代表作『車輪の下』『デミヤン』『シッタールダ』など。ドストエフスキー文学に深い造詣を示したことでも知られる。
戦争よりもはるかに恐ろしい(ボルヘス)
売春婦と殺人犯を主人公にしたこの小説は、自分たちのまわりで行われていた戦争よりもはるかに恐ろしいように思われたのです (一九一四)
[出典] ジェイムス・ウッダル『ボルヘス伝』(平野幸彦訳、白水社、二〇〇二)
*ホイヘ・ルイス・ボルヘス(一八九九―一九八六):アルゼンチン生まれの作家、スイス、スペインを転々とし、当時のモダニズム運動に関わるが、一九二一年に帰国。一九三〇年代から本格的な文筆活動助に入る。邦訳に、代表作『エル・アレフ』『伝奇集』がある。野谷文昭によると、ボルヘスは当初、スイスで『罪と罰』を読み、ドストエフスキーを最大の作家ととらえたが、一〇年後に再読し、大いに失望したらしい。本文は、ボルヘスが、第一次大戦勃発時を回想した言葉で、仮に年号を一九一四年としておいた。
もし神がないならば、すべては正しい(マリ)
イワン・カラマーゾフの怖るべき論理には誤った足どりはないのである――もし神がないならば、すべては正しいのだ。ドストエフスキーはこの論理を明白にすべき最初の作家であった。彼の想像力が、われと人間性の力に駆りたてられてこの問題に直面した人々を生み出したのである。いかほど彼らがすさまじく見えようとも――そしてまさしく彼らは不吉な霊どもとしてあらわれるのだが――、彼らを強制してあらゆることを、とりわけてわれわれのある不滅の本能が知るべからずと告げるところのものを知るにいたらしめるのは、その人間性なのである。なぜなら彼らは生の道を求めるが、この追求こそ人間性のしるしそのものだからである (一九一六)
[出典] マリ『ドストエフスキー』(山室静訳、アポロン社、一九六〇)
*ジョン・ミドルトン・マリ(一八八九―一九五七):イギリスの作家、多作家で知られ、文学のみならず、社会問題全般にも積極的な評論活動を展開した。
刺激的黙示録(ツヴァイク)
ドストエフスキーの世界はまったく黙示録風であって、寒きから熱きへ、熱きから寒きへとたえまなく交代するが、けっして生ぬるい微温状態にはならない。そのように、彼の情熱は生活を血に浸し、高められた感情を不安から不安へと投げ入れてゆく。それゆえ、人はドストエフスキーの小説を読むとき、少しも安らかな気分になることはなく、生の静かな音楽的なリズムに浸ることはなく、ほっと一息つく合間さえないのである。電気にでもうたれたように絶えず不安におののきながら、頁がすすむにつれてますます熱し、ますます燃え、ますますいらだち、ますます好奇心をかきたてられる。私たちは彼の文学の吸引力の及ぶ範囲に身をおく限り、彼自身に似てくる。自分自身永遠の分裂者であり、作中の人物をことごとく分裂の十字架につけるドストエフスキーは、読者の感情の統一をも粉砕してしまうのである。 (一九一九)
[出典] シュテファン・ツヴァイク『三人の巨匠』(柴田翔他訳、みすず書房、一九七四)
*シュテファン・ツヴァイク(一八八一―一九四二):ウィーン生まれのドイツ語作家。評伝にも大きな仕事を残したが、バルザック、ディケンズ、ドストエフスキーを描いた『三人の巨匠』はその最初の試みだった。ヘッセ、ロマン・ロランらと親交を持ち、両大戦間期に反戦・平和主義的な作風をもち続けたが、ナチスの台頭により亡命。ブラジルで客死した。彼のドストエフスキー論は、ダイナミックで時に残酷かつセンセーショナルなこの作家のリアリズムの特徴を、きわめて生き生きと描写している。
悪への嫌悪と同時に悪が必要だという観念(ジイド)
ドストエフスキーは一生涯、悪への嫌悪と同時に悪が必要だという観念に責めさいなまれていました。(ここで悪というのは、私としては、同様に苦という意味をそこに含ませています。)私は彼を読むと『畑主』の喩えに考えが向いてしまいます。『畑主』にひとりの使用人が言います。「もし汝望まば、われら悪しき草を抜かん。」すると『畑主』が答えます。「否、よき穀物とともに、刈り入れの日まで、毒麦を生うるがままにまかせよ。」(一九二二)
[出典] アンドレ・ジイド『ドストエフスキー』(寺田透訳、新潮社、一九五八)
*アンドレ・ジイド(一八六九―一九五一):フランスの小説家。キリスト教的倫理からの解放を訴え、広くヨーロッパに影響を与えた。当初、共産主義に傾倒したが、訪ソ後、反共に転じる。死後、ローマ教皇庁により、禁書に認定された。代表作として『狭き門』『贋金作り』『法王庁の抜け穴』などがある。本文は、一九二二年にパリのビュー・コロンビエ座で行われたドストエフスキーに関する一連の講演から採録したもの。
真に忘れがたい偉大な典型(リルケ)
総合的な、分裂していない体験が、あらゆる種類の体系化が求める拘束や譲歩によって損なわれることなく、生きた完全な姿であらわれる場所に、私は人間を求めるのだ。哲学が宗教となるとき、つまり、哲学がじっさいには、それを考えだした人間が生と死と闘いながらたどった人生の道のりをたんに拡大したものにすぎないにもかかわらず、他の人々にたいして独断的な要求を押しつけはじめるとき、そこにはいつも、何か故意に考えだされたようなものが存在する。真に忘れがたい偉大な典型――それは、イエス・キリストとドストエフスキーである (?)
[出典] ライナー・マリア・リルケ『ヴォルプスヴェーデ・ロダン・書簡・詩』(モスクワ、一九七一年)なお、翻訳は、レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)を使用させていただいた。
*ライナー・マリア・リルケ(一八七五―一九二六):オーストリアの詩人、作家。ゲオルゲ、ホーフマンスタールとともに世紀転換期を代表するドイツ語詩人。代表作に、詩集「ドゥイノの悲歌」、小説では、「マルテの手記」がある。ロシア語をよく理解し、パステルナーク、ツヴェターエワらのロシア人とも交流があった。
ものすごく深い井戸がある(プルースト)
ドストエフスキーの場合は、いくつかものすごく深い井戸があると思うよ。でもそれは人間の魂のばらばらに孤立した地点に掘られているんだ。それでもやっぱり偉大な作家だよ。まず第一に、ドストエフスキーの描いた世界は本当に彼のために創り出されたように見えるからね。レーベジェフとかカラマーゾフとかイヴォルギンとかセグレフなんていう道化役者が次から次へと妙ちきりんな行列を作って出てくるだろう? あれはレンブラントの『夜警』にあふれている人物よりもっと異様な連中だね。でもことによると、ドストエフスキーの人物もレンブラントのと同じように、照明と衣装の効果で異様に見えるのかもしれない。結局はよくいる連中なのかもしれないよ。いずれにしてもこれは真実性に満ちた、深い、ユニークな人たちだし、ドストエフスキー独自の人物なんだ。こういった道化連中を見ると、まるでもうなくなった役柄といったところがあるだろう? 古代喜劇の登場人物みたいにさ。それでもああいった人物は、人間の心の真実の姿を実によくあらわしているじゃないか! (一九二五)
[出典] プルースト『失われた時を求めて』第十巻、第五篇「囚われの女2」(鈴木道彦訳、集英社文庫、二〇〇七)
*マルセル・プルースト(一八七一―一九二二):世紀転換期を代表するフランスの作家、エッセイスト、批評家。代表作『失われた時を求めて』は、二〇世紀世界文学史上、最も重要な作品とされ、しばしばその規模、洞察力においてドストエフスキーとも比較される。
自画像としての大審問官(ロレンス)
大審問官がイエスに対するドストエフスキー自身の最終的な意見を述べていることは疑いない。その意見とは、率直に言えば、イエスよ、あなたは不適任だ、あなたの過ちは正されなければならない、ということである。そしてイエスは結局、大審問官に黙認の接吻を与える。アリョーシャがイワンにその接吻を与えるように。霊感を受けた二人の人物は、自分たちの霊感がこの世にふさわしいものではなかった、従って思慮深い者が徹底的な修正の責任を引き受けなくてはならない、ということを認めるのである。
ドストエフスキーの作品ではいつものことだが、驚くべき洞察と醜いひねくれた頑固さとが混じり合っている。純粋で混じりけのないものは一つもない。彼がイエスに抱く激しい愛は、ひねくれた毒々しい憎しみと混じり合い悪魔に抱く道徳的な敵意は、ひそかな崇拝の念と混じり合っている。 (一九三〇)
[出典] Lawrence D. H., Preface to F. M. Dostoevsky. The Grand Inquisitor. Translated by S. S. Koteliansky, London. 1930. i-xvi.
*D・H・ロレンス(一八八五―一九三〇):『息子と恋人たち』(一九一三)、『チャタレイ夫人の恋人』(一九二八)などで、性関係のテーマを扱った英国作家。ロレンスの問題意識には、第一次世界大戦がもたらした文明への不信感、キリスト教的価値観への疑いが含まれており、ドストエフスキーの主題は彼にもアクチュアルなものであったと思われる。この評論は、英訳版『大審問官』への序文として書かれた、彼の最晩年のエッセイ。ロレンスのコメントは、イワン=大審問官の思想を正面から受け止め、それをドストエフスキー自身の思想の一面だと捉えた上で、二〇世紀の世界戦争を経験した人間の視点から肯定しているところが特徴である。
支那には露西亜のキリストが居ない(魯迅)
回憶して見ると若かつたときに偉大な文学者の作品を読んで其の作者を敬服すれども、どうしても愛しえないものは二人有った。一人はダンテで(……)、もう一人は即ちドストエーフスキイであった。(……)ドストエーフスキイ自分は罪人と共に苦しみ、拷問官と共に面白がつて喜んで居るらしい。それは決して只の人間の出来る仕業でなく、詰り偉大であつたからである。併し自分は度々読んで行く事をよそうかと思つた。(中略)
只支那の読者として自分は未だドストエーフスキイ的忍従、即ち横逆に対する徹底的な、本当の忍従を腑に落ちない。支那には露西亜のキリストが居ない。支那には神の代りに成人の礼義が君臨して居る、殊に弱々しい女性の上に (一九三五)
[出典] 『魯迅全集』八巻(学習研究社、一九八四)
*魯迅(一八八一―一九三六):中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人。卓越した才能を恵まれていたが、欧米の文化にたいする憧れと中国の伝統に対する蔑みは、その文体にまで及んだ。代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』などがある。
信仰の千年王国(シューバルト)
一九世紀は三人の巨大な人物を立てた。ナポレオン、ニーチェ、ドストエフスキー。ナポレオン――ほとんど神人に触れるほどまでの高みに立つ皇帝。キリストを求めたが、シーザーまでしか行き着けなかったニーチェ、シーザー的なものを克服してキリストに行き着いたドストエフスキー。ナポレオン――このプロメテウス的理想の完成者、ドストエフスキー――このヨハネ的理想の告知者、ニーチェ――この二つの理想の間で引き裂かれ、分裂した中間期の哲学者。一九一四年の戦争とともに、われわれはニーチェの数十年代へと突入し、そしてこれがドストエフスキーの時代へと導いていく。その時代は、次の世界大戦の後で始まるであろう。
ニーチェは、いつの日か千年全体が自分の名に誓いを立てるだろうと誇示した。彼は、おのれが暫定的なものの象徴にすぎなかったことを誤認した。というのも、精神の闇に沈むものは持続の象徴ではありえないからである。これに対してドストエフスキーの神の賛美は精神の、永遠の生の勝利である。それゆえ、――シュペングラーの言葉によれば――次の千年はドストエフスキーのキリスト教のものになるであろう。 (一九三九)
[出典] ワルター・シューバルト『ドストエフスキーとニーチェ』(駒井義昭訳、富士書店、一九八二)
*ワルター・シューバルト(一八九七―一九四一):ドイツ生まれの哲学者。両大戦間期にロシア人の妻とラトヴィアに暮らしたが、スターリン・ソ連とヒットラー・ドイツの双方からの圧力に翻弄され、第二次大戦開始直後にソ連国家保安部の手で抹殺された。彼のドストエフスキー評価には宗教的な世界調和への期待がこもっているが、それは全体主義社会への危機意識の裏返しに他ならなかっただろう。
信仰告白とぞっとするような打ち明け話(トーマス・マン)
ドストエフスキーが他人の魂をまるで医師のように客観的に研究し、洞察するというのは見せかけだけのことで、実際に彼の創作はむしろ、ことばのもっとも広い意味における心理的抒情詩であり、信仰告白とぞっとするような打ち明け話であり、自分の良心の深みを仮借なく露呈したものにほかならない。これこそ、ドストエフスキーの魂の科学のあの巨大な道徳的確信と恐るべき宗教的威力の源泉なのだ (一九四五)
[出典] トーマス・マン「ドストエフスキー論 ただし控えめな」『全集』(藤本淳雄訳、第九巻、新潮社、一九七二)
*トーマス・マン(一八七五―一九五五):ドイツの小説家。一九〇一年にみずからの一族をモデルとした『ブッデンブローク家の人々』で一躍名を知られ、『トーニオ・クレーガー』『ヴェネツィアに死す』ののち、教養小説の最高傑作される『魔の山』を発表、一九二九年にノーベル文学賞を受賞した。
宗教的ではない社会主義に拒絶を示した(カミユ)
「神と不死の問題は社会主義の問題と同じである、ただ角度が異なるのだ」と書いた人は、将来われわれの文明が万人のための救済を求めるか、あるいは誰をも救済しないかであることを知っていました。だが、かれは一個人の苦難を忘れては救済が万人に広がりえないことも知っていました。ことばを変えて言えば、かれはもっとも広い意味での非社会主義的な宗教を望んでいたのではなく、もっとも広い意味での宗教的ではない社会主義に拒絶を示したのです。かれはそのような形で真の宗教と真の社会主義の未来を救っているのです、もっとも現代世界はドストエフスキイがどちらの点においても誤まっていたことを示そうとしているように思われますが。しかしながらドストエフスキイの偉大さは増すばかりです、われわれの世界は滅びるか、あるいは彼の正しさを認めるか、だからです。われわれの世界が滅びるにしても再生するにしても、いずれにしてもドストエフスキイの正しさは認められることでしょう。だからこそ、そのあらゆる矛盾にもかかわらず、あるいは正にその矛盾の故に、かれはわれわれの文学やわれわれの歴史を凌駕しているのです。 (一九四〇年代?)
[出典] レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)
*アルベール・カミュ(一九一三―一九六〇):フランスの小説家、劇作家。『異邦人』や『シーシュポスの神話』、『ペスト』などの作品で、人間存在の不条理さを追究し、一九五七年にノーベル文学賞を受賞。ドストエフスキーに造詣が深く、評論『反抗的人間』でも独自の哲学を披歴した。『悪霊』のドラマ化も試みている。
愛は信仰を前提とする(モチューリスキー)
大審問官は神を愛せという戒律は拒否するが、隣人を愛せという戒めの狂信者になる。それまでひたすらキリストを崇拝することに向けられてきた彼の強大な精神力は、今度は人類への奉仕に向けられる。しかし信仰に裏付けられない愛は、必然的に憎悪に変わるものだ。神への信仰を失うとともに、大審問官は人間への信仰も失わざるを得ない。この二つの信仰は、元来切り離せぬものだから。霊魂の不滅を否定することによって、彼は人間の精神の本質を拒否することになった。するとたちまち人間は彼にとって実にみじめで、弱く卑しい存在になってしまった。そして人類史は、災厄と悪行と苦悩の、意味のない積み重ねということになる。 (一九四七)
[出典] コンスタンチン・モチューリスキー『評伝ドストエフスキー 生涯と作品』(松下裕・松下恭子訳、筑摩幹房、二〇〇〇)Константин Мочульский.
Достоевский. Жизнь и творчество. Париж, 1947.
*コンスタンチン・モチューリスキー(一八九二―一九四八):亡命ロシア人の評論家。モチューリスキーはゴーゴリ、ドストエフスキーなど、革命前ロシア文学の評論を手がけ、広く読まれた。彼のドストエフスキー伝は作品論としても豊かな資料と優れた着想を盛り込んだ傑作である。ここでは、キリストの名を騙る反(アンチ)キリストとしての大審問官の個性分析に主眼が置かれ、その悲劇性と限界が明快に考察されている。
五〇回は読んだ(ヴィトゲンシュタイン)
ヴィトゲンシュタインは『カラマーゾフの兄弟』の全センテンスを五〇回は読んだにちがいない。アリョーシャは色あせていったが、スメルジャコフはちがう。彼は深い、と。この登場人物のことがドストエフスキーはよくわかっていた。彼はリアルだ。そこで彼は、この本(『カラマーゾフの兄弟』)にはもうもはや何も興味を抱かなくなったと話した。しかし、『罪と罰』に戻りたいようだった。そして彼は、その小説のディテールを話した。馬殺しの話や、屋根裏部屋や、廊下、階段などである。しかし、彼がもっとも素晴らしいとして衝撃を受けたのは、ラスコーリニコフがドアを閉め忘れてしまう場面だった。ものすごい、と言っていた。
(一九四九―五一)
[出典] O. K. Bouwsma. Wittgenstein Conversation 1949-1951, Hackett Pub Co Inc., 1986
*ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(一八八九―一九五一):オーストリア出身の哲学者、論理学者。二〇世紀の言語哲学、分析哲学の領域に巨大な足跡を残した。翻訳は、ヴィトゲンシュタイン全集』(全一〇巻・補巻二、大修館書店、一九七五―八八)がある。ヴィトゲンシュタインは、『カラマーゾフの兄弟』の熱烈な愛読者で、六二年間の生涯にわたって五〇回読んだという「伝説」が伝えられてきた。その情報源が、ここに記録したO・ブースマが残した「対話」である。なお、ヴィトゲンシュタインとドストエフスキーの関係をめぐっては、判治聡氏のホームページ上(Dune's Home Page http://www.kotoba.ne.jp/~dune/)で、かなり興味深い記事に出会うことができる。興味をもたれた方はぜひともアクセスしてほしい。
不自然な三角形(オコンナー)
私の机の上に五ポンド札があり、友人ジョンがそれを盗む。――ドストエフスキーならばこの話は以下のように展開する。――ジョンはある熱愛する女性に食事をおごるため、友人の私から当然のこととして盗んだのだ。もちろん彼は罪悪感を覚えるが、これ以降ずっとその罪悪感から逃れられぬ破目になる。私は彼が金を盗んだことを知っており、ジョンは私が知っていることに気づいている。彼は涙ながらに告白することを願うが、私は生来の残酷さ(それを道徳性と私は装う)から、彼に謝罪の機会を与えない。こうするうちに彼は折れて出て、恋人との素敵な食事、五ポンドの食事のことを私に語ることで、部分的な告白をする。こちらも同じ手で、以前二ポンド盗んだあげくに首を吊って自殺した女中の話をしてやる。わたしの残酷さに対する絶望の発作に駆られて、彼は私の喉を裂こうとするが、そのときわたしはさらに困難な立場に立つ。それはジョンが自分を許すためにどうしても罰せられたいと言い張るのに対して、私のほうはもう残酷に振舞った後なので、彼を罰する意図は消えているからだ。だが、わざわざ自分の罪悪感を増す破目になっても、私は余儀なく彼の罪悪感を軽減してやらねばならなくなる。話が終わる頃には――もしこの話が、二人の合意心中といった形以外で終わることがあるとして――もはや誰が、何を、誰から盗んだのかは、疑わしくなっているだろう。主体・客体の関係がひどく混乱しているだろうから。 (一九五六)
[出典] フランク・オコンナー「不自然な三角関係」『路上の鏡』(Frank O'Connor, “Dostoevsky and the Unnatural Triangle, “The Mirror in The Roadway: A Study of the Modern Novel, New York, 1956)
*フランク・オコンナー(一九〇三―六六):アイルランド生まれの作家、舞台演出家、文芸批評家。演劇世界に精通したオコンナーのドストエフスキー論は、主人公たちの関係の不条理性を巧みに捉えている。ドストエフスキーのある種の恋愛が、主として同性間の愛憎の葛藤を主題としていて、恋愛対象には奇妙に無関心であるという事情を、ジラールとは別の角度から素描しているのだ。ライバル同士が互いへのこだわりを第三者に投影するような奇妙な三角関係においては、やがて主体と客体の境自体も曖昧になっていく。『永遠の夫』のような作品の読解に有効な論理である。
ソ連を追われたドストエフスキー(スタイナー)
大審問官がキリストに人間の王国はすぐだと予言してから四〇年もたたないうちに、トルストイの希望のいくつかとドストエフスキーの恐れたことの多くが実現された。終末論的専制政治が、『悪霊』でシガリョフが予告した孤独な夢の支配体制が、ロシアに行われたのである。……レーニンに従えば、ロシア革命はトルストイの中に真の鏡を見出したことになる。傷つきはずかしめられた文人であり、死刑を宣告された急進的なシベリア追放の生き残りであり、経済的・社会的堕落のあらゆる面に通暁していたドストエフスキーは、死後に「プロレタリアートの祖国」から追放された。ところが、都会の上流社会と田園の豊かな地主の生活を貴族の目で年代記に書き上げ、また産業革命以前の父親中心主義の支持者であったトルストイが新しい至福千年王国の自由を授与された。このことは、不完全で比喩的なものであるけれども、イワン・カラマーゾフの劇詩が歴史的に妥当なものであったことを暗示する、教訓的な逆説であった。マルクス主義者たちがトルストイの中に見出したものは、ほとんどドストエフスキーが大審問官の中に予見していたものばかりである。 (一九五九)
[出典] ジョージ・スタイナー『トルストイかドストエフスキーか』(中川敏訳、白水社、二〇〇〇)
*ジョージ・スタイナー(一九二九―):第二次世界大戦前夜にパリからアメリカに亡命したユダヤ人文学者、作家。二人のロシア文壇の巨匠をパラレルに論じた彼の文章は、ヨーロッパ文学の伝統的文脈に関する深い知識を踏まえているが、同時に文学の受容にも現れた二〇世紀全体主義の記憶が濃い影を落としている。
交じり合う声たち(バフチン)
ラスコーリニコフによってその内的発話の中に導入される声はすべて、そこで、現実の対話の声たちの問には起こり得ないような一種独特な接触関係を持つことになる。そこでは声たちが、ひとつの意識の中で響き合うために、相互に浸透し合っているかのようになってしまう。声たちはお互いに接近し、重なり合うと同時に、部分的に交錯し合うが、その交錯点では必然的に相互の遮り合いが発生するのである。 (一九六三)
[出典] ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(望月・鈴木訳、筑摩書房、一九九五)
*ミハイル・バフチン(一八九五―一九七五):ソ連の文芸学者。言語現象を間主観的な発話の現場で性格づけるという対話の言語学を小説論に応用して、古代のメニッペアに発するカーニヴァル文学、およびその近代的展開であるポリフォニー小説というジャンルにドストエフスキーの文学を位置づけた。バフチンの議論は、複数の意識主体の対話の場としてあるポリフォニー小説における作者、主人公およびその思想の位置関係について反省的な再考を促し、二〇世紀のドストエフスキー論を俄然活性化させた。そうした彼の偉業のベースには、引用のような、紙に書かれた文字の中に複数の声の交錯を聞き分ける、鋭い耳の働きがあった。
アンチテーゼの展開(ゴロソフケル)
ドストエフスキーは『純粋理性批判』の矛盾論を知っていたばかりではなく、それを深く考察したのである。そればかりではなく、ある程度それをにらみながら、小説の劇的な状況の中で自分の論証を展開したのだった。それだけではなく、作家として、評論家として、思想家として、彼はカント、もしくはより正確にいえば、カントのアンチノミーのアンチテーゼを、自分が(自分自身の内部においても、また反対者との関係においても)たたかった対立物全体の象徴にしたのである。……カントによれば、アンチノミー(二律背反)のテーゼ(命題)では道徳と宗教の「礎石」が問題とされており、アンチテーゼ(対立命題)では科学の「礎石」が問題にされているのであるが、『カラマーゾフの兄弟』でも、同じそれらの「礎石」が問題にされている。 (一九六三)
[出典] ヤコフ・ゴロソフケル『ドストエフスキーとカント』(木下豊房訳、みすず書房)
*ヤコフ・ゴロソフケル(一八九〇―一九六八):ソ連時代の哲学研究者。マルクス主義が公式イデオロギーだった時代に、ギリシャ哲学からカントまで、観念論哲学や古典文学を研究・翻訳した。スターリン時代は不遇だったという。本書はイワンカラマーゾフの思想世界をカントの『純粋理性批判』におけるアンチノミー(二律背反)の構図で分析した、きわめて興味深い哲学的文学論。大審問官の思想が、カントにおけるアンチテーゼの一典型として読み解かれている。
イワンの詭計(グワルディーニ)
大審問官はこの世界を否定し、世界を悪くしたのは神であるとして、自分はその創始者よりも世界をはるかに立派なものにしてみせると豪語して、神の手からこの世界を奪い取ろうとするのだが、この限りにおいては大審問官はイワン自身に他ならない……。だがそれでいながらイワンは、同じ世界のことで苦しみ悩みながら、病的な神経でそれを愛しているのだ。この世界だけが彼の求めているものを与えてくれるので、彼としてはいつまでもあるがままの世界であって、他のものに変わってほしくないのである。それゆえにいつでも抗議ができ、抗議される立場にある世界を楽しむことができるように、その現状をいつまでも保たせようとするのだ。 (一九六四)
[出典] ロマノ・グアルディーニ『ドストエフスキーの作品の宗教的人物 信仰の研究』(Romano Guardini. Religiöse Gestalten in Dostojewskijs Werk. Studien über den Glauben. München, 1964)
*ロマノ・グアルディーニ(一八五五―一九六八):イタリア生まれの宗教哲学者。本論のユニークな点は、『大審問官』に登場するキリストのイメージを、作者であるイワンの思想を批判する材料として検討している点にある。つまりここに現れるキリストは、イワンの思想と行動に現れた幼児的な無責任さ正当化するためにこしらえられたまがい物だと言うのである。この議論はロレンスのようにイワンとドストエフスキーを同一視する立場への反論にもなっている。
他者の神(ジラール)
神に反抗し、自分自身を崇める者は、結局かならず「他者」、すなわちスタヴローギンを崇めることになる。基礎的な、だが深い直観が、『罪と罰』に始まる、地下の心理学から形而上学への移行を完成に導く。ラスコーリニコフは、本質的に、自分が殺した神にみずから取って代わることができない。だが、その失敗の意味は明らかにされていない。スタヴローギンの場合、もちろん彼自身が神ではないし、自分自身に対して神であるわけでもない。憑かれた人々の異口同音の賞賛は、奴隷の賞賛であり、したがって一切の価値を欠いている。スタヴローギンは「他者」にとって神なのである。 (一九六三)
[出典] ルネ・ジラール『ドストエフスキー 二重性から単一性へ』(鈴木晶訳、法政大学出版局、一九八三)
*ルネ・ジラール(一九二三―):フランスの哲学者、人類学者、批評家。欲望の構造を主体・客体・媒体のファクターで捉える「三角形の欲望」理論で有名。彼のドストエフスキー論は、自らの欲望を完全に制御できるゆえに他者にとって神となるような、「絶対者」像のメカニズムの分析に捧げられている。
思想家と芸術家(クズネツォフ)
「アインシュタインのドラマ」というのは恣意的な概念である。天才による三十数年の熾烈な努力をもってしても統一場理論は生み出されなかったという事実は、疑いもなくドラマチックである。しかし、アインシュタインは理論探求のあらゆる場合において、一瞬たりともその原理的可能性を疑わなかった。彼は、非ユークリッド的幾何学をさらにいっそう非ユークリッド的(いっそうパラドキシカルな意味における)な幾何学へと一般化していくことによって目的に到達すると考えた。彼は宇宙の調和の存在をますます確信するようになった。
ドストエフスキーのドラマはまったくのところ、悲劇的で融和しようのないドラマであった。彼は神的調和への単純かつ伝統的な「ユークリッド的」信仰から出発し、逆説的な「非ユークリッド的」調和を認め、そしてそれが個人の運命を無視するものであることを知ると、世界は知りえないのだと宣言して「ユークリッド的」信仰と公認正教へともどっていった。これは思想家の展開であった。芸術家は引き返すことなどできなかったし、創造的な芸術の論理は不可逆的であった。そして心の底で、ドストエフスキーは「反逆者」たらざるをえなかったのである。 (一九七二)
[出典] ボリス・クズネツォフ『アインシュタインとドストエフスキー』(小箕俊介訳、れんが書房新社、一九八五)。
*ボリス・クズネツォフ(生年不詳):ロシアのアインシュタイン学者。彼によればドストエフスキーはどんな思想家にもましてアインシュタインの仕事に霊感を与え、両者は相対的世界における調和の追及という問題を共有していた。ただし没自我的になりうるアインシュタインと思想家と芸術家の内的分裂を抱えるドストエフスキーとでは、問題への対応が違っていた。つまり同じゲームを別のルールで戦っていたのだ。
子は父となる(ホルクィスト)
人は神になることはできない。絶対の自我が別の自我に成り代わることはできない。しかし子は父になることができる。それが『カラマーゾフの兄弟』で展開されている事柄である。 (一九七七)
[出典] ミハイル・ホルクィスト『ドストエフスキーと小説』(Michael Holquist, Dostoevsky and the Novel, Princeton Univ. Press, 1977)
*ミハイル・ホルクィスト:イェール大学の比較文学者。ドストエフスキー論、ミハイル・バフチン論などで有名。この研究書では、ドストエフスキーの創作を、フロイトが『トーテムとタブー』に描いた原始部族における父と子たちの葛藤と世代交代の物語になぞらえて解釈している。それはまたジラール風の欲望論・ライバル論の袋小路からの突破口を提供しているようだ。
善悪対照表(ブロツキー)
むろんドストエフスキーは善の、いやキリスト教の飽くなき擁護者であった。しかしよく考えてみれば、悪の弁護者としても彼ほど鋭い人間はいない。彼は古典主義からきわめて重要な原理を学んだ。つまり、どんなに強く自分の正しさを、もしくは正義を確信していても、自分の結論を述べる前に、まず反対者側の論理を全て数え上げてみよ、というものである。これは別に、論駁対象となる議論を列挙しているうちに自分の意見が逆転する可能性があるからというわけではなく、単にこのような列挙自体きわめて楽しい作業だからである。結局は自己の信念に留まることになろうといっこうにかまわない。ただ悪を擁護する論拠の全てを検証したあとでは、信仰の公準を発する言葉も、熱気よりむしろ郷愁を帯びるようになるだろう。それもまた真実味を高めてくれるのである。
だがドストエフスキーの主人公たちがカルヴァン主義的不屈さで読者の前に心を開いてみせるのは、単なる真実味のためではない。何かそれ以外のものが、ドストエフスキーに主人公たちの生活を洗いざらい暴露させ、その心の内奥の襞や皺まで見極めさせるのだ。それは真理への希求ですらない。彼の審問の結果は、何かしらもっと大きなもの、真理そのものを越えるようなものを明らかにしてくれる。すなわち生というもののありのままの生地、決して見栄えのしない生地を、むき出しにしてくれるのである。彼にこれを促すのはひとつの力であり、その力の名を言語の健啖なる雑食性と言う。言語はある時とつぜん、神にも人間にも現実にも罪にも死にも永遠にも救済にも飽き足らなくなる。そのとき言語は、自分自身に向かって飛びかかるのだ。 (一九八〇)
[出典] ヨシフ・ブロツキー『自然の権力』(Иосиф Бродский. «Власть стихий».Сочинения Иосифа Бродского. Том V. СПб.; МSМХСIХ. 1999)
*ヨシフ・ブロツキー(一九四〇―一九九六):レニングラード生まれのユダヤ系ロシア詩人。七二年に国外追放、アメリカに渡っていくつかの大学で教えた。八七年にノーベル文学賞を受賞。紀行文『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』、戯曲『大理石』などの翻訳がある。
【P247キャプション 『悪霊』草稿】
ロシア的文体(ガルコフスキー)
ドストエフスキーはいまだ自国の哲学をもたない国に生まれた哲学者である。ただしその国には自前の文学があった。だからドストエフスキーは自分の哲学を小説の形で表現した。これは悲劇であると同時に幸福でもある。というのも、このユニークな場合には、内部の精神世界とその言語表現との間に分裂が生まれなかったからである。ドストエフスキーは自由で、その哲学の才能はロシア文学の広い懐の中で展開された。ドストエフスキーの口を借りて、ロシア的なタイプの考え方が自己表現した。すなわち発作的でとぎれとぎれでありながら、同時にしつこくていつまでも言い訳したりつけ加えたりといったタイプの考え方である。 (一九九七)
[出典] ドミートリー・ガルコフスキー『果てしない袋小路』(Д. Галковский,Бесконечный тупик, М., 1997)
*ドミートリー・ガルコフスキー(一九六〇―):現代ロシアの作家。代表作『果てしない袋小路』はドストエフスキー、ローザノフ、ナボコフなどの「もっともロシア的な」作家に関するエッセイに無数の注をつけた異様な風姿の書物で、ロシア版ポストモダニズムの果実のひとつとみなされる。この作家の論理では、ドストエフスキーの文体は、ロシア人が自己愛と自虐を混ぜつつロシア的な自己を語るのにもっともふさわしい形をしている。作者はそのこと自体を、『地下室の手記』をまねたような、際限なく回転する自己弁明の「空虚な漏斗」のごとき文体で説明しようとするので、当然作品全体が「果てしない袋小路」にはまるというわけである。
自殺の文学(チハルチシヴィリ)
ドストエフスキーは、ロシアの思想家のうちで初めて、自殺を人類の主要な道徳的問題のひとつとして検討した人物である。……ドストエフスキーの文学作品における自殺の扱い方は、きわめて異端的に見えるもので、教会のいくつかの根本教義の正しさに対する彼の深刻な疑念、あるいは明らかな不同意さえうかがわせる。だから、ドストエフスキーは伝統的キリスト教の自殺論とは本質的に異なった、自殺に関する自前の教義を打ち立てたのだと言っても、過言ではないだろう。この教義の基本条項は、私には次のようにみえる。
第一に、自殺には許すべきものと許すべからざるものがある。
第二に、自殺の試み、もしくは自殺自体が、救済への道となりうる。
第三に、「許すべからざる」自殺者たちの身でさえ、祈りに値する。したがって、そのような者たちの魂にも、希望が残っている。
ドストエフスキーの作品に現れる多数の自殺事件は三つの範疇に分類され、それぞれに対する作家の扱い方も違っている。この三種類の自殺を仮に名づければ、「おとなしい自殺」「カタルシスの自殺」「論理的自殺」となる。 (一九九九)
【出典】グリゴーリイ・チハルチシヴィリ『自殺の文学史』(越野剛他訳、作品社、二〇〇一)
*グリゴーリィ・チハルチシヴィリ(一九五六―):ロシア作家、日本文学研究・翻訳者。マルチな才能の持ち主で、ソ連時代から日本文学の研究者として現代日本小説を意欲的に翻訳・紹介し、『外国文学』という雑誌の編集者を長くつとめた。九〇年代からは、ボリス・アクーニンのペンネームで小説家に転身し、主として一九世紀ロシアを舞台としたレトロ探偵小説やユーモア小説をシリーズで発表、作品は次々とベストセラーとなっている。『罪と罰』を題材にした長編『F・M・』も人気作のひとつ。『自殺の文学史』は古今東西の三五〇名に及ぶ自殺した作家のプロフィールを描くという、野心的な「文学的自殺百科」。ドストエフスキーは自殺作家ではないが、自殺に関してもっとも深くて柔軟な思考を展開した作家として、特別な地位を割り当てられている。
ドストエフスキーは秘密であり、謎なのです(グリュックスマン)
確かに、スタヴローギンについて結構な話というのは、われわれが現実には彼を知らないということです。彼が、神を信じているか、いないか、あなたにはわからない。究極のところ、わたしが驚かされたのは、彼が少しばかりビン・ラディンに似ていると発見したことでした。彼は、ひじょうにシニカルで、かつファナティックであるかもしれないのですが、だれも現実には知りません。このニヒリスティックなテロ行為の内的な本質についていうならば、すべては許しうるということです。たとえ、神が存在し、わたしがその代表者であろうが、神は存在せずに、私がその代役をつとめようがです。私がドストエフスキーについてとても印象的だと思う点はそこにあります。彼は秘密であり、謎なのです。 (二〇〇三)
[出典] アンドレ・グリュックスマン「ビン・ラーディン、ドストエフスキー、そして現実原則」(http://www.opendemocracy.net/)
*アンドレ・グリュックスマン(一九三七―):フランスを代表する哲学者、「フランス新哲学派」を率いる。代表的著作として『神の第三の死』、邦訳では、『第十一の戒律』『現代ヨーロッパの崩壊』『戦争論』などがある。二〇〇一年の「九・一一」の悲劇に、『カラマーゾフの兄弟』の中心的イデーの一つ「神がなければ、すべては許される」を適用し、『マンハッタンのドストエフスキー』(“Dostojewski & Manhattan”)(二〇〇二)を上梓し、話題を呼んだ。
神が存在すれば、すべてが許される(ジジェク)
今から一〇〇年以上も前、『カラマーゾフの兄弟』や他の作品でドストエフスキーは、神なき世界における精神的ニヒリズムに対して警告を発し、本質において、かりに神が存在しなければ、すべては許されると主張したのだった。フランスの哲学者アンドレ・グリュックスマンは、その著書『マンハッタンのドストエフスキー』が示すように、このドストエフスキーの神なき時代のニヒリズムを、九・一一に適用した。ここでの議論は、完全なまちがいだ。というのも、今日のテロリズムが教えているのは、もしも神が存在するなら、少なくとも、神にかわって直接的に行動するように要求する人々にとっては、すべてを、つまり、何千という無垢な傍観者たちをも含むすべてを爆破することが許されているからである。 (二〇〇六)
[出典] スラヴォイ・ジジェク「信念を守る人々」(Slavoj Zizek: Defenders of the Faithm, The New York Times, March 12, 2006)
*スラヴォイ・ジジェク(一九四九―):スロベニア出身の思想家、精神分析学者で、ポスト構造主義の流れをくむ。現在、リュブリャナ大学社会学研究所教授。映画やオペラや社会問題にラカン派の精神分析を適用し、現代の思想界でもっとも注目される人物の一人である。邦訳に『イデオロギーの崇高な対象』『幻想の感染』『イラク――ユートピアへの葬送』ほか多数ある。
(望月哲男:もちづき てつお・ロシア文学)
(亀山郁夫:かめやま いくお・ロシア文学)
残酷なる才能(ミハイロフスキー)
……思うに、羊を貪り食う狼の感情を、これほど丹念に、深みをもって、いわば愛情をこめて分析した人物は、ロシア文学ではドストエフスキーをおいて他にない(ただし狼の感情に対する愛情などというものが実際にありうるとすればだが)。しかも狼の感情といっても、たとえば単なる飢餓感のように本源的な荒々しい感情には、彼はほとんど関心を持たなかった。彼は狼の心の奥の奥まで分け入って、そこに極めて玄妙な、複雑なるものを探し出そうとしたのだ。すなわち単なる食欲の充足などではなく、まさに悪意と残酷さの悦びを。 (一八八二)
[出典] ニコライ・ミハイロフスキー『残酷なる才能』(H. K. Михайловский.« Жестокий талант ». Литературно-критичнские статьи. M., 1957)
*ニコライ・ミハイロフスキー(一八四二―一九〇四):ロシアの批評家、社会学者。自由主義的ナロードニキの立場から、同時代文学の社会学的観点からの分析・批判を行った。ドストエフスキーの作家としての力を評価しながら、彼の文学に目的不明の残酷さを読み取り、苦悩の中に救済の道を示唆するようなその文学が、結局はロシア社会の権力構造の擁護につながっていると論じた。評価は別にして、ドストエフスキーの心理主義的側面を倫理の問題と絡めて真っ向から分析した最初の批評家である。
精神のダイナミズム(ローザノフ)
……したがって彼(ドストエフスキー)の心理解剖はある特性を具えている。これはさまざまな状態、苦悩、変転における人間精神一般の分析であって、個人の特定な、完成した内面生活の分析(トルストイのように)ではない。彼の作中でわれわれの目の前を動くのは、その一つ一つが内部に中心を持った完成された姿ではなく、一種の影の連続ともいうべきものである。さながらさまざまな変転とでもいうべきものである。生まれ出ようとしているか、でなければ死に瀕しているところの霊的存在の襞ともいうべきものである。したがって彼が拉し来る諸々の人々が、われわれの心に呼び起こす大切なものは、思惟であって観照ではない。彼はわれわれに人間良心の秘密の隠れ場所を明かしてくれる。おそらく彼は、人間の非条理的な本性の中核をなす神秘的な結び目を、力の許す限り解きほぐし、開いてくれるだろう。 (一八九一)
[出典] ワシーリー・ローザノフ『ドストエフスキイ研究 大審問官の伝説について』(神崎昇訳、弥生書房、一九六二)
*ワシーリー・ローザノフ(一八五六―一九一九):ロシアの批評家、エッセイスト。ドストエフスキーに傾倒して彼の恋人だったアポリナーリヤ・スースロワと結婚した。宗教的な救いを性のうちに求める特異な宗教観でも有名。彼のドストエフスキー論の貢献は、この作家をロシア固有の文脈から解放し、普遍人類的でかつ超教会的な、ダイナミックな自由と調和の希求の問題として捉えたところにある。イワン・カラマーゾフの作品に「大審問官伝説」という名称を与えたのもこの批評家である。
スタヴローギンは古き神の滅亡から生じた(ヴォルインスキー)
スタヴローギンは古き神の滅亡から生じたが、と同時にその滅亡の犠牲となったのみでもあった。何故なら、その衰亡の過程においてなにか新たな精神力を感ずる事態はそこに存しなかったからである。彼の全機能を魅了した古き魂はいまや破滅してしまった。そして、人類に理想を与え、彼に対して新たな浄化の可能性をもたらすべき精神も心情も、彼には何らの作用をも及ぼさなかったのである。この人物を創造するに際してドストエフスキイが揺り動かされた根本主題はこれであり、この根本主題に比較すれば、当時の青年の熱狂的な運動に対して熱狂的な憎悪を抱いていたドストエフスキイが表明せんと欲したすべてのものは、ほとんど無価値である(一九〇四)
[出典] ヴォルインスキイ「偉大なる憤怒の書」(埴谷雄高訳、みすず書房、一九五九)
*アキム・ヴォルインスキー(一八六三―一九二六):ロシアの批評家、舞台芸術家。モダニズムを擁護者として知られ、一連の優れたドストエフスキー評論を残した。代表作として、『美の悲劇『カラマーゾフの王国』がある。バレエ批評でも知られた。
大審問官の遍在性(ベルジャーエフ)
大審問官の精神はカトリックにも、古い歴史上の教会一般にも内在したし、ロシアの専制体制にも、ありとあらゆる暴力的絶対主義国家にも内在し、そして今日ではその精神が、宗教の代理となってバベルの塔をうちたてようと豪語している実証主義や社会主義にも乗り移っている。人々を保護後見し、表向きその幸福と満足を気遣うポーズが、人間への軽蔑や、人間の高貴なる出自と気高き目的への不信と結びついている場所には、大審問官の精神が生きているのだ。幸福が自由よりも尊ばれ、永遠よりも刹那が重んじられ、人間愛が神への愛に対抗する場所に、大審問官はいる。人間の幸せには真理は不用だとか、生の意味をわきまえずともよく暮らすことはできるという主張が横行するところに、大審問官はいる。石をパンに替える業と見せ掛けの奇蹟と権威という悪魔の三つの試みによって、この世の王国によって人類が誘惑されるところに、大審問官はいる。悪の原理、すなわち根本的な形而上的悪を世に形作り、歴史上に具現した大審問官の精神は、多様な、しばしば対極的なイメージのうちに隠れてきた。良心の自由を否定し、異端者を火刑に処し、権威を自由の上に置く旧教会にも、満足のために至高の自由を犠牲にする、人類を神格化する実証主義という宗教にも、カエサルとその剣に跪拝する国家原理にも、人間の自由を否定して軽蔑すべき家畜のように人間を世話しようとするあらゆる形式の国家絶対主義や国家崇拝主義にも、そして社会主義にも、この精神が存在する。社会主義は地上的な生活の安寧のため、人類という群れが地上で平等に満ち足りるために、永遠と自由を否定したのである。 (一九〇七)
[出典] ニコライ・ベルジャーエフ『新しい宗教意識と社会』」(Николай Бердяев.Новое религиозное сознание и общественность. СПб., 1907)
*ニコライ・ベルジャーエフ(一八七四―一九四八):ロシアの思想家。本来合法的マルクス主義の立場をとり、革命運動にも参加したが、後にキリスト教哲学に傾倒した。モスクワ大学で哲学を教えた後、一九二二年にパリに亡命、雑誌『道』(一九二五―四〇)を編集した。実存主義の先駆者の一人といわれ、現代ロシア思想にも影響を及ぼしている。ドストエフスキーを、物質的な価値に対する精神的な価値の優越を説いた作家の典型と捉え、特にその自由論を自らにひきつけて論理展開した。ここでは『大審問官』に描かれた思想を、誤った宗教的政治思想の一類型として性格づけている。
犯罪者たちの無罪と審判者たちの有罪(ヘッセ)
われわれは、ムイシュキンにしろ、ほかのどんな人物にしろ、『お前はこうならなければならない!』という意味で摸倣しなければならない模範であるとは考えない。われわれが感じるのは、『これを通過しなければならない。これはわれわれの運命なのだ!』という意味での必然性なのである。……しかしドストエフスキイにあっては、犯罪者たちの無罪と審判者たちの有罪は、単なる巧妙な構成などといったものでは決してない。それはあまりにも恐ろしく、人目につかない深い基盤で発生し、生長するので、小説の最後の巻にいたって初めて、われわれはほとんど突如としてこの事実に遭遇する。まるで壁にぶつかったように、まるで世界の苦痛と不合理全体にぶつかったように、人類のあらゆる悩みと愚かしさにぶつかったように (一九一四―一五?)
[出典] ヘルマン・ヘッセ『ドストエフスキーの長編小説』(Hesse H., Ein Roman von Dostojewski, “Schriften zur Literatur”. Bd. 1, z, Frankfurt a. M., 1972)なお、本文の訳は、レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)を使用させていただいた。
*ヘルマン・ヘッセ(一八七七―一九六二):二〇世紀前半のドイツ文学を代表する作家。南ドイツを舞台に穏やかに生きる人間の群像を描く。一九四六年に『ガラス玉演戯』などでノーベル文学賞を受賞。代表作『車輪の下』『デミヤン』『シッタールダ』など。ドストエフスキー文学に深い造詣を示したことでも知られる。
戦争よりもはるかに恐ろしい(ボルヘス)
売春婦と殺人犯を主人公にしたこの小説は、自分たちのまわりで行われていた戦争よりもはるかに恐ろしいように思われたのです (一九一四)
[出典] ジェイムス・ウッダル『ボルヘス伝』(平野幸彦訳、白水社、二〇〇二)
*ホイヘ・ルイス・ボルヘス(一八九九―一九八六):アルゼンチン生まれの作家、スイス、スペインを転々とし、当時のモダニズム運動に関わるが、一九二一年に帰国。一九三〇年代から本格的な文筆活動助に入る。邦訳に、代表作『エル・アレフ』『伝奇集』がある。野谷文昭によると、ボルヘスは当初、スイスで『罪と罰』を読み、ドストエフスキーを最大の作家ととらえたが、一〇年後に再読し、大いに失望したらしい。本文は、ボルヘスが、第一次大戦勃発時を回想した言葉で、仮に年号を一九一四年としておいた。
もし神がないならば、すべては正しい(マリ)
イワン・カラマーゾフの怖るべき論理には誤った足どりはないのである――もし神がないならば、すべては正しいのだ。ドストエフスキーはこの論理を明白にすべき最初の作家であった。彼の想像力が、われと人間性の力に駆りたてられてこの問題に直面した人々を生み出したのである。いかほど彼らがすさまじく見えようとも――そしてまさしく彼らは不吉な霊どもとしてあらわれるのだが――、彼らを強制してあらゆることを、とりわけてわれわれのある不滅の本能が知るべからずと告げるところのものを知るにいたらしめるのは、その人間性なのである。なぜなら彼らは生の道を求めるが、この追求こそ人間性のしるしそのものだからである (一九一六)
[出典] マリ『ドストエフスキー』(山室静訳、アポロン社、一九六〇)
*ジョン・ミドルトン・マリ(一八八九―一九五七):イギリスの作家、多作家で知られ、文学のみならず、社会問題全般にも積極的な評論活動を展開した。
刺激的黙示録(ツヴァイク)
ドストエフスキーの世界はまったく黙示録風であって、寒きから熱きへ、熱きから寒きへとたえまなく交代するが、けっして生ぬるい微温状態にはならない。そのように、彼の情熱は生活を血に浸し、高められた感情を不安から不安へと投げ入れてゆく。それゆえ、人はドストエフスキーの小説を読むとき、少しも安らかな気分になることはなく、生の静かな音楽的なリズムに浸ることはなく、ほっと一息つく合間さえないのである。電気にでもうたれたように絶えず不安におののきながら、頁がすすむにつれてますます熱し、ますます燃え、ますますいらだち、ますます好奇心をかきたてられる。私たちは彼の文学の吸引力の及ぶ範囲に身をおく限り、彼自身に似てくる。自分自身永遠の分裂者であり、作中の人物をことごとく分裂の十字架につけるドストエフスキーは、読者の感情の統一をも粉砕してしまうのである。 (一九一九)
[出典] シュテファン・ツヴァイク『三人の巨匠』(柴田翔他訳、みすず書房、一九七四)
*シュテファン・ツヴァイク(一八八一―一九四二):ウィーン生まれのドイツ語作家。評伝にも大きな仕事を残したが、バルザック、ディケンズ、ドストエフスキーを描いた『三人の巨匠』はその最初の試みだった。ヘッセ、ロマン・ロランらと親交を持ち、両大戦間期に反戦・平和主義的な作風をもち続けたが、ナチスの台頭により亡命。ブラジルで客死した。彼のドストエフスキー論は、ダイナミックで時に残酷かつセンセーショナルなこの作家のリアリズムの特徴を、きわめて生き生きと描写している。
悪への嫌悪と同時に悪が必要だという観念(ジイド)
ドストエフスキーは一生涯、悪への嫌悪と同時に悪が必要だという観念に責めさいなまれていました。(ここで悪というのは、私としては、同様に苦という意味をそこに含ませています。)私は彼を読むと『畑主』の喩えに考えが向いてしまいます。『畑主』にひとりの使用人が言います。「もし汝望まば、われら悪しき草を抜かん。」すると『畑主』が答えます。「否、よき穀物とともに、刈り入れの日まで、毒麦を生うるがままにまかせよ。」(一九二二)
[出典] アンドレ・ジイド『ドストエフスキー』(寺田透訳、新潮社、一九五八)
*アンドレ・ジイド(一八六九―一九五一):フランスの小説家。キリスト教的倫理からの解放を訴え、広くヨーロッパに影響を与えた。当初、共産主義に傾倒したが、訪ソ後、反共に転じる。死後、ローマ教皇庁により、禁書に認定された。代表作として『狭き門』『贋金作り』『法王庁の抜け穴』などがある。本文は、一九二二年にパリのビュー・コロンビエ座で行われたドストエフスキーに関する一連の講演から採録したもの。
真に忘れがたい偉大な典型(リルケ)
総合的な、分裂していない体験が、あらゆる種類の体系化が求める拘束や譲歩によって損なわれることなく、生きた完全な姿であらわれる場所に、私は人間を求めるのだ。哲学が宗教となるとき、つまり、哲学がじっさいには、それを考えだした人間が生と死と闘いながらたどった人生の道のりをたんに拡大したものにすぎないにもかかわらず、他の人々にたいして独断的な要求を押しつけはじめるとき、そこにはいつも、何か故意に考えだされたようなものが存在する。真に忘れがたい偉大な典型――それは、イエス・キリストとドストエフスキーである (?)
[出典] ライナー・マリア・リルケ『ヴォルプスヴェーデ・ロダン・書簡・詩』(モスクワ、一九七一年)なお、翻訳は、レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)を使用させていただいた。
*ライナー・マリア・リルケ(一八七五―一九二六):オーストリアの詩人、作家。ゲオルゲ、ホーフマンスタールとともに世紀転換期を代表するドイツ語詩人。代表作に、詩集「ドゥイノの悲歌」、小説では、「マルテの手記」がある。ロシア語をよく理解し、パステルナーク、ツヴェターエワらのロシア人とも交流があった。
ものすごく深い井戸がある(プルースト)
ドストエフスキーの場合は、いくつかものすごく深い井戸があると思うよ。でもそれは人間の魂のばらばらに孤立した地点に掘られているんだ。それでもやっぱり偉大な作家だよ。まず第一に、ドストエフスキーの描いた世界は本当に彼のために創り出されたように見えるからね。レーベジェフとかカラマーゾフとかイヴォルギンとかセグレフなんていう道化役者が次から次へと妙ちきりんな行列を作って出てくるだろう? あれはレンブラントの『夜警』にあふれている人物よりもっと異様な連中だね。でもことによると、ドストエフスキーの人物もレンブラントのと同じように、照明と衣装の効果で異様に見えるのかもしれない。結局はよくいる連中なのかもしれないよ。いずれにしてもこれは真実性に満ちた、深い、ユニークな人たちだし、ドストエフスキー独自の人物なんだ。こういった道化連中を見ると、まるでもうなくなった役柄といったところがあるだろう? 古代喜劇の登場人物みたいにさ。それでもああいった人物は、人間の心の真実の姿を実によくあらわしているじゃないか! (一九二五)
[出典] プルースト『失われた時を求めて』第十巻、第五篇「囚われの女2」(鈴木道彦訳、集英社文庫、二〇〇七)
*マルセル・プルースト(一八七一―一九二二):世紀転換期を代表するフランスの作家、エッセイスト、批評家。代表作『失われた時を求めて』は、二〇世紀世界文学史上、最も重要な作品とされ、しばしばその規模、洞察力においてドストエフスキーとも比較される。
自画像としての大審問官(ロレンス)
大審問官がイエスに対するドストエフスキー自身の最終的な意見を述べていることは疑いない。その意見とは、率直に言えば、イエスよ、あなたは不適任だ、あなたの過ちは正されなければならない、ということである。そしてイエスは結局、大審問官に黙認の接吻を与える。アリョーシャがイワンにその接吻を与えるように。霊感を受けた二人の人物は、自分たちの霊感がこの世にふさわしいものではなかった、従って思慮深い者が徹底的な修正の責任を引き受けなくてはならない、ということを認めるのである。
ドストエフスキーの作品ではいつものことだが、驚くべき洞察と醜いひねくれた頑固さとが混じり合っている。純粋で混じりけのないものは一つもない。彼がイエスに抱く激しい愛は、ひねくれた毒々しい憎しみと混じり合い悪魔に抱く道徳的な敵意は、ひそかな崇拝の念と混じり合っている。 (一九三〇)
[出典] Lawrence D. H., Preface to F. M. Dostoevsky. The Grand Inquisitor. Translated by S. S. Koteliansky, London. 1930. i-xvi.
*D・H・ロレンス(一八八五―一九三〇):『息子と恋人たち』(一九一三)、『チャタレイ夫人の恋人』(一九二八)などで、性関係のテーマを扱った英国作家。ロレンスの問題意識には、第一次世界大戦がもたらした文明への不信感、キリスト教的価値観への疑いが含まれており、ドストエフスキーの主題は彼にもアクチュアルなものであったと思われる。この評論は、英訳版『大審問官』への序文として書かれた、彼の最晩年のエッセイ。ロレンスのコメントは、イワン=大審問官の思想を正面から受け止め、それをドストエフスキー自身の思想の一面だと捉えた上で、二〇世紀の世界戦争を経験した人間の視点から肯定しているところが特徴である。
支那には露西亜のキリストが居ない(魯迅)
回憶して見ると若かつたときに偉大な文学者の作品を読んで其の作者を敬服すれども、どうしても愛しえないものは二人有った。一人はダンテで(……)、もう一人は即ちドストエーフスキイであった。(……)ドストエーフスキイ自分は罪人と共に苦しみ、拷問官と共に面白がつて喜んで居るらしい。それは決して只の人間の出来る仕業でなく、詰り偉大であつたからである。併し自分は度々読んで行く事をよそうかと思つた。(中略)
只支那の読者として自分は未だドストエーフスキイ的忍従、即ち横逆に対する徹底的な、本当の忍従を腑に落ちない。支那には露西亜のキリストが居ない。支那には神の代りに成人の礼義が君臨して居る、殊に弱々しい女性の上に (一九三五)
[出典] 『魯迅全集』八巻(学習研究社、一九八四)
*魯迅(一八八一―一九三六):中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人。卓越した才能を恵まれていたが、欧米の文化にたいする憧れと中国の伝統に対する蔑みは、その文体にまで及んだ。代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』などがある。
信仰の千年王国(シューバルト)
一九世紀は三人の巨大な人物を立てた。ナポレオン、ニーチェ、ドストエフスキー。ナポレオン――ほとんど神人に触れるほどまでの高みに立つ皇帝。キリストを求めたが、シーザーまでしか行き着けなかったニーチェ、シーザー的なものを克服してキリストに行き着いたドストエフスキー。ナポレオン――このプロメテウス的理想の完成者、ドストエフスキー――このヨハネ的理想の告知者、ニーチェ――この二つの理想の間で引き裂かれ、分裂した中間期の哲学者。一九一四年の戦争とともに、われわれはニーチェの数十年代へと突入し、そしてこれがドストエフスキーの時代へと導いていく。その時代は、次の世界大戦の後で始まるであろう。
ニーチェは、いつの日か千年全体が自分の名に誓いを立てるだろうと誇示した。彼は、おのれが暫定的なものの象徴にすぎなかったことを誤認した。というのも、精神の闇に沈むものは持続の象徴ではありえないからである。これに対してドストエフスキーの神の賛美は精神の、永遠の生の勝利である。それゆえ、――シュペングラーの言葉によれば――次の千年はドストエフスキーのキリスト教のものになるであろう。 (一九三九)
[出典] ワルター・シューバルト『ドストエフスキーとニーチェ』(駒井義昭訳、富士書店、一九八二)
*ワルター・シューバルト(一八九七―一九四一):ドイツ生まれの哲学者。両大戦間期にロシア人の妻とラトヴィアに暮らしたが、スターリン・ソ連とヒットラー・ドイツの双方からの圧力に翻弄され、第二次大戦開始直後にソ連国家保安部の手で抹殺された。彼のドストエフスキー評価には宗教的な世界調和への期待がこもっているが、それは全体主義社会への危機意識の裏返しに他ならなかっただろう。
信仰告白とぞっとするような打ち明け話(トーマス・マン)
ドストエフスキーが他人の魂をまるで医師のように客観的に研究し、洞察するというのは見せかけだけのことで、実際に彼の創作はむしろ、ことばのもっとも広い意味における心理的抒情詩であり、信仰告白とぞっとするような打ち明け話であり、自分の良心の深みを仮借なく露呈したものにほかならない。これこそ、ドストエフスキーの魂の科学のあの巨大な道徳的確信と恐るべき宗教的威力の源泉なのだ (一九四五)
[出典] トーマス・マン「ドストエフスキー論 ただし控えめな」『全集』(藤本淳雄訳、第九巻、新潮社、一九七二)
*トーマス・マン(一八七五―一九五五):ドイツの小説家。一九〇一年にみずからの一族をモデルとした『ブッデンブローク家の人々』で一躍名を知られ、『トーニオ・クレーガー』『ヴェネツィアに死す』ののち、教養小説の最高傑作される『魔の山』を発表、一九二九年にノーベル文学賞を受賞した。
宗教的ではない社会主義に拒絶を示した(カミユ)
「神と不死の問題は社会主義の問題と同じである、ただ角度が異なるのだ」と書いた人は、将来われわれの文明が万人のための救済を求めるか、あるいは誰をも救済しないかであることを知っていました。だが、かれは一個人の苦難を忘れては救済が万人に広がりえないことも知っていました。ことばを変えて言えば、かれはもっとも広い意味での非社会主義的な宗教を望んでいたのではなく、もっとも広い意味での宗教的ではない社会主義に拒絶を示したのです。かれはそのような形で真の宗教と真の社会主義の未来を救っているのです、もっとも現代世界はドストエフスキイがどちらの点においても誤まっていたことを示そうとしているように思われますが。しかしながらドストエフスキイの偉大さは増すばかりです、われわれの世界は滅びるか、あるいは彼の正しさを認めるか、だからです。われわれの世界が滅びるにしても再生するにしても、いずれにしてもドストエフスキイの正しさは認められることでしょう。だからこそ、そのあらゆる矛盾にもかかわらず、あるいは正にその矛盾の故に、かれはわれわれの文学やわれわれの歴史を凌駕しているのです。 (一九四〇年代?)
[出典] レイゾフ編『ドストエフスキイと西欧文学』(川崎浹・大川隆訳、勁草書房、一九八〇)
*アルベール・カミュ(一九一三―一九六〇):フランスの小説家、劇作家。『異邦人』や『シーシュポスの神話』、『ペスト』などの作品で、人間存在の不条理さを追究し、一九五七年にノーベル文学賞を受賞。ドストエフスキーに造詣が深く、評論『反抗的人間』でも独自の哲学を披歴した。『悪霊』のドラマ化も試みている。
愛は信仰を前提とする(モチューリスキー)
大審問官は神を愛せという戒律は拒否するが、隣人を愛せという戒めの狂信者になる。それまでひたすらキリストを崇拝することに向けられてきた彼の強大な精神力は、今度は人類への奉仕に向けられる。しかし信仰に裏付けられない愛は、必然的に憎悪に変わるものだ。神への信仰を失うとともに、大審問官は人間への信仰も失わざるを得ない。この二つの信仰は、元来切り離せぬものだから。霊魂の不滅を否定することによって、彼は人間の精神の本質を拒否することになった。するとたちまち人間は彼にとって実にみじめで、弱く卑しい存在になってしまった。そして人類史は、災厄と悪行と苦悩の、意味のない積み重ねということになる。 (一九四七)
[出典] コンスタンチン・モチューリスキー『評伝ドストエフスキー 生涯と作品』(松下裕・松下恭子訳、筑摩幹房、二〇〇〇)Константин Мочульский.
Достоевский. Жизнь и творчество. Париж, 1947.
*コンスタンチン・モチューリスキー(一八九二―一九四八):亡命ロシア人の評論家。モチューリスキーはゴーゴリ、ドストエフスキーなど、革命前ロシア文学の評論を手がけ、広く読まれた。彼のドストエフスキー伝は作品論としても豊かな資料と優れた着想を盛り込んだ傑作である。ここでは、キリストの名を騙る反(アンチ)キリストとしての大審問官の個性分析に主眼が置かれ、その悲劇性と限界が明快に考察されている。
五〇回は読んだ(ヴィトゲンシュタイン)
ヴィトゲンシュタインは『カラマーゾフの兄弟』の全センテンスを五〇回は読んだにちがいない。アリョーシャは色あせていったが、スメルジャコフはちがう。彼は深い、と。この登場人物のことがドストエフスキーはよくわかっていた。彼はリアルだ。そこで彼は、この本(『カラマーゾフの兄弟』)にはもうもはや何も興味を抱かなくなったと話した。しかし、『罪と罰』に戻りたいようだった。そして彼は、その小説のディテールを話した。馬殺しの話や、屋根裏部屋や、廊下、階段などである。しかし、彼がもっとも素晴らしいとして衝撃を受けたのは、ラスコーリニコフがドアを閉め忘れてしまう場面だった。ものすごい、と言っていた。
(一九四九―五一)
[出典] O. K. Bouwsma. Wittgenstein Conversation 1949-1951, Hackett Pub Co Inc., 1986
*ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(一八八九―一九五一):オーストリア出身の哲学者、論理学者。二〇世紀の言語哲学、分析哲学の領域に巨大な足跡を残した。翻訳は、ヴィトゲンシュタイン全集』(全一〇巻・補巻二、大修館書店、一九七五―八八)がある。ヴィトゲンシュタインは、『カラマーゾフの兄弟』の熱烈な愛読者で、六二年間の生涯にわたって五〇回読んだという「伝説」が伝えられてきた。その情報源が、ここに記録したO・ブースマが残した「対話」である。なお、ヴィトゲンシュタインとドストエフスキーの関係をめぐっては、判治聡氏のホームページ上(Dune's Home Page http://www.kotoba.ne.jp/~dune/)で、かなり興味深い記事に出会うことができる。興味をもたれた方はぜひともアクセスしてほしい。
不自然な三角形(オコンナー)
私の机の上に五ポンド札があり、友人ジョンがそれを盗む。――ドストエフスキーならばこの話は以下のように展開する。――ジョンはある熱愛する女性に食事をおごるため、友人の私から当然のこととして盗んだのだ。もちろん彼は罪悪感を覚えるが、これ以降ずっとその罪悪感から逃れられぬ破目になる。私は彼が金を盗んだことを知っており、ジョンは私が知っていることに気づいている。彼は涙ながらに告白することを願うが、私は生来の残酷さ(それを道徳性と私は装う)から、彼に謝罪の機会を与えない。こうするうちに彼は折れて出て、恋人との素敵な食事、五ポンドの食事のことを私に語ることで、部分的な告白をする。こちらも同じ手で、以前二ポンド盗んだあげくに首を吊って自殺した女中の話をしてやる。わたしの残酷さに対する絶望の発作に駆られて、彼は私の喉を裂こうとするが、そのときわたしはさらに困難な立場に立つ。それはジョンが自分を許すためにどうしても罰せられたいと言い張るのに対して、私のほうはもう残酷に振舞った後なので、彼を罰する意図は消えているからだ。だが、わざわざ自分の罪悪感を増す破目になっても、私は余儀なく彼の罪悪感を軽減してやらねばならなくなる。話が終わる頃には――もしこの話が、二人の合意心中といった形以外で終わることがあるとして――もはや誰が、何を、誰から盗んだのかは、疑わしくなっているだろう。主体・客体の関係がひどく混乱しているだろうから。 (一九五六)
[出典] フランク・オコンナー「不自然な三角関係」『路上の鏡』(Frank O'Connor, “Dostoevsky and the Unnatural Triangle, “The Mirror in The Roadway: A Study of the Modern Novel, New York, 1956)
*フランク・オコンナー(一九〇三―六六):アイルランド生まれの作家、舞台演出家、文芸批評家。演劇世界に精通したオコンナーのドストエフスキー論は、主人公たちの関係の不条理性を巧みに捉えている。ドストエフスキーのある種の恋愛が、主として同性間の愛憎の葛藤を主題としていて、恋愛対象には奇妙に無関心であるという事情を、ジラールとは別の角度から素描しているのだ。ライバル同士が互いへのこだわりを第三者に投影するような奇妙な三角関係においては、やがて主体と客体の境自体も曖昧になっていく。『永遠の夫』のような作品の読解に有効な論理である。
ソ連を追われたドストエフスキー(スタイナー)
大審問官がキリストに人間の王国はすぐだと予言してから四〇年もたたないうちに、トルストイの希望のいくつかとドストエフスキーの恐れたことの多くが実現された。終末論的専制政治が、『悪霊』でシガリョフが予告した孤独な夢の支配体制が、ロシアに行われたのである。……レーニンに従えば、ロシア革命はトルストイの中に真の鏡を見出したことになる。傷つきはずかしめられた文人であり、死刑を宣告された急進的なシベリア追放の生き残りであり、経済的・社会的堕落のあらゆる面に通暁していたドストエフスキーは、死後に「プロレタリアートの祖国」から追放された。ところが、都会の上流社会と田園の豊かな地主の生活を貴族の目で年代記に書き上げ、また産業革命以前の父親中心主義の支持者であったトルストイが新しい至福千年王国の自由を授与された。このことは、不完全で比喩的なものであるけれども、イワン・カラマーゾフの劇詩が歴史的に妥当なものであったことを暗示する、教訓的な逆説であった。マルクス主義者たちがトルストイの中に見出したものは、ほとんどドストエフスキーが大審問官の中に予見していたものばかりである。 (一九五九)
[出典] ジョージ・スタイナー『トルストイかドストエフスキーか』(中川敏訳、白水社、二〇〇〇)
*ジョージ・スタイナー(一九二九―):第二次世界大戦前夜にパリからアメリカに亡命したユダヤ人文学者、作家。二人のロシア文壇の巨匠をパラレルに論じた彼の文章は、ヨーロッパ文学の伝統的文脈に関する深い知識を踏まえているが、同時に文学の受容にも現れた二〇世紀全体主義の記憶が濃い影を落としている。
交じり合う声たち(バフチン)
ラスコーリニコフによってその内的発話の中に導入される声はすべて、そこで、現実の対話の声たちの問には起こり得ないような一種独特な接触関係を持つことになる。そこでは声たちが、ひとつの意識の中で響き合うために、相互に浸透し合っているかのようになってしまう。声たちはお互いに接近し、重なり合うと同時に、部分的に交錯し合うが、その交錯点では必然的に相互の遮り合いが発生するのである。 (一九六三)
[出典] ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(望月・鈴木訳、筑摩書房、一九九五)
*ミハイル・バフチン(一八九五―一九七五):ソ連の文芸学者。言語現象を間主観的な発話の現場で性格づけるという対話の言語学を小説論に応用して、古代のメニッペアに発するカーニヴァル文学、およびその近代的展開であるポリフォニー小説というジャンルにドストエフスキーの文学を位置づけた。バフチンの議論は、複数の意識主体の対話の場としてあるポリフォニー小説における作者、主人公およびその思想の位置関係について反省的な再考を促し、二〇世紀のドストエフスキー論を俄然活性化させた。そうした彼の偉業のベースには、引用のような、紙に書かれた文字の中に複数の声の交錯を聞き分ける、鋭い耳の働きがあった。
アンチテーゼの展開(ゴロソフケル)
ドストエフスキーは『純粋理性批判』の矛盾論を知っていたばかりではなく、それを深く考察したのである。そればかりではなく、ある程度それをにらみながら、小説の劇的な状況の中で自分の論証を展開したのだった。それだけではなく、作家として、評論家として、思想家として、彼はカント、もしくはより正確にいえば、カントのアンチノミーのアンチテーゼを、自分が(自分自身の内部においても、また反対者との関係においても)たたかった対立物全体の象徴にしたのである。……カントによれば、アンチノミー(二律背反)のテーゼ(命題)では道徳と宗教の「礎石」が問題とされており、アンチテーゼ(対立命題)では科学の「礎石」が問題にされているのであるが、『カラマーゾフの兄弟』でも、同じそれらの「礎石」が問題にされている。 (一九六三)
[出典] ヤコフ・ゴロソフケル『ドストエフスキーとカント』(木下豊房訳、みすず書房)
*ヤコフ・ゴロソフケル(一八九〇―一九六八):ソ連時代の哲学研究者。マルクス主義が公式イデオロギーだった時代に、ギリシャ哲学からカントまで、観念論哲学や古典文学を研究・翻訳した。スターリン時代は不遇だったという。本書はイワンカラマーゾフの思想世界をカントの『純粋理性批判』におけるアンチノミー(二律背反)の構図で分析した、きわめて興味深い哲学的文学論。大審問官の思想が、カントにおけるアンチテーゼの一典型として読み解かれている。
イワンの詭計(グワルディーニ)
大審問官はこの世界を否定し、世界を悪くしたのは神であるとして、自分はその創始者よりも世界をはるかに立派なものにしてみせると豪語して、神の手からこの世界を奪い取ろうとするのだが、この限りにおいては大審問官はイワン自身に他ならない……。だがそれでいながらイワンは、同じ世界のことで苦しみ悩みながら、病的な神経でそれを愛しているのだ。この世界だけが彼の求めているものを与えてくれるので、彼としてはいつまでもあるがままの世界であって、他のものに変わってほしくないのである。それゆえにいつでも抗議ができ、抗議される立場にある世界を楽しむことができるように、その現状をいつまでも保たせようとするのだ。 (一九六四)
[出典] ロマノ・グアルディーニ『ドストエフスキーの作品の宗教的人物 信仰の研究』(Romano Guardini. Religiöse Gestalten in Dostojewskijs Werk. Studien über den Glauben. München, 1964)
*ロマノ・グアルディーニ(一八五五―一九六八):イタリア生まれの宗教哲学者。本論のユニークな点は、『大審問官』に登場するキリストのイメージを、作者であるイワンの思想を批判する材料として検討している点にある。つまりここに現れるキリストは、イワンの思想と行動に現れた幼児的な無責任さ正当化するためにこしらえられたまがい物だと言うのである。この議論はロレンスのようにイワンとドストエフスキーを同一視する立場への反論にもなっている。
他者の神(ジラール)
神に反抗し、自分自身を崇める者は、結局かならず「他者」、すなわちスタヴローギンを崇めることになる。基礎的な、だが深い直観が、『罪と罰』に始まる、地下の心理学から形而上学への移行を完成に導く。ラスコーリニコフは、本質的に、自分が殺した神にみずから取って代わることができない。だが、その失敗の意味は明らかにされていない。スタヴローギンの場合、もちろん彼自身が神ではないし、自分自身に対して神であるわけでもない。憑かれた人々の異口同音の賞賛は、奴隷の賞賛であり、したがって一切の価値を欠いている。スタヴローギンは「他者」にとって神なのである。 (一九六三)
[出典] ルネ・ジラール『ドストエフスキー 二重性から単一性へ』(鈴木晶訳、法政大学出版局、一九八三)
*ルネ・ジラール(一九二三―):フランスの哲学者、人類学者、批評家。欲望の構造を主体・客体・媒体のファクターで捉える「三角形の欲望」理論で有名。彼のドストエフスキー論は、自らの欲望を完全に制御できるゆえに他者にとって神となるような、「絶対者」像のメカニズムの分析に捧げられている。
思想家と芸術家(クズネツォフ)
「アインシュタインのドラマ」というのは恣意的な概念である。天才による三十数年の熾烈な努力をもってしても統一場理論は生み出されなかったという事実は、疑いもなくドラマチックである。しかし、アインシュタインは理論探求のあらゆる場合において、一瞬たりともその原理的可能性を疑わなかった。彼は、非ユークリッド的幾何学をさらにいっそう非ユークリッド的(いっそうパラドキシカルな意味における)な幾何学へと一般化していくことによって目的に到達すると考えた。彼は宇宙の調和の存在をますます確信するようになった。
ドストエフスキーのドラマはまったくのところ、悲劇的で融和しようのないドラマであった。彼は神的調和への単純かつ伝統的な「ユークリッド的」信仰から出発し、逆説的な「非ユークリッド的」調和を認め、そしてそれが個人の運命を無視するものであることを知ると、世界は知りえないのだと宣言して「ユークリッド的」信仰と公認正教へともどっていった。これは思想家の展開であった。芸術家は引き返すことなどできなかったし、創造的な芸術の論理は不可逆的であった。そして心の底で、ドストエフスキーは「反逆者」たらざるをえなかったのである。 (一九七二)
[出典] ボリス・クズネツォフ『アインシュタインとドストエフスキー』(小箕俊介訳、れんが書房新社、一九八五)。
*ボリス・クズネツォフ(生年不詳):ロシアのアインシュタイン学者。彼によればドストエフスキーはどんな思想家にもましてアインシュタインの仕事に霊感を与え、両者は相対的世界における調和の追及という問題を共有していた。ただし没自我的になりうるアインシュタインと思想家と芸術家の内的分裂を抱えるドストエフスキーとでは、問題への対応が違っていた。つまり同じゲームを別のルールで戦っていたのだ。
子は父となる(ホルクィスト)
人は神になることはできない。絶対の自我が別の自我に成り代わることはできない。しかし子は父になることができる。それが『カラマーゾフの兄弟』で展開されている事柄である。 (一九七七)
[出典] ミハイル・ホルクィスト『ドストエフスキーと小説』(Michael Holquist, Dostoevsky and the Novel, Princeton Univ. Press, 1977)
*ミハイル・ホルクィスト:イェール大学の比較文学者。ドストエフスキー論、ミハイル・バフチン論などで有名。この研究書では、ドストエフスキーの創作を、フロイトが『トーテムとタブー』に描いた原始部族における父と子たちの葛藤と世代交代の物語になぞらえて解釈している。それはまたジラール風の欲望論・ライバル論の袋小路からの突破口を提供しているようだ。
善悪対照表(ブロツキー)
むろんドストエフスキーは善の、いやキリスト教の飽くなき擁護者であった。しかしよく考えてみれば、悪の弁護者としても彼ほど鋭い人間はいない。彼は古典主義からきわめて重要な原理を学んだ。つまり、どんなに強く自分の正しさを、もしくは正義を確信していても、自分の結論を述べる前に、まず反対者側の論理を全て数え上げてみよ、というものである。これは別に、論駁対象となる議論を列挙しているうちに自分の意見が逆転する可能性があるからというわけではなく、単にこのような列挙自体きわめて楽しい作業だからである。結局は自己の信念に留まることになろうといっこうにかまわない。ただ悪を擁護する論拠の全てを検証したあとでは、信仰の公準を発する言葉も、熱気よりむしろ郷愁を帯びるようになるだろう。それもまた真実味を高めてくれるのである。
だがドストエフスキーの主人公たちがカルヴァン主義的不屈さで読者の前に心を開いてみせるのは、単なる真実味のためではない。何かそれ以外のものが、ドストエフスキーに主人公たちの生活を洗いざらい暴露させ、その心の内奥の襞や皺まで見極めさせるのだ。それは真理への希求ですらない。彼の審問の結果は、何かしらもっと大きなもの、真理そのものを越えるようなものを明らかにしてくれる。すなわち生というもののありのままの生地、決して見栄えのしない生地を、むき出しにしてくれるのである。彼にこれを促すのはひとつの力であり、その力の名を言語の健啖なる雑食性と言う。言語はある時とつぜん、神にも人間にも現実にも罪にも死にも永遠にも救済にも飽き足らなくなる。そのとき言語は、自分自身に向かって飛びかかるのだ。 (一九八〇)
[出典] ヨシフ・ブロツキー『自然の権力』(Иосиф Бродский. «Власть стихий».Сочинения Иосифа Бродского. Том V. СПб.; МSМХСIХ. 1999)
*ヨシフ・ブロツキー(一九四〇―一九九六):レニングラード生まれのユダヤ系ロシア詩人。七二年に国外追放、アメリカに渡っていくつかの大学で教えた。八七年にノーベル文学賞を受賞。紀行文『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』、戯曲『大理石』などの翻訳がある。
【P247キャプション 『悪霊』草稿】
ロシア的文体(ガルコフスキー)
ドストエフスキーはいまだ自国の哲学をもたない国に生まれた哲学者である。ただしその国には自前の文学があった。だからドストエフスキーは自分の哲学を小説の形で表現した。これは悲劇であると同時に幸福でもある。というのも、このユニークな場合には、内部の精神世界とその言語表現との間に分裂が生まれなかったからである。ドストエフスキーは自由で、その哲学の才能はロシア文学の広い懐の中で展開された。ドストエフスキーの口を借りて、ロシア的なタイプの考え方が自己表現した。すなわち発作的でとぎれとぎれでありながら、同時にしつこくていつまでも言い訳したりつけ加えたりといったタイプの考え方である。 (一九九七)
[出典] ドミートリー・ガルコフスキー『果てしない袋小路』(Д. Галковский,Бесконечный тупик, М., 1997)
*ドミートリー・ガルコフスキー(一九六〇―):現代ロシアの作家。代表作『果てしない袋小路』はドストエフスキー、ローザノフ、ナボコフなどの「もっともロシア的な」作家に関するエッセイに無数の注をつけた異様な風姿の書物で、ロシア版ポストモダニズムの果実のひとつとみなされる。この作家の論理では、ドストエフスキーの文体は、ロシア人が自己愛と自虐を混ぜつつロシア的な自己を語るのにもっともふさわしい形をしている。作者はそのこと自体を、『地下室の手記』をまねたような、際限なく回転する自己弁明の「空虚な漏斗」のごとき文体で説明しようとするので、当然作品全体が「果てしない袋小路」にはまるというわけである。
自殺の文学(チハルチシヴィリ)
ドストエフスキーは、ロシアの思想家のうちで初めて、自殺を人類の主要な道徳的問題のひとつとして検討した人物である。……ドストエフスキーの文学作品における自殺の扱い方は、きわめて異端的に見えるもので、教会のいくつかの根本教義の正しさに対する彼の深刻な疑念、あるいは明らかな不同意さえうかがわせる。だから、ドストエフスキーは伝統的キリスト教の自殺論とは本質的に異なった、自殺に関する自前の教義を打ち立てたのだと言っても、過言ではないだろう。この教義の基本条項は、私には次のようにみえる。
第一に、自殺には許すべきものと許すべからざるものがある。
第二に、自殺の試み、もしくは自殺自体が、救済への道となりうる。
第三に、「許すべからざる」自殺者たちの身でさえ、祈りに値する。したがって、そのような者たちの魂にも、希望が残っている。
ドストエフスキーの作品に現れる多数の自殺事件は三つの範疇に分類され、それぞれに対する作家の扱い方も違っている。この三種類の自殺を仮に名づければ、「おとなしい自殺」「カタルシスの自殺」「論理的自殺」となる。 (一九九九)
【出典】グリゴーリイ・チハルチシヴィリ『自殺の文学史』(越野剛他訳、作品社、二〇〇一)
*グリゴーリィ・チハルチシヴィリ(一九五六―):ロシア作家、日本文学研究・翻訳者。マルチな才能の持ち主で、ソ連時代から日本文学の研究者として現代日本小説を意欲的に翻訳・紹介し、『外国文学』という雑誌の編集者を長くつとめた。九〇年代からは、ボリス・アクーニンのペンネームで小説家に転身し、主として一九世紀ロシアを舞台としたレトロ探偵小説やユーモア小説をシリーズで発表、作品は次々とベストセラーとなっている。『罪と罰』を題材にした長編『F・M・』も人気作のひとつ。『自殺の文学史』は古今東西の三五〇名に及ぶ自殺した作家のプロフィールを描くという、野心的な「文学的自殺百科」。ドストエフスキーは自殺作家ではないが、自殺に関してもっとも深くて柔軟な思考を展開した作家として、特別な地位を割り当てられている。
ドストエフスキーは秘密であり、謎なのです(グリュックスマン)
確かに、スタヴローギンについて結構な話というのは、われわれが現実には彼を知らないということです。彼が、神を信じているか、いないか、あなたにはわからない。究極のところ、わたしが驚かされたのは、彼が少しばかりビン・ラディンに似ていると発見したことでした。彼は、ひじょうにシニカルで、かつファナティックであるかもしれないのですが、だれも現実には知りません。このニヒリスティックなテロ行為の内的な本質についていうならば、すべては許しうるということです。たとえ、神が存在し、わたしがその代表者であろうが、神は存在せずに、私がその代役をつとめようがです。私がドストエフスキーについてとても印象的だと思う点はそこにあります。彼は秘密であり、謎なのです。 (二〇〇三)
[出典] アンドレ・グリュックスマン「ビン・ラーディン、ドストエフスキー、そして現実原則」(http://www.opendemocracy.net/)
*アンドレ・グリュックスマン(一九三七―):フランスを代表する哲学者、「フランス新哲学派」を率いる。代表的著作として『神の第三の死』、邦訳では、『第十一の戒律』『現代ヨーロッパの崩壊』『戦争論』などがある。二〇〇一年の「九・一一」の悲劇に、『カラマーゾフの兄弟』の中心的イデーの一つ「神がなければ、すべては許される」を適用し、『マンハッタンのドストエフスキー』(“Dostojewski & Manhattan”)(二〇〇二)を上梓し、話題を呼んだ。
神が存在すれば、すべてが許される(ジジェク)
今から一〇〇年以上も前、『カラマーゾフの兄弟』や他の作品でドストエフスキーは、神なき世界における精神的ニヒリズムに対して警告を発し、本質において、かりに神が存在しなければ、すべては許されると主張したのだった。フランスの哲学者アンドレ・グリュックスマンは、その著書『マンハッタンのドストエフスキー』が示すように、このドストエフスキーの神なき時代のニヒリズムを、九・一一に適用した。ここでの議論は、完全なまちがいだ。というのも、今日のテロリズムが教えているのは、もしも神が存在するなら、少なくとも、神にかわって直接的に行動するように要求する人々にとっては、すべてを、つまり、何千という無垢な傍観者たちをも含むすべてを爆破することが許されているからである。 (二〇〇六)
[出典] スラヴォイ・ジジェク「信念を守る人々」(Slavoj Zizek: Defenders of the Faithm, The New York Times, March 12, 2006)
*スラヴォイ・ジジェク(一九四九―):スロベニア出身の思想家、精神分析学者で、ポスト構造主義の流れをくむ。現在、リュブリャナ大学社会学研究所教授。映画やオペラや社会問題にラカン派の精神分析を適用し、現代の思想界でもっとも注目される人物の一人である。邦訳に『イデオロギーの崇高な対象』『幻想の感染』『イラク――ユートピアへの葬送』ほか多数ある。
(望月哲男:もちづき てつお・ロシア文学)
(亀山郁夫:かめやま いくお・ロシア文学)
古今東西のドストエフスキー(日本編)
古今東西のドストエフスキー(日本編) 福井勝也編
内田魯庵
[最初に『罪と罰』に接したときに]恰も曠野に落雷に会ふて眼眩き耳聾ひたる如き、今までに曽て覚えない甚深の感動を与えられた……それ以来私の小説に対する考へが一変して了つた(一八八九 明二二)
北村透谷
[『罪と罰』を読んで]……最暗黒の社会にいかにおそろしき魔力の潜むありて、学問はあり分別ある脳髄の中に、学問なく分別なきものすら企つることを躊躇ふべきほどの悪事をたくらましめたるかを現すは、蓋し此書の主眼なり(一八九二 明二五)
二葉亭四迷
一躰『浮雲』の文章は殆ど人真似なので、先ず第一回は三馬と饗庭さん(竹の舎)のと、八文字屋ものを真似てかいたのですよ。第二回はドストエフスキーと、ガンチヤロツフの筆意を摸して見たのであツて、第三回は全くドストエフスキーを真似たのです。稽古する考で、色々やツて見たんですね(「作家苦心談」一八九七 明三〇?)
夏目漱石
余は自然の手に罹つて死のうとした。現に少しの間死んでゐた。後から当時の記憶を呼び起こした上、猶所々の穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全く出来上る構図を振り返つて見ると、所謂慄然と云う感じに打たれなければ已まなかつた。其恐ろしさに比例して、九仞に失つた命を一簣に取り留める嬉しさは又特別であつた。此死此生に伴ふ恐ろしさと嬉しさが紙の裏表の如く重なつたため、余は連想上常にドストイエフスキーを思ひ出したのである。(「思ひ出す事など」一九一一 明四四)
武者小路実篤
ドストエフスキーはここで自分が一生得たものを、のこりなく表現した、情熱と愛と信仰とをもつて。この本が書ければ人類は救はれる、一人のこらず救はれる、救つて見せる、さう思つてかかれたものにちがひない
(『自己を生かすために』一九一九 大八)
芥川龍之介
「どうしてまた悪魔などと云うのです?」
僕はこの一二年の間、僕自身の経験したことを彼に話したい誘惑を感じた。が、彼から妻子に伝わり、僕もまた母のように精神病院にはいることを恐れない訣にも行かなかった。
「あすこにあるのは?」
この逞しい老人は古い書棚をふり返り、何か牧羊神らしい表情を示した。
「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」
僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然(?)彼の言った『罪と罰』という言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。電燈の光に輝いた、人通りの多い往来はやはり僕には不快だった。殊に知り人に遭うことはとうてい堪えられないのに違いなかった。僕は努めて暗い往来を選び、盗人のように歩いて行った。(『歯車』一九二七 昭二)
横光利一
私は逢ふ人毎に当分の間は『悪霊』の話ばかりをし続けた。それ以外にここから脱け出る方法を私は知らなかったのである。バルザックを抜いてゐたものがロシアにあつたのだ。ゲーテ、シェクスピア、トルストイ、スタンダール、総て私の読んだものの範囲では、これらは一段下の世界である。ジョイス、プルースト、やはりこれらもドストエフスキーには及ばない。
……しかし、私はやはりこの作の優れたところは、ドストエフスキーの新しい時間の発見だと思ふ。ここでは偶然が偶然を生んで必然となり、飛躍が飛躍を重ねての何の飛躍もない。秩序は乱雑を極めながら整然としてゐるにかかはらず、めまぐるしい事件の進行や心理が一時間後に起る出来事の予想の片鱗をさへも伺はせない。しかるにもかかはらず、私たちはどうしてこれらの脈絡なき進行から必然を感じるのであらうか。新しい時間はここに潜んでゐるのである。(『悪霊』について 一九三三 昭八)
小林秀雄
僕は今ドストエフスキイの全作を讀みかへさうと思つてゐる。廣大な深刻な實生活を活き、實生活について、一言も語らなかつた作家、實生活の豊富が終つた處から文學の豊富が生れた作家、而も實生活の秘密が全作にみなぎつてゐる作家、而も又娘の手になつた、妻の手になつた、彼の實生活の記録さへ、嘘だ、嘘だと思はなければ讀めぬ様な作家、かういふ作家にこそ私小説問題の一番豊富な場所があると思つてゐる。出来る事ならその秘密にぶつかりたいと思つてゐる。
(「文學界の混亂――私小説について」一九三四 昭九)
中村光夫
恐らく自意識の化身とも見えるラスコオリニコフを創造したドストエフスキイは一体四人称などといふもの必要としたのか。(中略)この場合彼にはただ普通の客観小説の体裁で充分であった。(中略)彼がこの小説で描こうとしたものは自意識といふ『怪物』などではない。ラスコオリニコフの自意識の現実社会における明瞭な姿であつたのだ。
(「純粋小説論について」一九三五 昭一〇)
萩原朔太郎
当時僕はニイチェを読んで居たので、あの主人公の大学生が、ナポレオン的超人になろうとイデアした思想の哲学的心境がよく解り、一層意味深く読み味へた。その読後の深い印象から、僕はラスコリニコフを以て気取り、滑稽にもその小説的風貌を真似たりした。夜は夜で、夢の中に老婆殺しの恐ろしい幻影を見た。
(「初めてドストイェフスキーを読んだ頃」一九三五 昭一〇)
坂口安吾
ラスコルニコフは淫売婦にひざまずく、彼女は汚辱にまみれているがその魂は一滴の淫蕩の血にも汚されていない、と。そして偉大なる罪にひざまずくのである、と。私はそんな甘ったるいことは考えていない。私の知るソーニャやマリヤはみんな淫蕩の血にまみれ、そして嬉々としているのである。(『堕落論』一九四七 昭二二)
太宰治
罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷灰相容れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……(『人間失格』一九四八 昭二三)
井筒俊彦
罪の秩序から愛の秩序へ。罪の共同体が直ちにそのまま愛の共同体であるような、そういう根源的連帯性の復帰。それこそドストイェフスキイー的人間の最高の境地であり、窮極の目標であった。ただそのためにのみ、ただそれをよりよく表現せんがためにのみ、ドストイェフスキイーは〈文学者〉として、あの苦難にみちた一生を生き通した。(中略)いずれもそれは人間新生の、つまり〈旧い人〉が死んで〈新しい人〉が甦る復活の秘蹟を象徴する秘蹟的行為なのである。(中略)そして、この復活の秘蹟とともにドストイェフスキイー的人間も最後の結末に到達するのである。もちろんそれは一個の終末論的黙示録的風景にすぎない。しかし〈終末〉はすでに今、現にこの瞬間に、着々として来たりつつあるのではないだろうか。(「ドストイェフスキイー」、『ロシア的人間』中公文庫所収 一九四八 昭二三)
唐木順三
物理学に於てあらはに示されて来た革命、機械観と連続観を否定した新しい構想は文学の上にも、心理学の上にも、生物学の上にも共通にあらはれてきたのではないか。さうしてそれを世界観にまで築きあげることによつて西欧的近代を超えた現代を形成することが我々の時代に課されてゐるのではないか。その場合、ドストイェフスキイの作品は新しく先駆的文学として検討されるに相違ない。(「ドストイェフスキイ――三人称世界から二人称世界へ」河出書房新社 一九四九 昭二四)
森 有正
ラスコーリニコフにも、スタヴローギンにも、ドミートリーにも、イヴンにも、生まれなかった、真の現実への転換が、コーリャに生まれた。ドストエーフスキーはそれを真実に信じていたであろうか。すべては死をもって終る。人間はそれ以上のことは言えない。かれは、ありえないことを、無邪気な少年たちの物語のなかに、象徴的に描いたのではないであろうか。
邂逅! それのみが真実を開示する。人間の新生も、死よりの復活も、偉大なる邂逅として以外には絶対に把握されない。ドストエーフスキーの全作品に充ち満つる人間の苦悩は、人類を救う偉大なる現実の邂逅へ、終末的に、指向されているのである。かれは絶望している。しかも絶望していない。(「コーリャ・クラソートキン」、『ドストエーフスキー覚書』
筑摩書房所収 一九四九 昭二四)
三島由紀夫
ドストエフスキーの美の観念(「カラマーゾフの兄弟」一八八〇)。(中略)――ドストエフスキーにあっては、美は人間存在の避くべからざる存在形式であり、存在形式それ自体が謎なのであり、これが彼の神学の酵母となっている。なぜなら彼は美を神と対置させたり(ワイルド)、対決させたり(ボオドレエル)する代わりに、美の観念の次元を高め、人間存在の内に行われる神と悪魔との争いをも美という存在形式で包括したからである。(中略)ここにおいてニイチェの芸術概念を思い出すのは徒労であろうか?(中略)しかしドストエフスキーの美の観念は、少なくともギリシャ的ではない。私は、(直感的にだが)、アジヤ的な生の指示を感ずる。そこにはヨーロッパ人にとって不断の脅威であるところのアジア的混沌の風土がありはしないか? 現にニイチェがギリシャ芸術の始源として指摘するデュオニゾーズの祭祀は、アジア的起源をもつことが知られているではないか?
(「美について」、『三島由紀夫の美学講座』所収 一九四九 昭二四)
埴谷雄高
人間と存在のあいだをみたす思想と情熱の苦しさと狂おしさと、そして、恐ろしいような陶酔について知るところのあつたドストエフスキイは未来社会についても文学がなし得るかぎりの徹底的な洞察を試みたのであつて、深い苦悩をもつて堅くとらえられた裸の真実のもつ苦悩のかたちが無惨な解剖図のごとくにそこにある。恐らく、ドストエフスキイは現代が未来へ向かつて推移するにつれてますます深く考察されねばならぬ種類の深い手きびしいヴィジョンをもつた少数な作家のひとりであつて、年を経るごとに厚い非難の外被をとりのぞかれいよいよ巨大になりゆくのであろう。(「ドストエフスキイの二元性」一九五六 昭三一)
米川正夫
ドストエーフスキイで、私が最初に読んだのは、『白痴』であった。(中略)私はもともと、ドストエーフスキイは難解な、悪文家であるということを耳にたこができるほど聞かされていた。で、その覚悟で読みにかかったところ、驚いたことには、私にはいささかも難解と思われなかった。私は『白痴』を読みはじめるやいなや、辞書を引くのももどかしい思いで、ドストエーフスキイ芸術のダイナミックな力にひかれて、息もつかず読み進んで行った。また彼の悪文という定評についても、名文ということはもちろんできないけれど、しかし達意の文章であって、その無限軌道のような、いわやる息の長い文章は、読者を疲らせもするが、否応なしにぐんぐん引っぱって行く力を持っている。
(『鈍・根・才』米川正夫自伝 河出書房新社 一九六二 昭三七)
秋山 駿
イッポリートは内部の人間である。内部の人間とは、自己自身の内部にとざされているもの、あるいは深く隠されているもののことである。現実の観点からすれば、こういう人間はこの世の中には無用のものであり、その行為には明らかな理由のない、不確実な人間のことである。
(「イッポリートの告白――抽象と現実」河出書房新社 一九六四 昭三九)
武田泰淳
私としては、この〈カラマーゾフばんざい!〉という叫びの中には、殺された父親、父殺しと疑われたドミートリー、哲学的な怪物イワンも含まれていると存じます。含まれていなければならないのです。血のつながりがあるからには、かの悪漢スメルジャコフでさえも含まれていなければ、作者ドストエフスキーは満足しなかったはずです。
(「カラマーゾフ的世界ばんざい!」河出書房新社 一九六六 昭四一)
椎名麟三
この『悪霊』は、私にとって思い出のふかい作品である。それは前にものべたように、私のドストエフスキーについて読んだ最初の作品であり、それまで〈ほんとうの自由〉を求めて哲学書ばかりを読んでいた私に、魂をゆるがすような感銘をあたえてくれた文学であるからだ。この文学は、哲学書では味わうことのできなかった〈ほんとうの自由〉のたしかな手ごたえを感じさせてくれたといえるだろう。
(『私のドストエフスキー体験――悪霊』教文館 一九六七 昭四二)
五木寛之
私はゴーリキイの立場を守り、我がゴーリキイを軽視する形而上学的文学青年どもを論破するためにドストエーフスキイを読みはじめたのだったが、いつの間にか少しずつドストエーフスキイの毒に侵されつつあったのだった。
私とドストエーフスキイとの出会いは、そんなふうな不自然で非文学的なものであったが、そのために、先験的にドストエーフスキイの文学を神格化するフェティシスムからは自由であったように思う。
(「ドストエーフスキイと私」河出書房新社 一九六九 昭四四)
梅原 猛
彼(高橋和巳)はドストエフスキイ的作家であるが、ここにアリョーシャはいない、アリョーシャが書けるようになった時、彼は世界的作家になると思う、と。この意見は今でも変わっていない。(中略)高橋和巳の重いイワンの眼からアリョーシャの眼が生まれてほしいと思うのである。現代という時代とともに自己解体すべきではないと私は思う。
(「高橋和巳の文学と思想」河出書房新社 一九六九 昭四四)
ドストエーフスキイの会
明治以降のわが国知識人の精神史に、ドストエーフスキイ文学のあたえた影響は、今日にいたるもその持続度と深さにおいて、他に類を見ないものがある。それだけわたしたちの精神とこの一九世紀のロシアの作家との対話の歴史は古い。いわばそこには一つの精神の潮流のごときものが形成され、そこにかもされる渦や流れの形は時代とともに変わってきた。しかしその変化をつくりだしてきたものは歴史のまにまに漂う精神の惰性ではなかった。それはつねに源流に溯ろうとする精神の姿勢であり、時代の変転の中で人間の根源的なものへ問いかけようとするまなざしであった。(中略)この作家へのおのおのの問いかけを提示しあうことによって、現代に生きるドストエーフスキイを発見するために、また混沌たる時代に生きるわたしたち自身の精神の相貌を明らかにするために、ドストエーフスキイをあいだにはさんだ対話を必要としないであろうか。
(〈ドストエーフスキイの会〉発足のことば部分 一九六九 昭四四)
加賀乙彦
それは、ドストエフスキイの小説を読んでいると、いわゆるドストエフスキイ的人物が、私にはどうしても癲癇者の特徴を持っているように思えることと、作者ドストエフスキイがこの病気にかかっていたという伝記上の事実との関連に私が興味を覚えるからである。つまり、ドストエフスキイという特異な人間は、小説作法の巧妙な加工を経て小説世界に再登場してくるので、作中の分身は、作者の思想や心情や肉体や病気の或る側面を分ち持ちながら、ドストエフスキイ的世界の構成に重要な役割を果たしている。そのことを私は重視したいのだ。
(「ドストエフスキイと聖なる狂気」河出書房新社 一九七一 昭四六)
大江健三郎
ドストエフスキイがかれのイマジネーションの世界に『悪霊』をつくり上げたと同じほどにも、われわれが多面的総合的に現代をとらえるべくつとめ、赤軍の問題を考えるべく努力をするならば、はじめてわれわれはこの百年間をつなぐことができるのではないか。逆にそれがなければ現代の、とくにあの事件の結果は、ますますみじめな無意味なものになってしまうのではないか
(「革命と死と文学――ドストエフスキー経験と現代」埴谷雄高との対談 河出書房新社 一九七二 昭四七)
中上健次
『枯木灘』という私の処女長編は、ドストエフスキーという作家に反発しながら書いた。だが、いまひるがえってみると、反発や軽蔑とは触発というものと同義である事に気づくのである。つまり、さながら敬虔なクリスチャンが聖書をめくり一節を読むように、深夜、一人、ドストエフスキーを読んでいたように思えてくるのである。
(『枯木灘』について 河出書房新社 一九七七 昭五二)
桶谷秀昭
ドストエフスキイの作品は、作者の歴史的な経験が心の事実となって生きたその姿をレアルに映すことにあったと思う。ただそれを映すには尋常なレンズではだめで、露出過度のレンズを必要とした。彼はレンブラントのように描いたのである。
ドストエフスキイの思想は、理論が無力になるところでもっともよく生きる思想である。彼が「感覚」という言葉を愛用する作家であること、感覚を根底にもたぬどんな思想もドストエフスキイの真面目な対象にならないということは強調されすぎることはない。
ドストエフスキイにとっての神は、われわれにとっては何であろうか(中略)棺を蔽うまで彼は懐疑と不信の子であったであろうが、ときにおとずれる或る瞬間においてその心が体験したようなものを、キリスト教二千年の歴史の層の外にいるわれわれが感知することがあってもべつに不思議ではない。それを神とか信仰とか呼びたくなければ呼ばなくていい。そういう瞬間の心の事実を直視するのを、何かに恥じて避ける習慣から自由になりさえすれば。(『ドストエフスキイ』河出書房新社 一九七八 昭五三)
寺田 透
半ば読書指南に類するさういふ性質のこの長い連載を許容してくれた『文芸展望』に僕は感謝しなければならないが、少し迷惑でもそれをやらしてもらつていいことだつた筈だと僕は思つている。
といふのは近代日本における程反訳文学の比重がその文学論議の中で大きかつた例は恐らくどこにもなく、その日本の中でもドストエフスキー程それから来る光栄と誤解の悲劇が大きく捧げられた作家はないだらうからである。
これは反訳文化の反訳文化たるゆえんとして嘲つてゐればそれですむことではなく、反訳作品への関心の過大による一国文学の自己喪失が危懼されねばならない底の事態だつたと言はねばならない。
その結果文学の中にしか棲息できないやうな思想が思想として祀り上げられたり、どんな繊弱と見える作品でもそれが表現である以上なんらかの思想に支へられてゐない筈はないといふ表現と思想のいろはが見失はれたりする結果を招き、ひとは思想的に怠惰にさへ陥つたのである。
(『ドストエフスキイを讀む』筑摩書房 一九七八 昭五三)
村上春樹
鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミックバンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。(『風の歌を聴け』 一九七九 昭五四)
「二つの対立する考え方があるってわけね?」と208。
「そうだ。でもね。世の中には百二十万くらい対立する考え方があるんだ。いや、もっと沢山かもしれない。」
「殆んど誰とも友だちになんかなれないってこと?」と209。
「多分ね。」と僕。「殆んど誰とも友だちになんかなれない。」
それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。
(『1973のピンボール』講談社 一九八〇 昭五五)
吉本隆明
ドストエフスキーの作品が、ぼくたちに与える感銘や深刻な衝撃みたいなものを想定しますと、その根底にはいまいいましたように、人間の内面の動かし方の領域をきわめて拡大して、了解の時間性の因果の逆行をも包括した概念を、作品自体によって提出しているという問題が存在することがわかります。つまりドストエフスキーの作品によって人間の内面性、その了解という概念はいちじるしく拡張されているといい得るでしょう。
ぼくたちはどうしても、ドストエフスキーがじぶんの作品の世界に、眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や思想性の枠組みを施しているという仮定に導かれます。これをドストエフスキーが〈祖国主義〉と呼んだとしても、〈土着主義〉と呼んだとしても、そのことには意味がありません。ただ世界をロシアのアジア的古代性という枠組みで、構成していたかどうかが問題となるだけです。
(「ドストエフスキー断片」死後百年祭の講演から 新潮社 一九八一 昭五六)
江川 卓
彼の作品たち(あえて擬人法を用いたい)は、作家の死後にこそ新たな生命を獲得し、自身の新しい生を生きはじめた。死後百年を記念し終えたいまも、ドストエフスキーはいまだに〈われらの同時代人〉と認められている。彼の作品たちは、この百年の間に生起したさまざまな事件や現象を、いつも驚くほどの正確さで先取りしてきた。それぞれの時代に生きた人びとの心理を、気分を、さらには無意識をさえ洞察してきた。それは現代にまで及んでおり、予見しうるかぎりの未来にも及ぶのではないかと思われる。(『ドストエフスキー』岩波新書 一九八四 昭五九)
柄谷行人
先ほどの平行線の話でいうと、神と人間の平行線ということを考えればいいと思うんですが、その平行線がどこかで交わってしまう、そういう特異点、すなわち無限遠点みたいなものとして、いわばキリストがいるわけですね。それで、キリストがいないならば、うまくいく。いわゆる人間中心主義も、神と人間の二元性という考え方も、キリストがいなければ、ともに可能です。しかし、そこにキリストを入れると、うまくいかなくなってしまう。だから、先ほどドストエフスキーの世界は〈平行線が交わる〉という公理によってできている、ということを話しましたが、キリスト教という視点から見ていきますと、それは、その交わる点が、実はキリストなのであり、そのキリストを入れてしまったときに成立する世界である、と考えられます。
(「ドストエフスキーの幾何学」ドストエーフスキイの会講演 講談社 一九八五 昭六〇)
後藤明生
ドストエフスキーの小説の方法ぬきで二十世紀小説は考えられません。これは〈天才〉とか〈好み〉とかの問題ではなく〈普遍的な〉問題です。そのことを日本文学の中で、もっとはっきりさせるべきでしょう。日本の現代文学の問題として考えるべきと思います。そのために作家、研究家、批評家の共同の場を持つべきと思います。
(「ドストエフスキー研究Ⅲ」アンケートへの回答 ドストエーフスキイの会、一九八六 昭六一)
作田啓一
「死の家」の住民は可能性に満ちているように作家に見えた。そう見えたのは彼に可能性があったからだ。また「アクーリカの亭主」の登場人物たちがそうであるように、ドストエフスキー族の人びとの行動にはしばしば意外性があり、謎を伴っている。その謎は作家自身の内部にある謎なのである。ドストエフスキーは社会の圧力に押しつぶされてしまった「最も豊かな天分に恵まれた、最も力強い人たち」に代わって、人間の可能性を限界と思われるところまで作品のなかで表現した。そして、人間の能力では解くことができないと思われるような謎の探求を試みた。その表現と探求の跡をたどる楽しみは、ドストエフスキーに魅せられた私たち読者の特権である。
(『ドストエフスキーの世界』筑摩書房 一九八八 昭六三)
中村健之介
人間は過敏な内面感覚ゆえに、存在の不快、苦痛をかかえている。生きていることにやすらぎがなく、不愉快で、原因不明の敵愾心が絶えず湧いてくる、その不快感や疎外感の解消、世界との和解感の回復、敵愾心から歓びへの脱出、つまりドストエフスキーの言う〈死せる生〉から〈生ける生〉への転換が、ドストエフスキーの中心の問題であった。人間が絶えず不安と恐怖に襲われ、内から湧いてくる苛立ちや憎悪をかかえ、そこから逃れたいと常に願っている。そのような人間存在そのものが、ドストエフスキーの根源のテーマなのである。
(『ドストエフスキー人物事典』朝日選書 一九九〇 平二)
遠藤周作
ええ、おっしゃるとおりですね、ドストエフスキイの世界は。それはいかなる作家にとっても憧れでしょう。こんなことを言っては言いすぎですが、モーリヤックはだいたいわかりました。グレアム・グリーンもだいたいわかりました。その世界だったら私も多少、小説技術を覚えたから書くことはできます。しかしドストエフスキイの世界は、とてもわれわれのような作家がおよぶところではないという感じがいつもします。それだけに向こうがつきつけてくるテーマがすごいんです。でも作家というのは、自分を超えた人間を主人公にできないんです。ドストエフスキイのように書けないもんだから、すこしずつ世界を縮小していくんです。
(『人生の同伴者』佐藤泰正氏との対談 講談社 一九九一 平三)
辻 邦生
『悪霊』に出てくるキリーロフは、明晰な意識のまま自殺すれば人間は神になれるという神人説を唱えるニヒリストです。しかし彼は小さな子供と楽しく遊んだり、青空や窓辺の草花を愛する好青年です。
近代のニヒリズムは底なしです。どんな理由をつけても、生の無意味さから人間は逃れることができません。しかし人間を神にするために、つまり人間に真実と至福をもたらすために、自殺しようというキリーロフは生きることの嬉しさを何げなく生きているのです。ドストエフスキーは最後まで虚無と一騎打ちをしているのですね。
(「ドストエフスキーの苦難」水村美苗氏との往復書簡 一九九七 平九)
木田 元
そのスタヴローギンにしても、固く閉ざされた自我の砦に閉じこもって生きるよりは、自殺せざるをえなかったにしても、マトリョーシャとの出逢いによってその砦を打ちこわされ、マトリョーシャと<共にある>ことの方が救いだったのではあるまいか。
私は、『悪霊』で「スタヴローギンの告白」の章を読むたびに、キルケゴールが、『死に至る病』でもっとも深い絶望として挙げている「罪の宥しについて絶望する罪」というのを思い出す。無信仰な私にはよく分からないところもあるが、キルケゴールは絶望の度が深まれば深まるほど、それだけ深い信仰に転ずる可能性も高まり、それだけ救いに近づくという精神の逆説的な弁証法を説いている。スタヴローギンも、マトリョーシャと<共にある>ことによって日に日に深い絶望に押しやられ、ついに自殺せざるをえないことになったとしても、あるいはそれだけ救いに近づいていたということなのかもしれない。
(『偶然性と運命』二〇〇一年 平一三)
島田雅彦
ドストエフスキーは、伝記的な事実を調べても、一つの小説を書くのに十分な素材を提供してくれますよね。こんな変な奴はそうそういませんからねえ。二枚舌ということも含めて、言ってることも矛盾だらけだし、しかも性格的に大いなる問題があって、一番友人にしたくないタイプだと思うんですね。気宇壮大なことを声高に主張しながら、その実、気に入らない友人に対してとことん恨み尽くすとか、そういう肝っ玉の小さいところを合わせ持っている。賭博のエピソードにしても、自分を無用の者と示すための一つの韜晦として律儀にやってみせたのだということですが、日本文学における変態の代表選手としての谷崎潤一郎のことを思います。(中略)あくまでも自分は政治に一切関係がなくて、もう女のことと生活の発展のことしか興味がありませんというような、無用の者を装う。そういうふうなことが権力と言論人というような関係の中では生じてくる。
(「二枚舌のドストエフスキー」『文學界』亀山郁夫・沼野充義両氏と鼎談 二〇〇四 平一六)
加賀乙彦
私は、ドストエフスキーが小説に仕掛けた謎や隠れた構造を、小説家としての自分の目で読み解こうとした。とくにこの作者の宗教的な主題に光を当てようとしたのは、私の好みである。従来、ドストエフスキーを宗教抜きで、近代的自我の分析や心理分析だけで読もうとする傾向が日本ではあるが、私はあえて、そういう傾向には反対して、彼を宗教小説家としても読み解こうとした。
(『小説家が読むドストエフスキー』集英社新書 二〇〇六 平一八)
芦川進一
ドストエフスキイの聖書的磁場における思索のラディカルさアクチュアリティを知る上でも、本書はこのアメリカにおける9・11事件に対する一つの注解書という角度から読んでいただいてもよいのではないかと思う。ドストエフスキイの思索とは人間一人一人の〈世界が粉々に打ち砕かれてしまった〉ところから初めて開始される復活への希求と探求である点、この9・11事件はそのままドストエフスキイ的世界に起こった事件と言っても間違いはないであろう。
(『「罪と罰」における復活――ドストエフスキイと聖書』河合文化研究所 二〇〇七 平一九)
大江健三郎
それは、ドストエフスキーのつくり出した方法です。プロセスを大切にして、いつまでもいつまでも話し続けていく、それこそが神について考える唯一の道だというのが、ドストエフスキーが二十一世紀に残した宿題じゃないかと思います。(中略)ですから私は、宗教をもっている人にも、宗教をもっていない人にも、宗教をもっていないけれども宗教を探しもとめている人にもドストエフスキーを読んでもらいたい。もう老人の私がそうなんですから。これから生きていくことをまじめに考えざるをえない人に、じつは読んでも結論は出ないかもしれないけれども、結論に対する過程というものを生き生きと魅力的に書いている、深く誠実に書いている小説家として、ドストエフスキーはこれから文学に向かう人たちにも大きな種子だろうと信じています。
(「ドストエフスキーが21世紀に残したもの」沼野充義氏との対談――『21世紀ドストエフスキーがやってくる』集英社所収 二〇〇七 平一九)
松本健一
そうして、『21世紀ドストエフスキーがやってくる』なども発行され、一気にドストエフスキイの小ブームが出現したのである。この小ブームが、第七番目の「ドストエフスキイに憑かれた世代」の出現を意味するのかどうかは、まだわたしも何ともいえない。
ただ、井桁貞義が「二〇〇六年の『罪と罰』」(『21世紀ドストエフスキーがやってくる』所収)で述べているように、現代の若ものは「他者とのコミュニケーションがうまくとれず、肥大した自我の檻」のなかで、いわば暴発のようなかたちで「自分はここにいる」ことを社会に証明してみせようとする。その結果、極限化された孤独に襲われる「現代の若者たち」はラスコーリニコフそのものではないか、とも感じられる。そして、そうだとしたら、この一見自足した社会の精神的荒野に置き去りにされた現代の若ものたちが、ドストエフスキイに「憑かれる」日は近いのかもしれない。(『ユリイカ』二〇〇七年十一月号)
二〇〇八年六月、秋葉原で大量の無差別殺人――七人が死亡、十人が重軽傷を負った――を起こした二十五歳の青年の精神にあったものは、この極限化された孤独のなかでの「自分はここにいる」という叫びだったろうか。――後記
(『ドストエフスキイと日本人』(下)レグルス文庫、二〇〇八 平二〇)
吉本隆明
「この作品(『カラマーゾフの兄弟』)ではロシア革命を導いた共産党からも遠い、悪戦苦闘する民衆の姿が描かれている。登場人物それぞれ人間が持つ多様な側面が付与された。中でも〈善なる人〉というロシア人の原型を表すゾシマ長老を作者は敬いつつ、冷徹にからかいもする」
「人も、世界も二項対立では語れない。その深遠さを描いた作品ゆえ、勧善懲悪に単純化する現在の日本人の心を揺さぶるのだろう」
「団塊世代はすぐ誰かのせいにしたり、何かにすがろうとしがち。その対象がいまはドストエフスキーなんじゃないの」それでも「本当に読んでくれたら、年とは関係なく一廉(ルビ:ひと かど)の文学青年だ。読書というのはそれがいろいろ考える機会になれば、それだけで十分良いこと」
(「団塊世代なぜドストエフスキー」東京新聞 二〇〇八 平二〇)
奥泉 光
人物の人生じゃなくて、人物の行為や思想の動きそのもの、それがもたらすスリルを読ませる。(中略)とにかく彼はたくさんの「声」を聞いていたんだと思う。地下室の住人と同様、他者「声」を聞き、それを小説に取り込んでいく。
ドストエフスキーの小説にはほとんど人物像の描写がないでしょう?
むしろ数多いセリフが 描写を代行するんです。具体的描写は少なくて、この人がこう語る、その語り方自体が、人物描写となっている。
(「ドストエフスキー『地下室の手記』を読む」『すばる』いとうせいこう氏との文芸漫談 二〇〇八年 平二〇)
小森陽一
こうした言葉の問題と不可分な、心と身体、精神と実体といった、考えうるあらゆる二項対立を設定した瞬間に、その両者の間が引き裂かれ分裂するという在り方は、近代の産業資本主義と帝国主義的な植民地主義が、世界中に刻みつけた傷跡ではないのか。その傷を、私たちが〈終焉〉という枠組で治癒させることができるか否かを、本書は鋭く問いかけている。(中略)ドストエフスキーは、〈西洋の近代文学者〉ではなく、西洋と東洋という二項対立を生み出した、言語システムと言説のあり方を崩壊させるまで批判する、近代文学の装置なのだ。
(「〈二項対立〉の批判装置としてのドストエフスキー文学」二〇〇八 平二〇)
金原ひとみ
謎解き(全部をコントロールできる語り手として作者があらわれてくるのだったら、終始一貫背景に退いていていなきゃいけないのに、最後になって直接物語にかかわってくる。これは一体何なのか、について)はできませんけれど、ただ、もし私だったら、〈わたし〉という人称を設定することによって、書いているときに、自分という軸が小説内にあらわれることで、小説自体の軸を保てるのではないかと思います。恐らくドストエフスキーは重度の憑依体質だったのではないかと思うので、一つ一つのキャラクターに憑依し過ぎないよう、〈わたし〉というブレない軸が欲しかったのではないでしょうか。
(「多重人格としてのドストエフスキー」島田雅彦氏との対談――『二一世紀ドストエフスキーがやってくる』所収、二〇〇七 平一九)
高橋源一郎
殺人の正続性を理論化する〈悪魔〉は、当然のことながら『罪と罰』のラスコーリニコフを思わせる。ここで問うべきなのは、『決壊』にはドストエフスキーの影響がありますねという単純な話ではなくて、なんで今ドストエフスキーが面白いのかという点です。多分そのことが平野さんにこの小説を書かせた理由の一つだと思うんですが、ドストエフスキー、確かに今読むと面白いんですね。
不思議なことに、ドストエフスキーはどんな意味でもポストモダン的な作家じゃないんです。ただ彼をモダンな作家と言い切っていいかどうかもよくわからないところがある。
(「二十一世紀の〈人間〉を書く」『新潮』平野啓一郎氏との対談、二〇〇八 平二〇)
志村ふくみ
彼は体験している。気が狂うほどその人間と共に在る。現象の底を突き破って、地獄まで共に落ちる。何としても人間を見捨てない。人間というものをいとしく思っている。どんな極悪非道な人間もなぜか憎めない。かばってしまう。何とかして人間を描きたい、知りたい、猛烈な欲求が読者にも乗り移ってくる。
かぎりなく粘っこく、貪欲で、破壊的な人間。もういやだ、やりきれないという人間をも、読者は見捨てずについてゆく。私もその一人だ。いざ読みはじめるとまるで泥沼にはまった轍(ルビ:わだち)のようにそこから這い出すことが出来ない。今まさに私は泥沼の坩堝の中にいる。
(『白夜に紡ぐ』人文書院 二〇〇九 平二一)
三田誠広
たぶん、ドストエフスキーは父親の少女姦がトラウマになっているし、自分の内部にもそういうものがあっただろうと思います。ですから、スヴィドリガイロフを書き、スタヴローギンを書いた。それは単純な悪ではないわけです。もしかしたら神様がそういうふうに人間を創ったのかもしれない。つまり、神が創った世界の中に悪があるということですから、こいつは悪いやつだというかたちで排除はできないんですね。だから、小説を書こうと思ったのでしょう。
(「『罪と罰』その最大の謎に迫る」週間読書人 亀山郁夫氏との対談、二〇〇九 平二一)
佐藤 優
ドストエフスキーは愉快犯である。神などまったく信じていない。神を信じたいと思っても信じることができない現代人の一人である。『カラマーゾフの兄弟』におけるテーマも無神論について描くことであった。
(「ドストエフスキーの預言」『文學界』二〇〇九 平二一)
高村 薫
ドストエフスキーの登場人物で私と一番近いのは、『悪霊』のスタヴローギンだと思っています。私は、あれこれを眺めている人間です。(中略)私は怒らず、喜びもしない。じっと観察する。基本的に、作家とはそういう人種だと思います。ドストエフスキーの中にいる観察者は、スタヴローギンであり、『罪と罰』のスヴィドリガイロフです。
(「新しい言葉で読む『罪と罰』」毎日新聞 亀山郁夫氏との対談二〇〇九 平二一)
もし十九世紀にいまのような優れた抗てんかん薬があったとしたら、ドストエフスキーは呑んだだろうか。私は呑まなかったと思う。おそらく私ども健常者には理解しようがない特別な心身の体験があって、ごく一部の人には苦悩や恐怖以上の何かがあるのかもしれません
(『太陽を曳く馬』新潮社 二〇〇九 平二一)
私自身は阪神大震災で六千四百人の死を経験して十五年経ったいま、やっと一つ、自分の中で漠然と形になったものがあるように感じています。それは、もう何も見るものも、聞く者もない絶望の感じ――たぶんスタヴローギンが最後に首をくくる前がそうだったと思うんですが、そういう自死に向かうときの〈無〉の感じ――。これは最近になって思い始めたことですが、そういう〈無〉の中にも、実はそれもまた生命だという手触りがある。〈無〉に近い灰色や黒が放っている生命の手触りです。
(「カタストロフィ後の文学」『文學界』亀山郁夫氏との対談 二〇一〇 平二二)
(ふくい かつや・文芸評論家)
内田魯庵
[最初に『罪と罰』に接したときに]恰も曠野に落雷に会ふて眼眩き耳聾ひたる如き、今までに曽て覚えない甚深の感動を与えられた……それ以来私の小説に対する考へが一変して了つた(一八八九 明二二)
北村透谷
[『罪と罰』を読んで]……最暗黒の社会にいかにおそろしき魔力の潜むありて、学問はあり分別ある脳髄の中に、学問なく分別なきものすら企つることを躊躇ふべきほどの悪事をたくらましめたるかを現すは、蓋し此書の主眼なり(一八九二 明二五)
二葉亭四迷
一躰『浮雲』の文章は殆ど人真似なので、先ず第一回は三馬と饗庭さん(竹の舎)のと、八文字屋ものを真似てかいたのですよ。第二回はドストエフスキーと、ガンチヤロツフの筆意を摸して見たのであツて、第三回は全くドストエフスキーを真似たのです。稽古する考で、色々やツて見たんですね(「作家苦心談」一八九七 明三〇?)
夏目漱石
余は自然の手に罹つて死のうとした。現に少しの間死んでゐた。後から当時の記憶を呼び起こした上、猶所々の穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全く出来上る構図を振り返つて見ると、所謂慄然と云う感じに打たれなければ已まなかつた。其恐ろしさに比例して、九仞に失つた命を一簣に取り留める嬉しさは又特別であつた。此死此生に伴ふ恐ろしさと嬉しさが紙の裏表の如く重なつたため、余は連想上常にドストイエフスキーを思ひ出したのである。(「思ひ出す事など」一九一一 明四四)
武者小路実篤
ドストエフスキーはここで自分が一生得たものを、のこりなく表現した、情熱と愛と信仰とをもつて。この本が書ければ人類は救はれる、一人のこらず救はれる、救つて見せる、さう思つてかかれたものにちがひない
(『自己を生かすために』一九一九 大八)
芥川龍之介
「どうしてまた悪魔などと云うのです?」
僕はこの一二年の間、僕自身の経験したことを彼に話したい誘惑を感じた。が、彼から妻子に伝わり、僕もまた母のように精神病院にはいることを恐れない訣にも行かなかった。
「あすこにあるのは?」
この逞しい老人は古い書棚をふり返り、何か牧羊神らしい表情を示した。
「ドストエフスキイ全集です。『罪と罰』はお読みですか?」
僕は勿論十年前にも四五冊のドストエフスキイに親しんでいた。が、偶然(?)彼の言った『罪と罰』という言葉に感動し、この本を貸して貰った上、前のホテルへ帰ることにした。電燈の光に輝いた、人通りの多い往来はやはり僕には不快だった。殊に知り人に遭うことはとうてい堪えられないのに違いなかった。僕は努めて暗い往来を選び、盗人のように歩いて行った。(『歯車』一九二七 昭二)
横光利一
私は逢ふ人毎に当分の間は『悪霊』の話ばかりをし続けた。それ以外にここから脱け出る方法を私は知らなかったのである。バルザックを抜いてゐたものがロシアにあつたのだ。ゲーテ、シェクスピア、トルストイ、スタンダール、総て私の読んだものの範囲では、これらは一段下の世界である。ジョイス、プルースト、やはりこれらもドストエフスキーには及ばない。
……しかし、私はやはりこの作の優れたところは、ドストエフスキーの新しい時間の発見だと思ふ。ここでは偶然が偶然を生んで必然となり、飛躍が飛躍を重ねての何の飛躍もない。秩序は乱雑を極めながら整然としてゐるにかかはらず、めまぐるしい事件の進行や心理が一時間後に起る出来事の予想の片鱗をさへも伺はせない。しかるにもかかはらず、私たちはどうしてこれらの脈絡なき進行から必然を感じるのであらうか。新しい時間はここに潜んでゐるのである。(『悪霊』について 一九三三 昭八)
小林秀雄
僕は今ドストエフスキイの全作を讀みかへさうと思つてゐる。廣大な深刻な實生活を活き、實生活について、一言も語らなかつた作家、實生活の豊富が終つた處から文學の豊富が生れた作家、而も實生活の秘密が全作にみなぎつてゐる作家、而も又娘の手になつた、妻の手になつた、彼の實生活の記録さへ、嘘だ、嘘だと思はなければ讀めぬ様な作家、かういふ作家にこそ私小説問題の一番豊富な場所があると思つてゐる。出来る事ならその秘密にぶつかりたいと思つてゐる。
(「文學界の混亂――私小説について」一九三四 昭九)
中村光夫
恐らく自意識の化身とも見えるラスコオリニコフを創造したドストエフスキイは一体四人称などといふもの必要としたのか。(中略)この場合彼にはただ普通の客観小説の体裁で充分であった。(中略)彼がこの小説で描こうとしたものは自意識といふ『怪物』などではない。ラスコオリニコフの自意識の現実社会における明瞭な姿であつたのだ。
(「純粋小説論について」一九三五 昭一〇)
萩原朔太郎
当時僕はニイチェを読んで居たので、あの主人公の大学生が、ナポレオン的超人になろうとイデアした思想の哲学的心境がよく解り、一層意味深く読み味へた。その読後の深い印象から、僕はラスコリニコフを以て気取り、滑稽にもその小説的風貌を真似たりした。夜は夜で、夢の中に老婆殺しの恐ろしい幻影を見た。
(「初めてドストイェフスキーを読んだ頃」一九三五 昭一〇)
坂口安吾
ラスコルニコフは淫売婦にひざまずく、彼女は汚辱にまみれているがその魂は一滴の淫蕩の血にも汚されていない、と。そして偉大なる罪にひざまずくのである、と。私はそんな甘ったるいことは考えていない。私の知るソーニャやマリヤはみんな淫蕩の血にまみれ、そして嬉々としているのである。(『堕落論』一九四七 昭二二)
太宰治
罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷灰相容れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……(『人間失格』一九四八 昭二三)
井筒俊彦
罪の秩序から愛の秩序へ。罪の共同体が直ちにそのまま愛の共同体であるような、そういう根源的連帯性の復帰。それこそドストイェフスキイー的人間の最高の境地であり、窮極の目標であった。ただそのためにのみ、ただそれをよりよく表現せんがためにのみ、ドストイェフスキイーは〈文学者〉として、あの苦難にみちた一生を生き通した。(中略)いずれもそれは人間新生の、つまり〈旧い人〉が死んで〈新しい人〉が甦る復活の秘蹟を象徴する秘蹟的行為なのである。(中略)そして、この復活の秘蹟とともにドストイェフスキイー的人間も最後の結末に到達するのである。もちろんそれは一個の終末論的黙示録的風景にすぎない。しかし〈終末〉はすでに今、現にこの瞬間に、着々として来たりつつあるのではないだろうか。(「ドストイェフスキイー」、『ロシア的人間』中公文庫所収 一九四八 昭二三)
唐木順三
物理学に於てあらはに示されて来た革命、機械観と連続観を否定した新しい構想は文学の上にも、心理学の上にも、生物学の上にも共通にあらはれてきたのではないか。さうしてそれを世界観にまで築きあげることによつて西欧的近代を超えた現代を形成することが我々の時代に課されてゐるのではないか。その場合、ドストイェフスキイの作品は新しく先駆的文学として検討されるに相違ない。(「ドストイェフスキイ――三人称世界から二人称世界へ」河出書房新社 一九四九 昭二四)
森 有正
ラスコーリニコフにも、スタヴローギンにも、ドミートリーにも、イヴンにも、生まれなかった、真の現実への転換が、コーリャに生まれた。ドストエーフスキーはそれを真実に信じていたであろうか。すべては死をもって終る。人間はそれ以上のことは言えない。かれは、ありえないことを、無邪気な少年たちの物語のなかに、象徴的に描いたのではないであろうか。
邂逅! それのみが真実を開示する。人間の新生も、死よりの復活も、偉大なる邂逅として以外には絶対に把握されない。ドストエーフスキーの全作品に充ち満つる人間の苦悩は、人類を救う偉大なる現実の邂逅へ、終末的に、指向されているのである。かれは絶望している。しかも絶望していない。(「コーリャ・クラソートキン」、『ドストエーフスキー覚書』
筑摩書房所収 一九四九 昭二四)
三島由紀夫
ドストエフスキーの美の観念(「カラマーゾフの兄弟」一八八〇)。(中略)――ドストエフスキーにあっては、美は人間存在の避くべからざる存在形式であり、存在形式それ自体が謎なのであり、これが彼の神学の酵母となっている。なぜなら彼は美を神と対置させたり(ワイルド)、対決させたり(ボオドレエル)する代わりに、美の観念の次元を高め、人間存在の内に行われる神と悪魔との争いをも美という存在形式で包括したからである。(中略)ここにおいてニイチェの芸術概念を思い出すのは徒労であろうか?(中略)しかしドストエフスキーの美の観念は、少なくともギリシャ的ではない。私は、(直感的にだが)、アジヤ的な生の指示を感ずる。そこにはヨーロッパ人にとって不断の脅威であるところのアジア的混沌の風土がありはしないか? 現にニイチェがギリシャ芸術の始源として指摘するデュオニゾーズの祭祀は、アジア的起源をもつことが知られているではないか?
(「美について」、『三島由紀夫の美学講座』所収 一九四九 昭二四)
埴谷雄高
人間と存在のあいだをみたす思想と情熱の苦しさと狂おしさと、そして、恐ろしいような陶酔について知るところのあつたドストエフスキイは未来社会についても文学がなし得るかぎりの徹底的な洞察を試みたのであつて、深い苦悩をもつて堅くとらえられた裸の真実のもつ苦悩のかたちが無惨な解剖図のごとくにそこにある。恐らく、ドストエフスキイは現代が未来へ向かつて推移するにつれてますます深く考察されねばならぬ種類の深い手きびしいヴィジョンをもつた少数な作家のひとりであつて、年を経るごとに厚い非難の外被をとりのぞかれいよいよ巨大になりゆくのであろう。(「ドストエフスキイの二元性」一九五六 昭三一)
米川正夫
ドストエーフスキイで、私が最初に読んだのは、『白痴』であった。(中略)私はもともと、ドストエーフスキイは難解な、悪文家であるということを耳にたこができるほど聞かされていた。で、その覚悟で読みにかかったところ、驚いたことには、私にはいささかも難解と思われなかった。私は『白痴』を読みはじめるやいなや、辞書を引くのももどかしい思いで、ドストエーフスキイ芸術のダイナミックな力にひかれて、息もつかず読み進んで行った。また彼の悪文という定評についても、名文ということはもちろんできないけれど、しかし達意の文章であって、その無限軌道のような、いわやる息の長い文章は、読者を疲らせもするが、否応なしにぐんぐん引っぱって行く力を持っている。
(『鈍・根・才』米川正夫自伝 河出書房新社 一九六二 昭三七)
秋山 駿
イッポリートは内部の人間である。内部の人間とは、自己自身の内部にとざされているもの、あるいは深く隠されているもののことである。現実の観点からすれば、こういう人間はこの世の中には無用のものであり、その行為には明らかな理由のない、不確実な人間のことである。
(「イッポリートの告白――抽象と現実」河出書房新社 一九六四 昭三九)
武田泰淳
私としては、この〈カラマーゾフばんざい!〉という叫びの中には、殺された父親、父殺しと疑われたドミートリー、哲学的な怪物イワンも含まれていると存じます。含まれていなければならないのです。血のつながりがあるからには、かの悪漢スメルジャコフでさえも含まれていなければ、作者ドストエフスキーは満足しなかったはずです。
(「カラマーゾフ的世界ばんざい!」河出書房新社 一九六六 昭四一)
椎名麟三
この『悪霊』は、私にとって思い出のふかい作品である。それは前にものべたように、私のドストエフスキーについて読んだ最初の作品であり、それまで〈ほんとうの自由〉を求めて哲学書ばかりを読んでいた私に、魂をゆるがすような感銘をあたえてくれた文学であるからだ。この文学は、哲学書では味わうことのできなかった〈ほんとうの自由〉のたしかな手ごたえを感じさせてくれたといえるだろう。
(『私のドストエフスキー体験――悪霊』教文館 一九六七 昭四二)
五木寛之
私はゴーリキイの立場を守り、我がゴーリキイを軽視する形而上学的文学青年どもを論破するためにドストエーフスキイを読みはじめたのだったが、いつの間にか少しずつドストエーフスキイの毒に侵されつつあったのだった。
私とドストエーフスキイとの出会いは、そんなふうな不自然で非文学的なものであったが、そのために、先験的にドストエーフスキイの文学を神格化するフェティシスムからは自由であったように思う。
(「ドストエーフスキイと私」河出書房新社 一九六九 昭四四)
梅原 猛
彼(高橋和巳)はドストエフスキイ的作家であるが、ここにアリョーシャはいない、アリョーシャが書けるようになった時、彼は世界的作家になると思う、と。この意見は今でも変わっていない。(中略)高橋和巳の重いイワンの眼からアリョーシャの眼が生まれてほしいと思うのである。現代という時代とともに自己解体すべきではないと私は思う。
(「高橋和巳の文学と思想」河出書房新社 一九六九 昭四四)
ドストエーフスキイの会
明治以降のわが国知識人の精神史に、ドストエーフスキイ文学のあたえた影響は、今日にいたるもその持続度と深さにおいて、他に類を見ないものがある。それだけわたしたちの精神とこの一九世紀のロシアの作家との対話の歴史は古い。いわばそこには一つの精神の潮流のごときものが形成され、そこにかもされる渦や流れの形は時代とともに変わってきた。しかしその変化をつくりだしてきたものは歴史のまにまに漂う精神の惰性ではなかった。それはつねに源流に溯ろうとする精神の姿勢であり、時代の変転の中で人間の根源的なものへ問いかけようとするまなざしであった。(中略)この作家へのおのおのの問いかけを提示しあうことによって、現代に生きるドストエーフスキイを発見するために、また混沌たる時代に生きるわたしたち自身の精神の相貌を明らかにするために、ドストエーフスキイをあいだにはさんだ対話を必要としないであろうか。
(〈ドストエーフスキイの会〉発足のことば部分 一九六九 昭四四)
加賀乙彦
それは、ドストエフスキイの小説を読んでいると、いわゆるドストエフスキイ的人物が、私にはどうしても癲癇者の特徴を持っているように思えることと、作者ドストエフスキイがこの病気にかかっていたという伝記上の事実との関連に私が興味を覚えるからである。つまり、ドストエフスキイという特異な人間は、小説作法の巧妙な加工を経て小説世界に再登場してくるので、作中の分身は、作者の思想や心情や肉体や病気の或る側面を分ち持ちながら、ドストエフスキイ的世界の構成に重要な役割を果たしている。そのことを私は重視したいのだ。
(「ドストエフスキイと聖なる狂気」河出書房新社 一九七一 昭四六)
大江健三郎
ドストエフスキイがかれのイマジネーションの世界に『悪霊』をつくり上げたと同じほどにも、われわれが多面的総合的に現代をとらえるべくつとめ、赤軍の問題を考えるべく努力をするならば、はじめてわれわれはこの百年間をつなぐことができるのではないか。逆にそれがなければ現代の、とくにあの事件の結果は、ますますみじめな無意味なものになってしまうのではないか
(「革命と死と文学――ドストエフスキー経験と現代」埴谷雄高との対談 河出書房新社 一九七二 昭四七)
中上健次
『枯木灘』という私の処女長編は、ドストエフスキーという作家に反発しながら書いた。だが、いまひるがえってみると、反発や軽蔑とは触発というものと同義である事に気づくのである。つまり、さながら敬虔なクリスチャンが聖書をめくり一節を読むように、深夜、一人、ドストエフスキーを読んでいたように思えてくるのである。
(『枯木灘』について 河出書房新社 一九七七 昭五二)
桶谷秀昭
ドストエフスキイの作品は、作者の歴史的な経験が心の事実となって生きたその姿をレアルに映すことにあったと思う。ただそれを映すには尋常なレンズではだめで、露出過度のレンズを必要とした。彼はレンブラントのように描いたのである。
ドストエフスキイの思想は、理論が無力になるところでもっともよく生きる思想である。彼が「感覚」という言葉を愛用する作家であること、感覚を根底にもたぬどんな思想もドストエフスキイの真面目な対象にならないということは強調されすぎることはない。
ドストエフスキイにとっての神は、われわれにとっては何であろうか(中略)棺を蔽うまで彼は懐疑と不信の子であったであろうが、ときにおとずれる或る瞬間においてその心が体験したようなものを、キリスト教二千年の歴史の層の外にいるわれわれが感知することがあってもべつに不思議ではない。それを神とか信仰とか呼びたくなければ呼ばなくていい。そういう瞬間の心の事実を直視するのを、何かに恥じて避ける習慣から自由になりさえすれば。(『ドストエフスキイ』河出書房新社 一九七八 昭五三)
寺田 透
半ば読書指南に類するさういふ性質のこの長い連載を許容してくれた『文芸展望』に僕は感謝しなければならないが、少し迷惑でもそれをやらしてもらつていいことだつた筈だと僕は思つている。
といふのは近代日本における程反訳文学の比重がその文学論議の中で大きかつた例は恐らくどこにもなく、その日本の中でもドストエフスキー程それから来る光栄と誤解の悲劇が大きく捧げられた作家はないだらうからである。
これは反訳文化の反訳文化たるゆえんとして嘲つてゐればそれですむことではなく、反訳作品への関心の過大による一国文学の自己喪失が危懼されねばならない底の事態だつたと言はねばならない。
その結果文学の中にしか棲息できないやうな思想が思想として祀り上げられたり、どんな繊弱と見える作品でもそれが表現である以上なんらかの思想に支へられてゐない筈はないといふ表現と思想のいろはが見失はれたりする結果を招き、ひとは思想的に怠惰にさへ陥つたのである。
(『ドストエフスキイを讀む』筑摩書房 一九七八 昭五三)
村上春樹
鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる。昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしたコミックバンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。(『風の歌を聴け』 一九七九 昭五四)
「二つの対立する考え方があるってわけね?」と208。
「そうだ。でもね。世の中には百二十万くらい対立する考え方があるんだ。いや、もっと沢山かもしれない。」
「殆んど誰とも友だちになんかなれないってこと?」と209。
「多分ね。」と僕。「殆んど誰とも友だちになんかなれない。」
それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。
(『1973のピンボール』講談社 一九八〇 昭五五)
吉本隆明
ドストエフスキーの作品が、ぼくたちに与える感銘や深刻な衝撃みたいなものを想定しますと、その根底にはいまいいましたように、人間の内面の動かし方の領域をきわめて拡大して、了解の時間性の因果の逆行をも包括した概念を、作品自体によって提出しているという問題が存在することがわかります。つまりドストエフスキーの作品によって人間の内面性、その了解という概念はいちじるしく拡張されているといい得るでしょう。
ぼくたちはどうしても、ドストエフスキーがじぶんの作品の世界に、眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や思想性の枠組みを施しているという仮定に導かれます。これをドストエフスキーが〈祖国主義〉と呼んだとしても、〈土着主義〉と呼んだとしても、そのことには意味がありません。ただ世界をロシアのアジア的古代性という枠組みで、構成していたかどうかが問題となるだけです。
(「ドストエフスキー断片」死後百年祭の講演から 新潮社 一九八一 昭五六)
江川 卓
彼の作品たち(あえて擬人法を用いたい)は、作家の死後にこそ新たな生命を獲得し、自身の新しい生を生きはじめた。死後百年を記念し終えたいまも、ドストエフスキーはいまだに〈われらの同時代人〉と認められている。彼の作品たちは、この百年の間に生起したさまざまな事件や現象を、いつも驚くほどの正確さで先取りしてきた。それぞれの時代に生きた人びとの心理を、気分を、さらには無意識をさえ洞察してきた。それは現代にまで及んでおり、予見しうるかぎりの未来にも及ぶのではないかと思われる。(『ドストエフスキー』岩波新書 一九八四 昭五九)
柄谷行人
先ほどの平行線の話でいうと、神と人間の平行線ということを考えればいいと思うんですが、その平行線がどこかで交わってしまう、そういう特異点、すなわち無限遠点みたいなものとして、いわばキリストがいるわけですね。それで、キリストがいないならば、うまくいく。いわゆる人間中心主義も、神と人間の二元性という考え方も、キリストがいなければ、ともに可能です。しかし、そこにキリストを入れると、うまくいかなくなってしまう。だから、先ほどドストエフスキーの世界は〈平行線が交わる〉という公理によってできている、ということを話しましたが、キリスト教という視点から見ていきますと、それは、その交わる点が、実はキリストなのであり、そのキリストを入れてしまったときに成立する世界である、と考えられます。
(「ドストエフスキーの幾何学」ドストエーフスキイの会講演 講談社 一九八五 昭六〇)
後藤明生
ドストエフスキーの小説の方法ぬきで二十世紀小説は考えられません。これは〈天才〉とか〈好み〉とかの問題ではなく〈普遍的な〉問題です。そのことを日本文学の中で、もっとはっきりさせるべきでしょう。日本の現代文学の問題として考えるべきと思います。そのために作家、研究家、批評家の共同の場を持つべきと思います。
(「ドストエフスキー研究Ⅲ」アンケートへの回答 ドストエーフスキイの会、一九八六 昭六一)
作田啓一
「死の家」の住民は可能性に満ちているように作家に見えた。そう見えたのは彼に可能性があったからだ。また「アクーリカの亭主」の登場人物たちがそうであるように、ドストエフスキー族の人びとの行動にはしばしば意外性があり、謎を伴っている。その謎は作家自身の内部にある謎なのである。ドストエフスキーは社会の圧力に押しつぶされてしまった「最も豊かな天分に恵まれた、最も力強い人たち」に代わって、人間の可能性を限界と思われるところまで作品のなかで表現した。そして、人間の能力では解くことができないと思われるような謎の探求を試みた。その表現と探求の跡をたどる楽しみは、ドストエフスキーに魅せられた私たち読者の特権である。
(『ドストエフスキーの世界』筑摩書房 一九八八 昭六三)
中村健之介
人間は過敏な内面感覚ゆえに、存在の不快、苦痛をかかえている。生きていることにやすらぎがなく、不愉快で、原因不明の敵愾心が絶えず湧いてくる、その不快感や疎外感の解消、世界との和解感の回復、敵愾心から歓びへの脱出、つまりドストエフスキーの言う〈死せる生〉から〈生ける生〉への転換が、ドストエフスキーの中心の問題であった。人間が絶えず不安と恐怖に襲われ、内から湧いてくる苛立ちや憎悪をかかえ、そこから逃れたいと常に願っている。そのような人間存在そのものが、ドストエフスキーの根源のテーマなのである。
(『ドストエフスキー人物事典』朝日選書 一九九〇 平二)
遠藤周作
ええ、おっしゃるとおりですね、ドストエフスキイの世界は。それはいかなる作家にとっても憧れでしょう。こんなことを言っては言いすぎですが、モーリヤックはだいたいわかりました。グレアム・グリーンもだいたいわかりました。その世界だったら私も多少、小説技術を覚えたから書くことはできます。しかしドストエフスキイの世界は、とてもわれわれのような作家がおよぶところではないという感じがいつもします。それだけに向こうがつきつけてくるテーマがすごいんです。でも作家というのは、自分を超えた人間を主人公にできないんです。ドストエフスキイのように書けないもんだから、すこしずつ世界を縮小していくんです。
(『人生の同伴者』佐藤泰正氏との対談 講談社 一九九一 平三)
辻 邦生
『悪霊』に出てくるキリーロフは、明晰な意識のまま自殺すれば人間は神になれるという神人説を唱えるニヒリストです。しかし彼は小さな子供と楽しく遊んだり、青空や窓辺の草花を愛する好青年です。
近代のニヒリズムは底なしです。どんな理由をつけても、生の無意味さから人間は逃れることができません。しかし人間を神にするために、つまり人間に真実と至福をもたらすために、自殺しようというキリーロフは生きることの嬉しさを何げなく生きているのです。ドストエフスキーは最後まで虚無と一騎打ちをしているのですね。
(「ドストエフスキーの苦難」水村美苗氏との往復書簡 一九九七 平九)
木田 元
そのスタヴローギンにしても、固く閉ざされた自我の砦に閉じこもって生きるよりは、自殺せざるをえなかったにしても、マトリョーシャとの出逢いによってその砦を打ちこわされ、マトリョーシャと<共にある>ことの方が救いだったのではあるまいか。
私は、『悪霊』で「スタヴローギンの告白」の章を読むたびに、キルケゴールが、『死に至る病』でもっとも深い絶望として挙げている「罪の宥しについて絶望する罪」というのを思い出す。無信仰な私にはよく分からないところもあるが、キルケゴールは絶望の度が深まれば深まるほど、それだけ深い信仰に転ずる可能性も高まり、それだけ救いに近づくという精神の逆説的な弁証法を説いている。スタヴローギンも、マトリョーシャと<共にある>ことによって日に日に深い絶望に押しやられ、ついに自殺せざるをえないことになったとしても、あるいはそれだけ救いに近づいていたということなのかもしれない。
(『偶然性と運命』二〇〇一年 平一三)
島田雅彦
ドストエフスキーは、伝記的な事実を調べても、一つの小説を書くのに十分な素材を提供してくれますよね。こんな変な奴はそうそういませんからねえ。二枚舌ということも含めて、言ってることも矛盾だらけだし、しかも性格的に大いなる問題があって、一番友人にしたくないタイプだと思うんですね。気宇壮大なことを声高に主張しながら、その実、気に入らない友人に対してとことん恨み尽くすとか、そういう肝っ玉の小さいところを合わせ持っている。賭博のエピソードにしても、自分を無用の者と示すための一つの韜晦として律儀にやってみせたのだということですが、日本文学における変態の代表選手としての谷崎潤一郎のことを思います。(中略)あくまでも自分は政治に一切関係がなくて、もう女のことと生活の発展のことしか興味がありませんというような、無用の者を装う。そういうふうなことが権力と言論人というような関係の中では生じてくる。
(「二枚舌のドストエフスキー」『文學界』亀山郁夫・沼野充義両氏と鼎談 二〇〇四 平一六)
加賀乙彦
私は、ドストエフスキーが小説に仕掛けた謎や隠れた構造を、小説家としての自分の目で読み解こうとした。とくにこの作者の宗教的な主題に光を当てようとしたのは、私の好みである。従来、ドストエフスキーを宗教抜きで、近代的自我の分析や心理分析だけで読もうとする傾向が日本ではあるが、私はあえて、そういう傾向には反対して、彼を宗教小説家としても読み解こうとした。
(『小説家が読むドストエフスキー』集英社新書 二〇〇六 平一八)
芦川進一
ドストエフスキイの聖書的磁場における思索のラディカルさアクチュアリティを知る上でも、本書はこのアメリカにおける9・11事件に対する一つの注解書という角度から読んでいただいてもよいのではないかと思う。ドストエフスキイの思索とは人間一人一人の〈世界が粉々に打ち砕かれてしまった〉ところから初めて開始される復活への希求と探求である点、この9・11事件はそのままドストエフスキイ的世界に起こった事件と言っても間違いはないであろう。
(『「罪と罰」における復活――ドストエフスキイと聖書』河合文化研究所 二〇〇七 平一九)
大江健三郎
それは、ドストエフスキーのつくり出した方法です。プロセスを大切にして、いつまでもいつまでも話し続けていく、それこそが神について考える唯一の道だというのが、ドストエフスキーが二十一世紀に残した宿題じゃないかと思います。(中略)ですから私は、宗教をもっている人にも、宗教をもっていない人にも、宗教をもっていないけれども宗教を探しもとめている人にもドストエフスキーを読んでもらいたい。もう老人の私がそうなんですから。これから生きていくことをまじめに考えざるをえない人に、じつは読んでも結論は出ないかもしれないけれども、結論に対する過程というものを生き生きと魅力的に書いている、深く誠実に書いている小説家として、ドストエフスキーはこれから文学に向かう人たちにも大きな種子だろうと信じています。
(「ドストエフスキーが21世紀に残したもの」沼野充義氏との対談――『21世紀ドストエフスキーがやってくる』集英社所収 二〇〇七 平一九)
松本健一
そうして、『21世紀ドストエフスキーがやってくる』なども発行され、一気にドストエフスキイの小ブームが出現したのである。この小ブームが、第七番目の「ドストエフスキイに憑かれた世代」の出現を意味するのかどうかは、まだわたしも何ともいえない。
ただ、井桁貞義が「二〇〇六年の『罪と罰』」(『21世紀ドストエフスキーがやってくる』所収)で述べているように、現代の若ものは「他者とのコミュニケーションがうまくとれず、肥大した自我の檻」のなかで、いわば暴発のようなかたちで「自分はここにいる」ことを社会に証明してみせようとする。その結果、極限化された孤独に襲われる「現代の若者たち」はラスコーリニコフそのものではないか、とも感じられる。そして、そうだとしたら、この一見自足した社会の精神的荒野に置き去りにされた現代の若ものたちが、ドストエフスキイに「憑かれる」日は近いのかもしれない。(『ユリイカ』二〇〇七年十一月号)
二〇〇八年六月、秋葉原で大量の無差別殺人――七人が死亡、十人が重軽傷を負った――を起こした二十五歳の青年の精神にあったものは、この極限化された孤独のなかでの「自分はここにいる」という叫びだったろうか。――後記
(『ドストエフスキイと日本人』(下)レグルス文庫、二〇〇八 平二〇)
吉本隆明
「この作品(『カラマーゾフの兄弟』)ではロシア革命を導いた共産党からも遠い、悪戦苦闘する民衆の姿が描かれている。登場人物それぞれ人間が持つ多様な側面が付与された。中でも〈善なる人〉というロシア人の原型を表すゾシマ長老を作者は敬いつつ、冷徹にからかいもする」
「人も、世界も二項対立では語れない。その深遠さを描いた作品ゆえ、勧善懲悪に単純化する現在の日本人の心を揺さぶるのだろう」
「団塊世代はすぐ誰かのせいにしたり、何かにすがろうとしがち。その対象がいまはドストエフスキーなんじゃないの」それでも「本当に読んでくれたら、年とは関係なく一廉(ルビ:ひと かど)の文学青年だ。読書というのはそれがいろいろ考える機会になれば、それだけで十分良いこと」
(「団塊世代なぜドストエフスキー」東京新聞 二〇〇八 平二〇)
奥泉 光
人物の人生じゃなくて、人物の行為や思想の動きそのもの、それがもたらすスリルを読ませる。(中略)とにかく彼はたくさんの「声」を聞いていたんだと思う。地下室の住人と同様、他者「声」を聞き、それを小説に取り込んでいく。
ドストエフスキーの小説にはほとんど人物像の描写がないでしょう?
むしろ数多いセリフが 描写を代行するんです。具体的描写は少なくて、この人がこう語る、その語り方自体が、人物描写となっている。
(「ドストエフスキー『地下室の手記』を読む」『すばる』いとうせいこう氏との文芸漫談 二〇〇八年 平二〇)
小森陽一
こうした言葉の問題と不可分な、心と身体、精神と実体といった、考えうるあらゆる二項対立を設定した瞬間に、その両者の間が引き裂かれ分裂するという在り方は、近代の産業資本主義と帝国主義的な植民地主義が、世界中に刻みつけた傷跡ではないのか。その傷を、私たちが〈終焉〉という枠組で治癒させることができるか否かを、本書は鋭く問いかけている。(中略)ドストエフスキーは、〈西洋の近代文学者〉ではなく、西洋と東洋という二項対立を生み出した、言語システムと言説のあり方を崩壊させるまで批判する、近代文学の装置なのだ。
(「〈二項対立〉の批判装置としてのドストエフスキー文学」二〇〇八 平二〇)
金原ひとみ
謎解き(全部をコントロールできる語り手として作者があらわれてくるのだったら、終始一貫背景に退いていていなきゃいけないのに、最後になって直接物語にかかわってくる。これは一体何なのか、について)はできませんけれど、ただ、もし私だったら、〈わたし〉という人称を設定することによって、書いているときに、自分という軸が小説内にあらわれることで、小説自体の軸を保てるのではないかと思います。恐らくドストエフスキーは重度の憑依体質だったのではないかと思うので、一つ一つのキャラクターに憑依し過ぎないよう、〈わたし〉というブレない軸が欲しかったのではないでしょうか。
(「多重人格としてのドストエフスキー」島田雅彦氏との対談――『二一世紀ドストエフスキーがやってくる』所収、二〇〇七 平一九)
高橋源一郎
殺人の正続性を理論化する〈悪魔〉は、当然のことながら『罪と罰』のラスコーリニコフを思わせる。ここで問うべきなのは、『決壊』にはドストエフスキーの影響がありますねという単純な話ではなくて、なんで今ドストエフスキーが面白いのかという点です。多分そのことが平野さんにこの小説を書かせた理由の一つだと思うんですが、ドストエフスキー、確かに今読むと面白いんですね。
不思議なことに、ドストエフスキーはどんな意味でもポストモダン的な作家じゃないんです。ただ彼をモダンな作家と言い切っていいかどうかもよくわからないところがある。
(「二十一世紀の〈人間〉を書く」『新潮』平野啓一郎氏との対談、二〇〇八 平二〇)
志村ふくみ
彼は体験している。気が狂うほどその人間と共に在る。現象の底を突き破って、地獄まで共に落ちる。何としても人間を見捨てない。人間というものをいとしく思っている。どんな極悪非道な人間もなぜか憎めない。かばってしまう。何とかして人間を描きたい、知りたい、猛烈な欲求が読者にも乗り移ってくる。
かぎりなく粘っこく、貪欲で、破壊的な人間。もういやだ、やりきれないという人間をも、読者は見捨てずについてゆく。私もその一人だ。いざ読みはじめるとまるで泥沼にはまった轍(ルビ:わだち)のようにそこから這い出すことが出来ない。今まさに私は泥沼の坩堝の中にいる。
(『白夜に紡ぐ』人文書院 二〇〇九 平二一)
三田誠広
たぶん、ドストエフスキーは父親の少女姦がトラウマになっているし、自分の内部にもそういうものがあっただろうと思います。ですから、スヴィドリガイロフを書き、スタヴローギンを書いた。それは単純な悪ではないわけです。もしかしたら神様がそういうふうに人間を創ったのかもしれない。つまり、神が創った世界の中に悪があるということですから、こいつは悪いやつだというかたちで排除はできないんですね。だから、小説を書こうと思ったのでしょう。
(「『罪と罰』その最大の謎に迫る」週間読書人 亀山郁夫氏との対談、二〇〇九 平二一)
佐藤 優
ドストエフスキーは愉快犯である。神などまったく信じていない。神を信じたいと思っても信じることができない現代人の一人である。『カラマーゾフの兄弟』におけるテーマも無神論について描くことであった。
(「ドストエフスキーの預言」『文學界』二〇〇九 平二一)
高村 薫
ドストエフスキーの登場人物で私と一番近いのは、『悪霊』のスタヴローギンだと思っています。私は、あれこれを眺めている人間です。(中略)私は怒らず、喜びもしない。じっと観察する。基本的に、作家とはそういう人種だと思います。ドストエフスキーの中にいる観察者は、スタヴローギンであり、『罪と罰』のスヴィドリガイロフです。
(「新しい言葉で読む『罪と罰』」毎日新聞 亀山郁夫氏との対談二〇〇九 平二一)
もし十九世紀にいまのような優れた抗てんかん薬があったとしたら、ドストエフスキーは呑んだだろうか。私は呑まなかったと思う。おそらく私ども健常者には理解しようがない特別な心身の体験があって、ごく一部の人には苦悩や恐怖以上の何かがあるのかもしれません
(『太陽を曳く馬』新潮社 二〇〇九 平二一)
私自身は阪神大震災で六千四百人の死を経験して十五年経ったいま、やっと一つ、自分の中で漠然と形になったものがあるように感じています。それは、もう何も見るものも、聞く者もない絶望の感じ――たぶんスタヴローギンが最後に首をくくる前がそうだったと思うんですが、そういう自死に向かうときの〈無〉の感じ――。これは最近になって思い始めたことですが、そういう〈無〉の中にも、実はそれもまた生命だという手触りがある。〈無〉に近い灰色や黒が放っている生命の手触りです。
(「カタストロフィ後の文学」『文學界』亀山郁夫氏との対談 二〇一〇 平二二)
(ふくい かつや・文芸評論家)